第104話 決意を新たに
クロト先導の元、セオドアの指揮で使用人たちを城から逃している途中、城内から新たな一団が加わった。
朔月が連れてきたのは先に避難していた使用人の半数にも満たなかったが、僅かとはいえ逃げ遅れていた者たちを引き連れて出てきた少年は以前よりも頼もしく見える。
「無事だった使用人は全員逃した。あとはお祖父様とブレイク伯爵に任せよう」
「…ああ」
いつもは明るく活気付いている城内が、いよいよ死に支配されたように静まり返っていく。
「まるで嵐の前の静けさだ」
ミアを脱獄させて以降まだなんの動きも見せていないが、アリスは確実にこの城内にいる。そう肌で感じるほど不気味に沈黙している白亜の城をアシェルは見上げた。
「――待たせたな」
声とともに、ざあっと一迅の風が吹き抜けた。
まるで誘われるようにアシェルとセオドアが振り返ると、そこに立っていたのは見慣れた少女。否、見慣れているはずの少女だった。
「桃里――…」
新しいシャツに身を包んではいるが、襟元や袖口から覗く包帯は痛々しく、なにより肩口で揃えられた短い髪が彼女の印象を大きく変えていた。
「…結構気に入ってるんだけど、似合わないか?」
自分でも気づかぬ間に凝視してしまっていたのか、短くなった髪を弄りながらおずおずと訊ねてきた桃里にアシェルははっと我に返る。
「に、似合ってるに決まってるだろ!」
「なっ、何で怒ってるんだ」
勢い余って強めてしまった語気にたじろぐ桃里に、今度はあたふたと手を振って否定する。
「違う、本当に似合ってる、って思ってて」
桃里の後ろに控えていたジュリアが肩をすくめていたようだが、そんなことはどうでもいい。しどろもどろしているアシェルの隣で、セオドアも盛大に溜息を零した。
「…はぁ〜、もう。…あのね桃里ちゃん」
ぽんっと、アシェルの肩を叩いたセオドアは一歩前に出るとにっこりと微笑んだ。
「今の髪型もよく似合っててとてもクールなんだけど、アッシュは君の長い髪が好きだったから、ちょっとだけ残念なんだよ」
「なっ!?」
「へぇっ!?」
動揺してセオドアを見上げたアシェルと同時に、桃里も変な声をあげていた。そんな二人の姿を見やり、思わずといったようにジュリアが吹き出して顔を逸らした。
「だからね、また伸ばしなよ。…この戦いが終わったらさ」
ね、と片目を瞑ったセオドアに桃里は僅かに瞬いてからふっと目を細めた。
「…そうだな。そこまでアッシュが言うなら、また伸ばそうかな」
「俺じゃなくて兄さんがっ…、――いや」
咄嗟に否定しようとして、アシェルは一度口を噤む。
彼女の髪がまた元の長さに戻る時も、隣にいたいと思っているのは事実なのだ(心を読まれたみたいで少し癪ではあるが)。
「うん。また、伸ばしてくれ」
「わかった」
少し照れくさそうに笑い合う若い二人を見て、セオドアとジュリアは柔らかく目を合わせた。
「ああ、そうだ、桃里。…これを」
「っ…」
しばらく笑顔を交えたあと、ふと思い出したようにアシェルは小太刀を差し出した。藍色の鞘に収まる小太刀、桃里の父の刀である幽斬り丸"宵い星"だ。
小振りでもずっしりとした重みのある小太刀を受け取った桃里は、静かに目を伏せてそれを腰に差した。
母の刀、"夜霧三日月"と、父の刀、"幽斬り丸"。二本の刀を腰に帯びた桃里は、意を決するように大きく息を吐いた。
「――じゃあ、行こうか」
穏やかな時間も束の間、桃里はばさりと陣羽織を翻す。真っ白のシャツに反して、染み込んだ血で黒く色を変えたそれが風に靡いた。
ドンッと、城が揺れたのはその時だった。
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激しい揺れが起こったのは城の裏手、西側にある森に囲まれた離宮からだった。
中央塔から離宮を見下ろしていたエヴァは、そこから溢れ出してくる憎悪の気配に切れ長の目元を歪ませた。
「エヴァ様」
塔の中に入ってきたのは晴人だ。先程の揺れに動揺した様子もなく、いつもの涼し気な表情で隣に並ぶ。
「やはり、あそこですか」
「ええ。この城でアリスが行くとしたら、あそこしかないとは思っていました」
城の中でもごく限られた者しか近づけない場所。それがあの離宮だった。
「――母様、今の揺れは…!」
更に飛び込んできたのはセオドアと、それに続くアシェル、桃里、それにイーニアスとジュリアだった。
「城に残った者はこれだけですか?」
慌てる子供たちに向かって、エヴァは努めて冷静な声で問いかけた。
「はい。クロトとシロエ、朔月は使用人たちを孤児院へ避難させるための護衛についています。その先はお祖父様とブレイク伯爵卿が采配してくださる手筈です」
エヴァの落ち着いた声に応えるように、一度大きく息を吐いて状況を説明したのはセオドアだった。
「近衛部隊を筆頭に軍は孤児院、および城下町へ派遣、残りの兵は万が一逃げ遅れた者のために城外に配置し待機させております」
セオドアに続いてイーニアスが端的に補足する。それを聞いて頷いたエヴァは、僅かに安堵したように微笑んだ。
「わかりました。あなたたちも、よく生きていてくれました」
しかし改めて離宮の方へと視線を向けたエヴァは、もう母の顔をしてはいなかった。
「あの離宮に、誰がいるかは存じていますね」
「はい」
憎悪なんて生易しいものじゃない。桃里と晴人には肌が粟立つほど強く感じる、尋常ではない瘴気。そんな瘴気の只中に、オリヴィアはいる。
「あそこはルーカス…私の夫が住む場所。アリスとオリヴィアは、そこにいます」
そしてアリスの更に後ろ。その背後に潜むのはミアやアリスなのど比ではない、本物の化物だ。
「ここから先は、命の保証はありません。――お嬢」
「なんだ」
振り返った晴人は、そこでようやく桃里に視線を向ける。短くなった髪に少しだけ驚いたようだったが、晴人はすぐにいつもの飄々とした顔に戻った。
「変な頭ですね、おぼこくてよく似合ってます」
「どっちだ!」
怒り出す桃里に抑えるようきぽんっと頭を撫でる晴人の表情が、いつもより少しだけ柔らかく見えたのは気のせいだろうか。
「あそこはもう私やエヴァ様の小細工も通用しません。正面突破です。いいですか?」
ここに残った者は一騎当千。しかしそれはあくまで対人での話であり、眼下に潜む化物を前にしてはとても通用しないのかもしれない。
それでも行かなければならない。そのために、残ったのだ。
「参りましょう。オリヴィアが待っています」
エヴァが呪文を呟くと、塔の中にいた全員の体が僅かに宙に浮いた。
目指すは離宮、九尾の住処。




