第109話 流れる時間
ゲイルシールド城での惨事から五日。使用人たちの避難も一段落し、ようやく訪れることができた城内は閑散としていた。
「こっちを頼む」
「ああ、次は向こうを」
「おーい!こっちにも担架を寄越してくれ」
「火を絶やすな!薪を足せ!」
聞こえてくる兵士たちの声にも疲れの色が濃くなっていたが、何とか己を奮い立たせるように休むことなく手足を動かしていた。
「…遺体の埋葬、やはり手間取っているんですね」
「この城の使用人には身寄りのない者も多い。引き取り手がない者は国の共同墓地に埋葬することになっておるが…いかんせん、数がな」
使用人の死亡者数はおよそ三十名にも及んだ。他にも怪我人が数百名。そのほとんどはミアによる凶行で、混乱による二次災害が少なかったことは不幸中の幸いだった。
「火が出なかったのは幸いでしたね」
「ああ。とはいえ人の命に多いも少ないもないが…あれだけの状況で死者が三十名だったのは上出来と言う他ない」
戦であればこれの比ではない。あの経験がある者からすると最小限に留められたと思う方なのだろう。
朔月が護った使用人の他に、隠れて難を逃れた者たちも多くいた。広い城が幸いしたのだ。それでも歩く廊下はどこもかしこも血の痕が残り、まだ生々しい臭いを残している。
マシューは廊下の窓から訓練場の方を見下ろした。
「それでも…全員は助けられなかった」
ぎりっと、窓枠を掴んだ手に力が籠もる。こんなにも悔しいと思ったのは生まれて初めてだった。
あの日、孤児院に向かったマシューはそこでハロルドと合流した。しかし道を開いたのはクロトであり、転移魔法を展開したのはハロルドとブレイク家の魔道士たち。
自分にできたことと言えば、怯える子供たちをなだめすかし、混乱する使用人たちを誘導して怪我人の手当をする程度のことだった。
誰もが極限状態で尽力する最中、自分にできることのあまりの少なさを思い知らされた。
「マシュー」
ぽんっと、骨ばった手が頭に乗せられ振り返る。白髪混じりの老紳士、前王陛下のハロルドはマシューの心を読んだように目尻の皺を深くした。
「己の力量を知り、最善を尽くす。大切なのは力や知識だけじゃあない」
「ですが…」
慰められると余計に苦しい。こんな思いをしたのも初めてで、マシューは憤りのやり場を失ってしまう。
「あの時、怯える子供たちを安心させたのは君だよ、マシュー」
はっと、俯けていた顔を持ち上げる。そこにあるのは変わらず優しい老人の笑みだった。
「あの子たちは、君がいたから恐怖に負けずに済んだ。あの場所でそれができたのは、君だけなんだよ」
言葉に詰まった。溢れそうになる目頭をぐっと抑えて深呼吸を数回繰り返す。それでも呟いた声は震えていた。
「…私にも、まだできることはあるでしょうか」
「もちろん」
ばんっと今度は盛大に背中を叩かれて、思わず丸くなってた背筋が伸びた。
「君は信用に値する、人に優しい男だ。それだけで、やれることはいくらでもある」
「…っはい!」
閑散とした城内。今この城で動ける者はほとんどいない。ならばこんな自分でも、何かできることがあるかもしれない。
今も必死に死者たちを弔う兵士たちのように、手足を動かすくらいならば。自分の非力を悔やんでいる時間が惜しかった。
「マシュー?」
そうと決めれば善は急げと、ハロルドと二人で皆の元へ向かおうとした時。背後からかけられた声に振り返り、そして思わず目を見張った。
「久しぶりだな、元気そうでよかった」
そこに立っていたのは桃里だった。ばっさりと短くなった髪のせいか随分と印象は変わって見えるが、彼女はいつもの調子で手を振った。
「ご祖父上も、ご無事でなによりです」
しかし短く切り揃えられた黒髪が象る白い頬は、以前よりもどこか儚く感じる。例えるなら、いつの間にかふっと消え入ってしまいそうな、土の上で溶けかけた雪のような、危うい雰囲気。
「桃里。こんなところで君は何をしていたんだい?」
その様子に飲まれそうになるマシューの隣で、先に声をかけたのはハロルドだった。
「兵士たちの手伝いを。…今は何もすることがないし、体を動かしてないと鈍ってしまいそうで」
そう言って笑う彼女の腕にはまだ真新しい包帯が見え隠れし、満身創痍だと告げている。
「…そうか」
「ああ!そういえば、リヴィが目を覚ましてます。長く瘴気にあてられていたから少し心配だったけど…怪我も大したことなくて元気にしてます」
「…トーリ」
「今は部屋で休んでて、アッシュたちもそこにいると思うので、早く…行ってあげて」
「トーリ!」
矢継ぎ早に話す桃里に、マシューはいよいよ違和感を覚える。先陣を切って歩き出そうとする桃里の手を掴むと、ん?と緩慢に振り返った。
しかしその表情を見た瞬間、思わず言葉をつまらせたマシューの手は、桃里によってやんわりと解かれた。黒髪が、ふわりと揺れた。
「行こう」
いつもより小さく見える桃里の背中を見つめながら、マシューは歯がゆさに眉を寄せ、ハロルドは固く目を伏せてた。
傷付いた彼女にかける言葉すら持たない、やはり己は無力なのだと。




