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第121話 僥倖の柱

 灯台守の老夫は、南の地から昇った雲を裂くような一筋の光を見つめて胸の前で手を組んだ。


 力強さと儚さという相反するものを内包しているように見えたその光は、次第に細くなると瞬く間に消えていく。


 後に"僥倖の柱(ぎょうこうのはしら)"と呼ばれるその光は、シルフィルド国の新たな神話の幕開けとなる。




「…トーリ?」


 なんとなく眠れずに窓から外を眺めていたレオは、遠くで細く昇った光を見つめて呟いた。


 なぜその名前が頭に浮かんだのかはわからない。しかしあの光はどこか彼女の雰囲気に似ていて、レオには優しいものに思えたのだ。


「あら、レオ。まだ起きていたの?」


 子供たちの様子を見に部屋を訪れたエレノアが一人だけ起きていたレオに歩み寄ってきた。


「…うん、もう寝るよ」


 何事もなかったかのように暗闇に戻った空をもう一度見上げてから、レオは他の子供たちを起こさないように静かにカーテンを引いた。


(トーリ…また、会えるよね)


 優しいエレノアの歌声が聞こえる。次第に微睡んでいく瞼の裏に桃里の笑顔が浮かんだ。朝になればまた陽が昇る。その太陽はきっと、彼女のように明るいだろう。




 酔っていたせいか珍しくとっとと眠ってしまった客の男を放置して、リアンは窓辺で紫煙をくゆらせていた。


 冷たい冬の空気と一緒に紫煙を飲み込むと、熱かった体が一気に冷めていく。薄いガウンを通り抜けて肌を刺すようなこの空気がリアンは存外に好きだった。


「今の…」


 煙が立ち上る更に向こう、遠い南の方角から細い光が天に伸びた。


「…あの二人、ちゃんと仲良くしてるかしら」


 あの夜以来、彼はここに来ていない。それは実に喜ばしくて健全なことなのだが、少しだけ残る寂しさもまた本当のことだった。


 彼のことは客というよりもむしろ弟のように思っていた。そんな彼に初めてできた心から想う大切な女の子。


「ちょっとだけ、妬けちゃうわね」


 すっかり色の落ちてしまった唇を持ち上げてくすっと笑う。南の空に見えたあの光。あの光の先に二人はいるのだろう。なぜかはわからないけれど、リアンには確かにそう思った。


「帰ってきたら、顔くらい見せにいらっしゃいな」


 短くなった煙草を灰皿に押し付けて、リアンは再び空を見上げる。雲間から覗いた月の光は、いつかの彼のように柔らかかった。




「行っちゃったね」


 ゲイルシールド城の屋根の上から南の空を見つめていたシロエは、左右非対称な色をした双眸を細めて呟いた。


「そうだな」


 猫の姿をした彼女の隣では、同じく鴉の姿をしたクロトがやはり光の消えた方を見つめていた。


「寂しくなっちゃうね」

「別に。俺はこっちに来てからほとんど北にいたしな。変わんねぇさ」


 ばさりと羽を開いてぶっきらぼうに言うクロトに、シロエは鼻をひくりと動かして擦り寄った。


「そんなこと言ってぇ〜、一番心配してたのはクロトだったにゃ」

「うるせ。俺は口やかましい晴人に言われたからやったんだよ」


 桃里は晴人が遺した呪符を使って故郷へと渡った。否、本当に渡れたかはまだ定かではない。暁緒が開いた道でもなければ、術者の晴人もいない。そんな状態で無事に辿り着ける保証はなかった。


「きっと、大丈夫。お嬢と若様なら…無事に渡れるよ」


 茶斑の尾を揺らして、シロエは夜風に髭を靡かせる。確信なんていらなかった。二人が一緒であるならば、きっと道は開けると信じている。


「馬鹿坊と蜘蛛を忘れてるぞ」

「あっ!そうだったにゃ!マシュー様と朔月は大丈夫かにゃぁ…ま、大丈夫か!」

「おまえ、あんま心配してねぇだろ…」


 夜が明けたらまた忙しくなる。今夜のことを知らないセオドアたちにもちゃんと説明しなければならないし、九尾の動きも今はまだない。


「あいつらが帰ってくるまでは、ここを護ってやんなきゃな」


 桃里たちの旅路に少しでも希望があるように。帰る場所が、あるように。


 二人はいつまでも空を見つめていた。




 北の塔にある自室いたエヴァはふと、顔を上げた。この部屋に窓はない。しかし彼女と同じく南の方向を見つめていたハロルドの横顔も、いつもより少し穏やかだった。


「儂があの島に漂着したのは、きっと必然だったのだと思うよ」


 今から十七年ほど昔。アシェルが生まれて間もなく、遠い海の向こうにあると言う大陸を目指してハロルドは旅立った。


 しかし一年ほどの航海の果てに運悪く強烈な嵐に遭い、そして運良くあの島国に辿り着いた。


 人間と神、更には妖が混在する幻の国。


「きっと今日、この日のために…お義父様は導かれたのでしょう」


 それは神だったのか、それとも妖だったのか。あるいは、人間か。


「あの子たちは、きっともっと強くなる」


 多くの悲しみを乗り越えて、多くの人々の希望を背負って。春の始め、この国に迷い込んできた少女が今夜は、訪れた時とは異なる者を伴って旅立った。


 もう数ヶ月もすればまた春が来る。どれほど辛いことがあっても、どれほど多くを失っても、季節は必ず巡る。


 だからその時はきっとまた、あの花が綻ぶような笑顔が見られるだろう。


「楽しみですわね」

「ああ…春を迎えるために、今は耐え凌ごう」


 凍える冬もいずれ終わる。


「この旅路の果てに、僥倖の光があらんことを」

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