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第120話 そして、向こう側へ【第一部・完】

 ガッと蹄が地面を蹴りつけた。土が抉れて土煙が舞う。


「ちょっと殿下!待って!待ってって!ほんとっ!落ちるからっ!」

「さっさと落ちろ!馬が軽くなる!」

「絶っっ対!嫌だ!!」

「だったら黙ってろ!舌噛むぞ!」


 桃里を追いかけるアシェルとマシューは、深夜の城下を駆ける馬上で大声で揉めていた。




*******




 城壁を飛び越えた桃里を追うアシェルたちは、城門の脇にある小さな扉から抜け出した。


 夜は門が固く閉ざされ見張りの兵士たちも多く駐在しているが、アシェルの隠匿の魔法にかかれば城を抜けるのは容易いことだった。


 問題はその後、すっかり見失った桃里の後を追うにはまず足が必要だった。


「こいつを借りる」


 城下まで下った二人は、近くの商家の厩に繋がれていた馬を引っ貼りだした。


 まるで息をするように盗みを働くアシェルに、マシューは若干引きながらも背に腹は変えられないと馬に上る。そしてまさに文字通り、全力で振り落とされそうになった。


「というか!トーリの居場所はわかるの!?」

「わからない!」

「はぁ!?じゃあなんでエバンス領に向かってんの!?」

「勘だ!!」

「はぁぁ!?」


 アシェルの手綱捌きは恐ろしく荒かった。こんな状況だからなのか、それとも元から馬に乗ると性格が変わるのか。どちらにせよ尋常ではない速度で馬を駆るアシェルの背中は、鬼気迫るものがあった。


(そりゃそうだよね…だって、もう会えないかもしれないんだ)


 この機会を逃したら、きっともう二度と会えない。マシューの心の奥底には、ほんの僅かに不安が過ぎっていた。




 辿り着いたエバンス公爵邸は見る陰もないほど無残な状態になっていた。


「殿下…手綱、荒すぎ……」


 青白い顔でぜいぜいと呼吸を荒げながらよろけるマシューを無視してアシェルは馬を放してやると、不気味な廃墟と化した屋敷に躊躇いなく踏み込んだ。


 微かに白檀の香りがする。やはり桃里はここにいる。


(時間がないっ…どこにいるだ、桃里…!)


 僅かに灯した明かりを片手に浮かべ、アシェルは香りを辿ってひたすら奥へと進んでいく。


(ここは…)


 行き着いたのはミアの部屋だった。アシェルは微かに目を細める。思うことがないわけではない。しかし今はそれを考えている場合ではない。時は一刻を争う。


「…殿下」


 ようやく追いついてきたマシューにはやはり応えることもなく、アシェルは意を決して部屋の扉を開く。


 家人を失い寂れた真っ暗な室内。そこに佇んでいたのは、恋い焦がれた彼女の後ろ姿。


 こちらに背を向けたまま、クローゼットに突き付けられた刀はまるで鍵穴に吸い込まれるように飲み込まれていく。


「桃里ッ!!」


 振り返った桃里の紅い目が見開かれた。


「っ…!なんで来たんだ!」

「それは桃里の方だろ!こんなところで独りで何してるんだ!」

「ばっ、来るな!」


 後退る桃里の背後で、どんどんと漆黒が広がっていくのが垣間見えた。アシェルは咄嗟に手を伸ばして彼女の腕を捕まえる。


「放せっ!帰れ!」

「離さない!」


 緩やかに風が流れ始め、髪が大きく靡いた。徐々に広がり続ける穴の奥に向かって吸い込まれるように風が抜けていく。


 暴れる桃里を抑え込み、足を踏ん張って穴から距離を取ろうとするも桃里は強情で、頑なに動こうとしてくれない。


「このままじゃっ…おまえも巻き込んでしまうんだ!!」

「巻き込めばいいだろ!!」


 髪がめちゃくちゃに煽られるほど吹き上げる強風に負けない声でアシェルは怒鳴った。


「死ぬ時は一緒だと言っただろう!あの約束を破るのか!?」

「ッ…!」

「あれは…嘘だったのか…?」


 風の勢いが更に増す。立っていることすらやっとの状態で桃里を抱きしめたアシェルは、懇願するように呟いた。ひゅっと、短く息を飲む音が確かに聞こえる。


「ついていく、おまえが行くところなら、どこだって…俺も一緒についていくよ」


 ぐらりと、アシェルの足が浮いた。


 もう抗う術もない。この暗闇の先に何が待ち受けているのか、そもそも生きていられるのかすらわからない。それでもアシェルには桃里を手放す選択肢だけはなかった。


「行こう、桃里。一緒に」

「っアッシュは…大馬鹿野郎だ」

「桃里よりはましだ」


 ついに足が床から離れた。アシェルと桃里は抱きあったまま、ぽっかりと切り取られた暗闇の中に身を落とす。


 この先に何が待ち受けていようとも構わない。例えそこが死者の国だったとしても、二人一緒なら怖いものなど何もなかった。




 柱にしがみつきながら、マシューは事の一部始終を見つめていた。さすがにこんな状況は想定していない。


 一体何がどうなっているのか。どうやらこの事態は桃里が引き起こしているようだが、経緯がまったく読めない。二人の怒鳴り合いを聞きながら、マシューは必死にここから脱出する方法を考えていた。


(どどど、どうしよう!風が強すぎて近づけないしっ…でもこのままじゃ二人が…!)


 マシューよりも穴の側にいる桃里とアシェルの体はほとんど傾いていて、直にあの中に飲み込まれるだろう。


「どーすればいいんだよっ!」


 思わず弱音を叫んだ時、ぴょこんっとマシューの胸ポケットから飛び降りたのは朔月だった。


「サクヅキ!いたのか!」


 着地の瞬間、蜘蛛の姿から人間に変化した朔月は、ふっと桃里とアシェルに向かって糸を吐き出した。


「ナイスだサクヅキ!その糸で二人を引っ張るんだ…えっ?」


 名案だと内心で指を鳴らした瞬間、マシューの体がぶわりと浮いた。視線を落とすとマシューの体にくっついた朔月が、柱から腕を引き剥がそうとしている。


「ちょ!サクヅキっ!えっ、ええー!?」


 体勢を立て直そうとするも虚しく、べりっとマシューの手が柱から剥がれた。同時に桃里とアシェルの姿が穴の中へ消えていく。


「――うっ、うああああ!!」


 よろけた足では踏ん張りも利かず、マシューはあっという間に吸い込まれ、そしてついに二人の後を追うように暗闇に飲まれた。


 そして一際強い風が一迅吹き抜ける。呪符から二度目の五芒の光が扉に走ると、闇を遮るように消滅した。




 エバンス邸の室内は初めから誰もいなかったかのように静まり返っていた。


 虫の声すらない静寂に包まれながら、扉に突き立てられた夜霧三日月だけが月明かりを浴びてぽつりと取り残されていた。

第一部【風の国編】完結となりました。

ここまでお付き合いくださり本当にありがとうございます。

次回より第二部【妖の国編】スタートとなります。

また第二部より週一更新(毎週月曜日の20時20分)に変更することにしました。

(第二部スタートは明日10月19日(月)です!)

毎日更新を楽しみに日参してくださっている方には本当に申し訳ありませんが、更新を止めずに続けられるようにこれからも頑張りますので何卒応援よろしくお願いします!(ストックはあるので更新は止めずにがんばります!)

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