第112話 違和感、そして衝突
マシューとハロルドがゲイルシールド城に来た夜、その日の夕食は少しだけ豪勢だった。
今この城に使用人は一人もいない。食事の用意や洗濯などは主にジュリアとシロエが担い、回復してきたオリヴィアも少しずつそれを手伝っていた。
「前王陛下様とマシュー様が新鮮な食材を持ってきてくださったので、今夜は久々に腕を振るってしまいました」
本来ならば養生して体力の回復が必要な面々だ。しかし今はそれも簡単には調達できない。
今夜は久々に温かいシチューやサラダ、それに桃里の好物の肉料理も食卓に並んだ。
玉座の間の一角に据え置かれたテーブルは、本来の食堂に比べて随分質素なものだったが、こうして皆で囲めるだけでも十分ありがたいことだった。
「美味しそうだ。さぁ、皆。いただこう」
上座に座るハロルドの合図に、それぞれが祈りを捧げてから食事が始まった。
「んん〜!温かいシチュー、とっても美味しいですわ!」
「こっちのサラダもしゃくしゃくにゃ〜」
「ほら、若。肉食え、肉。しっかり食わなきゃ保たねぇよ」
「あ、ああ…」
「イーニアスも、君が一番力仕事をしてるんだから」
「ありがとうございます」
すっかり元気な笑顔を見せるようになったオリヴィアとシロエの明るい声が響き、セオドアたちの互いを労う会話が彩る中で、桃里だけは黙々と食事を進めていた。
まるでそうするのが普通だからというように、ただただ口に運んで、咀嚼して、飲み込む。無機質なまでに淡々と、ひたすらその繰り返しだ。
「…ご馳走さま」
かたりと、小さな音を立てて立ち上がった桃里はまだ半分も食べていない他の者たちには目もくれず、食器を持って広間を出ていく。
「はぁ…」
深い溜め息を吐いたのはセオドアだった。
「どうしたものかな…」
もう五日、桃里はずっとあの調子だ。昼間は死者の埋葬と城内の復旧作業に勤しみ、夜は食事を済ませるとすぐに食器を下げて晴人の部屋に籠もってしまう。
「ほっときゃいいんだよ」
さすがに頭を抱えるセオドアをばっさり切り捨てたのはやはりクロトだった。
しかしそれさえも、以前なら晴人がやっていたことだと思うと余計に胸が締め付けられる。
「…ねぇ」
気づけば全員の手が止まってしまった時、口を開いたのは意外なことにマシューだった。低い声で呟いたマシューの視線は、正面に座るアシェルに向けられていた。
「何で追わないの?」
初めて見るマシューの怒気を孕んだ眼差しに見据えられたアシェルは、すっとその涼しい瞳を反らした。
ガタンっと激しい音が鳴り響き、食器がぶつかり水がこぼれる。
「マシュー様!」
咎めるイーニアスの声も無視して、マシューはアシェルの胸倉を引き寄せて強引に顔を上げさせる。しかしそれでもなお、アシェルは目を伏せたままだった。
「なんで君がトーリを一人にするの!?」
「………」
しんと静まった広い室内に、マシューの怒声が虚しく反響した。
「…ああ、そう。だんまりか。いつもは口悪く罵ってくるくせに、殿下って思ったより卑怯者だったんだね」
「…――ッ!おまえに何がわかるんだ!」
「わからないよ!だから訊いてるんだろ!」
しばらく睨み合っていたが、先に引いたのはマシューだった。掴んでいた胸倉から手を放して、そのまま入口へ歩いていく。
「待て、どこに行く」
「殿下が行かないならボクが行くよ」
「…駄目だ」
「君の意見なんてどうでもいいよ。ボクがトーリと話したいんだ」
「そっとしておけと言っているッ!!」
初めて聞くアシェルの怒声に、びくりとオリヴィアが肩を竦めた。
アシェルとて本当に桃里を放置していたわけではない。仕事を手伝おうとしたり、話をしようと何度も試みて、その度に拒絶され続けた。
そんな憤りに震えるアシェルの背を、側で見ていたイーニアスの手が宥めようする。しかしセオドアはそれを静かに諌めた。
「…五日だ。もう五日…俺だって何度も声をかけたけど、桃里は笑って躱すんだ。だから…今は一人に…」
「本当に、バッカじゃないの!」
握り込んだ拳を真っ白にして歯を軋ませたアシェルに、マシューは勢いのまま吐き捨てた。そしてもはや怒りすら通り越した、そんな悔しそうな声で呟く。
「彼女は笑ってるんじゃない、――泣いてるんだよ」
アシェルが駆け出して行った広間に残された者たちは、すっかり冷めてしまった食事を前に大きく息を吐いた。
「…まさか君があそこまで言うなんて思わなかったよ」
「…ボクもまさか、殿下があそこまで臆病者だとは思ってなかったです。ほんっと、いつもは尊大な態度でボクのことをボロクソ言うくせに」
席に戻ったマシューに、最初に声をかけたのはセオドアだった。疲れ果てた顔で椅子に座った彼を労うように、継ぎ足した水を差し出す。
「ありがとうございます」
本来、伯爵程度の身分であるマシューが王族の人間に楯突くなどもっての他だ。それでも言わずにはいられなかったし、それを咎める者はここにはいない。
「…あんなの、殿下らしくない。あんなへたれた男にトーリは任せられないですよ」
初めてこの城に現れた時、マシューは呆れるほど軽率な男だった。そんな彼が少し見ない間に見違えるほど凛々しい顔つきになっている。
「これはもう本当に、アッシュもうかうかしてはおれんな」
黙って見ていたハロルドは、久々に取り戻された活気に目尻を下げて微笑んだ。
「当然です。ボクはまだトーリのことを諦めていないし、絶対に彼女に相応しい男になると決めてますから」
水を一気に飲み干してさっさっと食事を再開したマシューは、貴族とは思えない大口で肉を放り込む。
「…殿下はボクのライバルだから。いつまでもウジウジされてたら張り合いがないでしょう」
本当に、いつの間にか随分と頼もしくなった。少し怯えた様子だったオリヴィアも、ふふっと小さく笑いを零す。それにつられたように皆、食事を再開した。
「…そうね。いつまでも落ち込んではいられません」
「この子達がいて、本当によかったな、エヴァ」
「はい」
マシューの勢いに押されて賑やかに食事を続ける子供たちを見つめながら、そっと微笑むハロルドとエヴァもまた彼に勇気づけられていた。




