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第116話 シルフィルド国の現状

 空腹を訴える桃里の腹の音を合図に、アシェルたちは先に食事を始めていた。


「おはよう、みんな。今朝も揃ってるね」


 しばらく和やかな雰囲気で食事を進めていたところに遅れてやってきたセオドアは、黙々と肉を頬張る桃里を見やり優しく微笑む。


「おはよう、桃里ちゃん」

「んっく…。――おはよう、兄上」


 セオドアと共にやってきたイーニアスとクロトも、桃里の様子に微かに口角を持ち上げる。


 短い会話でもいつもの調子を取り戻したことを察したのだろう、二人もまた言及することなく席に着いた。


「お母様とお祖父様は朝は要らないそうだ。今日の予定は僕からみんなに伝えるよ」


 ジュリアがセオドアの分の食事を用意する中、告げられる報告に一同は耳を傾けてる。やることはまだまだある。


 忙しい一日が今日も始まる。




 クロトの報告によると離宮の封印に特に異常はなく今のところは安定しているとのことだった。彼は毎日あの場所を訪れて、異変がないか確認してくれていたのだ。


「その場にいなかったから俺も確信はないけど、晴人が九尾に施した術…たぶんそれの効果もあると思う」


 九尾自身に放たれた晴人の術は確実に爪痕を残している。その事実だけで、無駄死になどではなかったのだと桃里の心の澱は少しだけ薄らいだ。


「だからこれは本当に推測でしかないけど、九尾はもうそちら側に干渉してこねぇと俺は思ってる」

「どういうことだ?」


 怪訝な顔をしたアシェルに、クロトは一瞬言葉を選ぶように黙ってから、同じく眉を顰める桃里に視線を向けた。


「――あいつの狙いはお嬢、あんただ」 

「…そうか」


 すぐさま納得したように目を伏せた桃里とは違い驚き声をあげのはマシューだった。


「待って!何でトーリが狙われるんだい?トーリを狙っていたのはミア嬢であって、あいつの狙いはシルフ一族じゃなかった!?」

「ミアもアリスも、九尾にとっては駒でしかなかった」


 動揺を隠せないマシューに冷静に続けたのは桃里だった。


「九尾は元々私の国にいた妖だ。そしてそれを封じたのが私の母で、更に昔にはその一族も関わっている。恨みは当然、私に向くだろうな」

「狐ってのは特に執念深い。それにあいつは単に復讐のためにお嬢を狙ってるわけじゃない」


 九尾の本当の目的は自身の復活、そして失われた両目を取り戻すこと。しかしそれだけのために桃里を狙っているわけではないとクロトは読んでいた。


「ヤツは、お嬢を喰らうつもりだ」


 低く紡がれたクロトの言葉に、緊張と恐怖が走った。声もなくざわめく中で桃里だけが、肩を竦める。


「まったく、妖ってやつは悪食にもほどがあるな」

「…つまり九尾は、桃里の力を狙っていると言うことか?」


 努めて冷静に、感情を押し殺した声でアシェルが問いかける。しかしテーブルの上で組まれた指は白くなるほど握りこまれていた。


「霊力の高い娘ってのはそれだけで妖からすりゃ上物の餌なんだよ。それに加えてお嬢は強い妖力も持っている。九尾じゃなくてもお嬢は妖にとっちゃ食い頃なのさ」

「なっ…!」


 ぞっと青ざめるオリヴィアの隣で、アシェルは怒りを滲ませる。人間の娘を餌呼ばわりすることが、あまりにも理解しえなかったのだろう。


「アッシュ」


 憤りを顕にするアシェルの拳に、細い手が重ねた。桃里は緩く首を左右に振ると、気にしてないと笑いかける。


「妖は人間の理の外の生き物なんだ。人間だって他の生き物の肉を喰らう。それと同じことだから」

「だがっ…」


 アシェルの視線がクロトとシロエに向けられる。疑っているわけではないだろうが、彼らとてその妖なのだ。


 その視線に気づいたシロエはぴくんっと背筋を伸ばして慌てたように手を振った。


「もっ、もちろんあたしたちは違うよ!というか別に人間を食べなくても全然平気だし!あたしは猫まんまの方が好きだし!里のみんなだって違うの!だからみんなお嬢を護ってきたんだもん!」


 必死に身の潔白を訴えるシロエに、「誰も、シロエちゃんたちを疑ってはいませんわ」柔らかい声をかけたのはオリヴィアだった。


「シロエの言うとおり、別に俺たちは人間にそれほど興味はない。けど妖にはそういう連中もいるってことだ。その中でも特に九尾は…あいつは多くの人間はおろか、妖も喰らってきた化物だ」


 力を得るためなら同族を狩ることすら厭わない怪異。それこそが九尾であり、故にあれからすればアリスやミアも所詮は自分のための餌でしかなかったのだ。


「九尾は悪意の権化だ。そしてあいつの狙いはお嬢と、俺たちの国」


 多くの霊力を持つ人間と、強い妖の住まう国。あそこを落とすことが九尾の本来の目的なのだ。得心したようにセオドアが頷いた。


「だからもうこの国には用はない、そういうことだね」

「まぁこれも俺の推測にすぎない。あいつは時空を歪める術を使ってた。離宮を塞いでも他から出てくる可能性はあるけど…」


 それでも狙いが桃里であれば、やつが現れるのは必ず自分のいる場所だろう。


「どちらにせよ晴人の術が効果を発動している間は身動きは取れない、と俺は思っている。あいつの血肉を賭した術は並大抵には破れないはずだ」


 クロトの話はそこで終わり、続いたのはこの国今後の話だった。本来であればもう新年を迎える準備に入らなければならない時期だが、今はまだ使用人たちを戻す目処すら立っていない。


 城下の方もなんとか落ち着きを取り戻してはいるが、ゲイルシールド城の状況は人伝に広まっており、まだ民の不安も拭えていないのが現状だった。


「城下の民には箝口令を敷いている。この事が他の街や、ましてや他国に知られるわけにはいかないからね」


 その件に関してはセオドアとエヴァ、そしてハロルドが話し合っていくと告げて一旦の報告会はここまでとなった。


 被害は想像以上に大きいものになっている。桃里は苦々しい思いで唇を噛みしめた。




「よし、じゃあ私は少し出かけてくるよ」


 朝食の片付けを済ませたあと、桃里はクロトとシロエを呼び出して言った。


「どこへ行くんだ」

「大したことじゃない、ちょっと城の周りを見てくるだけだ。二人も連れて行く。朔月は置いていくから、何かあれば報せてくれ」


 刀を腰に差して出かける用意をしながら、桃里は心配そうな顔をするアシェルの方を振り返った。


「お互いに、今はやれることをやろう」

「…そう、だな」


 にっと笑ってみせると、渋々といった感じではあるがアシェルはひとつ頷いてくれた。


「じゃあちょっと行ってくる。夕餉までには戻るよ」


 ひらひらと手を振り出ていく桃里の背中を、いつまでもアシェルの視線が見送っていた。


 できることをやる。今はそれしかできないし、なにより晴人の想いを無駄にはさせない。

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