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第119話 鍵を開く

 深夜の城下町は昼間とは打って変わって閑散としていた。


 この国ではほとんど人が魔法を使えるとはいえ、多くの魔道士を有するゲイルシールド城とは違い、庶民には夜更けまで明かりを使えない。


 月明かりがなければ普通に歩くとさえままならない夜道を、桃里は躊躇なく駆け抜けていた。時には屋根の上や木々をも越えて、最短の道で目的の場所へと進んでいく。


 頬を切る風は冷たくて、この国に来てからもうこんなにも季節が移り変わっていたのだと改めて気付かされる。


(こんな風に走るのは久しぶりだ)


 故郷の山はもっと暗かった。月明かりさえ遮る鬱蒼とした木々に、道と呼べる道もなくどこもかしこも不安定。一歩進めば泥濘みがあり、苔むした岩肌はところどころ鋭利に尖って突き出したりもしていた。


 そんな山道に比べれば、舗装されている城下の街は目をつぶっていても走れそうだ。


(もうすぐ)


 城下町を南に抜けると間もなくエバンス公爵家が治めていた領地に入る。


 領主を失った南の土地は仮でブレイク伯爵が統治に努めていると聞いた。見た限りでは彼のお陰もあってか特に大きな混乱はないそうだ。


(このまま良い主に恵まれるといいな)


 南の街を抜けると間もなく広大な土地を有するエバンス公爵邸が見えてきた。これまで一度も速度を落とすことがなかった桃里の足が自然と遅くなっていく。


 目の前の屋敷を見上げて、桃里は大きく息を吐き出した。


「――死んでしまったんだな」


 他の貴族の屋敷よりも一等豪奢だったあのエバンス邸が、今はもう廃墟のように朽ち果てていた。


 草木は異常に伸びており庭は荒れ放題となり、這い出た蔦は寂れた屋敷を隠すようにびっしり覆っている。


 あの祈りの舞いをした日からまだそれほど月日は経っていないというのに、まるで何年も放置されていたかのような有様だ。


 錆びて傾いた扉の隙間に身体をねじ込むと、外よりも冷たい空気が肌を刺した。


 家主を失った寒々しい廊下を桃里は静かに進んでいく。


「ここか」


 重い扉を押し開くと、室内はどこか可愛らしい雰囲気が残っていた。破けてしまってはいるがフリルのあしらわれたカーテンや、房の多いクッション。すっかり埃にまみれてしまっている生地は花柄のようだ。


「ミアの部屋だったんだな」


 枯れた花の残骸が虚しく花瓶の周りに散っていた。


「…ごめん」


 助けられなかった。いや、助けるなどということが既に思い上がりだと言うことはわかっている。


 相容れないままだったかもしれない。それでも生きてさえいれば、何かが変わったかもしれなかった。


「今度は、花を持ってくるよ」


 桃里は黙祷を捧げてから、ゆっくりと瞼を持ち上げる。その真紅の眼(まなこ)にもう迷いはなかった。


 踵を返して見やったのは、なんの変哲もないクローゼットだ。開けてみたところでくすんだドレスがいくつも並んでいるだけで、やはり特段変わったところはない。


 しかし桃里にはわかっていた。ここが、こ(・)ち(・)ら(・)と(・)あ(・)ち(・)ら(・)を(・)繋(・)ぐ(・)鍵(・)なのだと。


「…一か八か、いや。大丈夫、絶対…上手くいく」


 桃里は懐から一枚の呪符を取り出した。真っ白い長方形の紙に赤黒く滲んだ文字がびっしりと刻まれている。


 これは晴人が残した最期の呪符だった。


『桃里へ 


 もし私に何かあれば、おまえの判断でこれを使いなさい。おまえが真に望むのであれば、必ず道は開かれる。


 追伸 あまり肉ばかり食べすぎないように。それから腹を出して寝ないこと。人前であぐらや大きな欠伸も控えなさい。むやみに着物を着崩すのもみっともないです。屋根の上を飛び回るのもそろそろやめなさい。どんな時でも礼儀は忘れないように、年頃の娘らしく品よくしなさい。


 最後に、どうか自愛を。

 これから先も、私たちはずっとおまえを見守っているよ。 


 晴人』


 呪符と一緒に取り出した手紙はところどころ滲んで読めなくなってしまったけれど、何十回も読み返した桃里の胸には十分その想いは届いていた。


 晴人を失ってから、桃里は部屋中を引っ掻き回した。何か少しでも彼が残したものはないのかと、闇雲に晴人の影を追いかけて見つけたのがこの手紙と呪符だった。


「……っ」


 もう泣かないと決めたのに、また目頭が熱くなる。枯れるほど泣いたと思っていたのに、どうやら涙というものはそう簡単には果ててくれないらしい。


 溢れそうになる心を押し込めて肺が軋むほど大きく息を吸い込んだ。


「私は…進む…!」


 手紙を懐のお守りの中にしまい込み、ぐっと涙を拭う。桃里は再び前を向いた。


 涙に濡れた呪符を思い切りクローゼットに押し付ける。刹那、眩い五芒の光が走った。


 あとは、わかる。これはもう本能、否、血だ。桃里の血が、次の一手を教えてくれている。


「頼む…!私を、里に戻せ!」


 九尾を倒すために、みんなを護るために。桃里は腰に帯びていた夜霧三日月を呪符の上から突き刺した。


「桃里ッ!!」


 鼓膜に届いたその声は、もうすっかり聞き慣れた優しい音。咄嗟に振り返った桃里の瞳が見開かれた。


 朝焼けのような紅い瞳と、湖面のような青い瞳がまっすぐに交わる。


 漆黒の穴が口を開いた。

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