第13話 呪いの禁苑
扉をくぐった瞬間、ぶわりと生暖かい風が吹き抜けた。
攫われた前髪を押えた桃里の眼前に広がったのは、森のように緑が生い茂る鬱蒼とした庭だった。
いったいどういうからくりなのか。確か城に来るまでも長い坂を馬車で登り、客間からの道程でも三度は階段を上がったはずなのに今立っているのは完全な屋外だった。
中庭のようなものかとも思ったが潮の香りが近い。そもそも小さな一室の書棚を抜けた先にあるこの場所は、おそらく物理的な構造など関係ないのだろう。
所々に珍しい花々が咲いているが、どれも枯れかけていて傍目に見ても荒れているように思える。
「ここは…」
「元は美しい庭だったんだ。妹が世話を任されていたが、祖父が倒れてからはここへ来ることも禁じたせいでごらんの有様だ」
城下にいた頃には気づかなかったが、ハロルドが倒れてからの国の様子が顕著に伺える庭に桃里は僅かに眉を下げる。
「本当ならトーリにも見てもらいたいほど美しくて温かい場所だった」
目を細めるアシェルの横顔に滲んだ哀愁に、きっとさぞかし美しい庭だったのだろうと思う。
自然のままといえば聞こえはいいが、実際はただ草が伸び放題の小道を抜ける。しばらく行くとその先に小さいが立派な木造の屋敷が見えてきた。
そこでついに桃里の足が止まり、思わず口元を覆った。
「トーリ?」
「…酷い瘴気だ」
平気そうなアシェルとイーニアスとは違い、晴人も僅かながら眉を寄せていた。
「お嬢は人より鼻が利きますからね。呪術に慣れている私でもこれほどの濃さは久々です」
人と鬼の混血である桃里は主に妖力を、晴人は霊力を元に術を操る。他にも自国には法力という力を使う者たちもいたが、この国の人間は魔法を使う。
何かが根本的に違う。今はまだわからないがその差なのだろう。
桃里が魔法を理解できなかったことと同じく、アシェルたちも幽斬り丸の結界やこの瘴気を察することはできないようだ。
そして妖気と瘴気もまた、まったく別物だ。妖気とは妖が放つ気配、瘴気とは人にも妖にも害をなす言わば毒であり、主に呪詛や呪物から発せられるものだ。
つまりこの先にその瘴気を放つ根源、呪われたハロルドがいる。
「…大丈夫、行こう。もうあまり時間はないかもしれない」
アシェルの横を擦り抜けて足を早める桃里の後を一行は追う。
早く祓わなければ。…しかし祓えるのだろうか。刀も猫たちも城下に置いてきてしまったのは失敗だったと、桃里は密かにほぞを噛んだ。
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「っ――」
部屋中に充満した濃い瘴気とその中央にある寝台に横たわる痩せ細った老人は、傍目にも生きていることが不思議なほどの姿だった。
そしてなにより、桃里の赤い双眸にはその老人を蝕む蟲がありありと見て取れた。
「蠱毒ですね」
「コドク?」
「ええ。毒虫を一つの壷に入れて残った一匹が猛毒の呪いに転ずる。そういう術です。ですがこれはまた随分と…陰湿ですね」
姿は見えずともそのおぞましさは肌で感じているだろう、アシェルたちも眉根を寄せてベッドの方を見つめている。それほどまでに濃い呪い。
ヒュウヒュウと、隙間風のような呼吸を枯れた喉から零すハロルドを離れたところから見つめていると、スッと蟲と目が合った。
百足のような下肢に甲殻類のような質感、翅こそないものの尾には棘があり顔は鋭利な牙を生やした、無機質な蛇のようなもの。
「この呪いは殺すことが目的というよりも、生かさず殺さず……苦痛を与えるためにあるように思います」
「三年前に倒れた日から徐々に衰弱していって、ここ一年はもうずっとこの状態だ」
「三年も…。食事も睡眠も取らせずに生かしたまま、というのは相当な技術が用いられます。恐らく術者は並の術者ではないでしょうね」
こちらに攻撃をしてくる素振りがないこと、他の誰にも害がないことからして、特定の人物にのみ効果を発するというこの呪いは相当なものだと晴人は続けた。
「なんとかできるか?」
「…これ自体が強いわけではないはずだから、できなくはない……けど」
アシェルの問いかけに桃里はこれまでと違い、端切れの悪い物言いになる。
「できなくはないけど、もう気づかれた。もしかしたら私たちの存在を察してハロルドの死期を早めてくる可能性がある」
この禁苑に踏み込んだ時から気づかれていたであろう。術者本人の所在はわからないが、蠱毒は完成した段階で作った術者の手を離れる。
後から操作されることはないが、元からそう定められていたとしたらこれはその通りに行動する。
「晴人」
「祓えます。…と言いたいところですが私ではおそらく四割削げればいい方ですね」
「この呪いはあまり強くないんじゃないのか?」
煮え切らない二人の様子にアシェルはつい語気を強めてしまい、はっと申し訳なさそうに目を逸らした。
「…すまない。無理を言った」
「いや…。晴人は結界術や強化術を主にする。攻撃はあまり得手じゃない。それにこの手の呪いは一太刀で仕留めないとすぐに再生してしまう」
桃里は混血だ。半分は人の血が流れているため、生粋の妖に比べて身体的能力は僅かに劣っている。
「まさかこんなことになるとは思わなかったからな。刀を猫に預けてきてしまった。……刀――そうか、幽斬り丸」
ふと桃里は顔を上げてアシェルを見やった。深紅の瞳が青い瞳をまっすぐ見つめる。
「アシェル、父の刀を。幽鬼り丸を貸してくれるか?」




