第117話 別れを告げる光
その日の夜は久しぶりに全員が揃っての夕食だった。
相変わらず城内に使用人はおらず閑散としていて、一部の兵士と魔道士部隊だけが警備についていた。
備蓄のライスで握ったおにぎりに、残っていた野菜や肉で作ったシチュー。デザートは孤児院から分けてもらった果物だ。並ぶ料理は相変わらず質素なものであったが、卓に揃った顔は自然と笑みが溢れていた。
「このオニギリ、とっても美味しいですわ!」
「ええ。それにやっぱり一番形が綺麗なのは桃里様のものですね」
「桃里ちゃんって意外と器用だよね」
参りました、と微笑むジュリアの向かい側で、桃里の握ったおにぎりを手にしたセオドアが感心する。
「晴人に仕込まれたからな。二、三ヶ月くらい山で暮らしたって平気だぞ」
「野戦慣れしてる兵士でもなかなかできそうにないですね」
兵士も真っ青になるようなことをしれっと言ってのける桃里にイーニアスは苦笑した。
「虫とかいそう…」
「虫ならいるだろ、おまえの肩にも」
「えっ!?どこ!?トーリ!?取って取って!」
バタバタと貴族らしからぬ動きで慌てるマシューの肩の上では朔月がからかうように跳ねていて、それを呆れたように見ていたクロトが鳥類らしい言葉で割り込んだ。
「虫くらい食っちまえよ」
「あたしはあんまり好きじゃないなぁ、虫。美味しくないし」
賑やかに飛び交う会話に耳を傾けながら、ハロルドとエヴァは目尻を下げて久しぶりの果実酒を傾けている。
「そういえば今日は孤児院に行ってたんだろう」
「うん。レオもエラも、みんな元気にしてたよ」
よほど心配してくれていたのだろう。桃里の顔を見るなり泣きそうになりながら駆け寄ってきたレオと子供たちだったが、しばらくすると落ち着いていつもの調子で近況をたくさん話してくれた。
クロトやシロエも思いっきり子供たちに振り回されて、少しの時間だったけど戦いの日々から離れられたように見えた(クロトは少し面倒そうだったけど)。
『ねえ、トーリ。また来てくれるよね…?』
『ん、もちろんだ』
『本当?約束だからね?絶対だからね?』
ひとしきり遊んだ帰り際、たくさんの冬の果物を持たせてくれたエラの隣で、レオは約束だからと手を握ってきた。
「城下の様子も見てきたけど、少しずつ活気が戻ってきてて串焼き屋のオヤジも元気そうだった」
さすがに買い食いをする気分ではなく見て回っただけだったが、必死に活気付けようとする店主や、店先では買い物をしている宿屋の女将もいた。
塩の香りと少し肌寒い冬の風。まるで何事もなかったかのように流れる穏やかな時間。
みんな少し憔悴はしていたが、それでも明るく振る舞う彼らの姿に桃里は元気づけられた気がした。
「なぁ、アッシュ」
「ん?」
「また行こうな、串焼き」
それまで桃里の話に静かに相槌を打っていたアシェルは、ふっと笑うと緩やかに首を縦に振った。
「ちょーっと!ボクを除け者にしないでくれるかい」
「マシューも行こう」
「は?」
「もちろん!いくらでもご一緒するよ!食べ歩き、というやつだね。庶民の楽しみの一つだ」
「なら貴族のおまえは来なくていいだろ」
「殿下なんて王族じゃない?」
なぜかバチバチと火花を散らす二人を他所に、桃里はジュリアが切り分けてくれた果物に手を伸ばす。
「ねぇお姉様!その串焼き、というもの。わたしもとても興味があるんです!」
「意外だ。リヴィはもっとこう、上品な物の方が好きだと思っていた」
「まぁ!こうしてパーシモンも手で食べちゃいますのよ?だから今度はわたしも連れて行ってくださいね、お姉様」
「ああ、わかった。一緒に行こう」
普段に比べて暗い城内だけど、この玉座の間だけは明るくて、温かい。優しさの溢れる時間だった。
*******
楽しい食事の時間も終わり、それぞれが部屋に戻ってからどれくらいの時間が過ぎただろう。
晴人の部屋から出た桃里は、真っ暗な城内を一人歩く。
着物は初めてこの国に来た時のもので、陣羽織はジュリアが綺麗に洗ってくれたものだ。それでも真紅が目にも鮮やかだった牡丹柄の羽織りはところどころ黒い染みが残っている。
荷物はない。あるのは腰の夜霧三日月と、胸に納めた晴人の骨が入ったお守りだけだ。
(…駄目だ)
つい足が立ち止まる。後ろ髪を引かれて振り返ってしまいそうになる心を叱咤して、桃里は聳え立つ城壁を見上げた。
ここを越えたら、もう戻れない。
(行こう)
心さえ決めてしまえばなんてことはない。助走もなく跳躍すると天に伸びる壁も単なる足場に変わる。この時間、この場所に見張りがいないことは知っていた。
そこで初めて、桃里は振り返る。少し前までは絶えることなく煌々と明かりが灯っていた白亜の城は、今はもうただ黒い巨大な影が佇むだけだ。
それでもあの中には、火よりも熱く、太陽よりも暖かい人たちがいる。
「さようなら」
また、いつか。またいつか、もし会うことができたなら。桃里は僅かな願いを胸に秘めて、城壁から飛び降りた。
目指すはエバンス公爵家の跡地。あそこに次の鍵がある。
初めてこの国に来た時も確かに不安はあった。しかしあの時はクロトとシロエ、そして晴人がいた。
けれど今は、もういない。それでも不思議と不安はなかった。
(みんな、ここにいる)
胸に手を添えて空を見上げた。星が煌めく雲の隙間から、微かな月明かりの照らす暗闇。草木も眠った深夜の道を桃里は独り、歩き出す。
遠くに望む星たちだけが、彼女の行く道を見つめていた。




