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第101話 紅い天使

 それはまるで花吹雪のようだった。


 二つの影が絡み合っていた曇天の空から、はらはらと紅が舞い落ちる。


 その場にいた誰もが美しいと、場違いなことを思っていた。恐ろしくも美しい、この世のものとは思えないほどに紅い、光。




 訓練場から見上げた先、三階の観覧用バルコニーから二つの影が飛び出してくる。


 その瞬間、訓練場に集まっていた使用人たちから甲高い悲鳴があがった。


「――桃里!!」


 やはり先程の紅は見間違いではなかったのだ。


 近衛兵たちが武器庫から運び出していた無数の槍の上に向かって、二つの影は縺れるように落ちてくる。


 スローモーションにすら思えたのはそうであってほしいという願望からだろうか。


 次の瞬間、桃里の首元から紅が散った。


 血飛沫にも見えたそれに見上げていた群衆からは口々に悲痛な声が漏れる。


 まっすぐと落下してきた影のひとつは、空を掻く抵抗も虚しく、天に向かって鋭い刃を伸ばした槍の上に不快な音を立てて墜落した。


 耳を塞ぎたくなるほど醜い断末魔が城中を震わせる最中、しかしアシェルはそちらに気を止めることもなく走る。


 僅かに滞空していたように思えたもうひとつの影は猫のようにくるくると宙を回転しつつ、ふとその紅い瞳でアシェルを捉えた。


「――アッシュ!」


 アシェルが足を止めると同時に、桃里の周りにふわりと暖かい風が吹く。できうる限り両手を大きく広げた先で、彼女は少し悪戯っぽく笑ったように見えた。


 アシェルの魔力に包まれた小さな身体は、徐々に落下の速度を緩めいてく。


 まるであ(・)の(・)時(・)と同じ、既視感。


 はらはらと風に乗る紅い髪の中、まさに舞い降りるように降ってきた桃里が、ついにアシェルの腕の中に収まった。


「…ないすきゃっち」


 ぽすんっと肩口に頭を預けた桃里の第一声に、アシェルはあ然として固まった。


「…な、なにがナイスだ!馬鹿!」

「あー、やめて…頭がガンガンするんだ」

「っ……」


 濃厚な血の匂いを纏う桃里は、十代の少女には似つかわしくない身なりのままぐりぐりと眉間を押している。


「さすがに血を流しすぎた…肉が食べたい」


 はぁっと大きく吐かれた息も、抱き寄せた体も酷く熱い。ぼろ切れ同然のシャツの隙間からは生々しい傷が覗いている。


 しかしそんな状態でもまず空腹を訴えてくる桃里に、目頭が熱くなるのを堪えながらアシェルはぼろぼろの体を抱きしめた。


「ッイ…痛い痛い!」

「うるさい」


 その場に座り込んでぎゅうぎゅうと抱きしめるアシェルに桃里が抗議の声をあげる。


 とくん、とくんと、少し早い鼓動聞こえて彼女が確かに生きていると教えてくれる。


「…アッシュ、痛いってば」

「うん」

「…あちこち痛い……。なぁ…アッシュ。私、ちゃんと…生きてるよ」

「…ん」


 震える肩はきっと彼女に気付かれているだろう。それでも離す気にはなれなくて、アシェルはその熱を更に強く抱きしめた。


 癒やすことはできずとも、滾る熱を受け止めて引き止めることくらいならばできるだろう。


 燃え盛る炎のように苛烈な彼女が、いつかその炎に自ら呑まれてしまわないように。




「アッ……ガ…ガ……ッ……」


 口の端に血の泡をためながら、そ(・)れ(・)はまだ生きていた。


 仰向けのままびくびくと痙攣して跳ねる身体は打ち上げられた魚のようで、それでもまだ生きようと足掻いて深く突き刺さった槍から逃れるように蠢いている。


 真っ赤に染まった全身から、その正体を察することができる者はほとんどいないだろう。


「…ミア様」


 彼女はかつて公爵家のラナンキュラスと呼ばれていた。


 明るいオレンジの髪に、蕩けるような蜂蜜色の瞳。肌はピンク味を帯びた健康的な白さで、爪先まで手入れが行き届き、まさに絵に描いたような華やかな令嬢。


 そんな彼女のあまりに醜悪な今の姿を、イーニアスとジュリアは悲痛な面持ちで悼むように見つめていた。


「グ、ガ、ァッアア……!」


 これほどまでになっても死ぬことすらできない哀れな少女に、もう一人の少女が刀を携えて静かに歩み寄った。


 ずりっと片足を引きずりながら桃里は一歩ずつ歩みを進める。


「桃里様…」


 思わず駆け寄ったジュリアの肩をやんわりと押し退けて、桃里はまっすぐミアを見据えた。


「…今、楽にしてやるから」

「――桃里様!」


 意図を察して止めに入ろうとするイーニアスを静止したのは、意外なことにもアシェルだった。黙って伸ばされた腕が、それ以上二人に近付くことを許さなかった。


「殿下…!」

「………」


 普段であれば主に逆らうなど言語道断ではあるが、アシェルもこればかりは譲れなかった。反論しようとするも、桃里を見つめるアシェルの強い眼差しにイーニアスはついに口を噤んだ。


 静かに刀が振り上げられる。その刃先が微かに震えたように見えたのは気のせいではないだろう。


「…祓い給え、清め給え」


 躊躇いなく振り下ろされた刀の軌跡は、これまで見てきた三日月の中でもっとも美しい軌跡だった。


「…どうかもう、安らかに」


 眠って。


 ざあっと吹き抜けた風が、溢れていた瘴気を天へと巻き上げていく。


 城中にどろどろと膿のようにまとわりついていた憎悪や嫌悪が徐々に薄れて霞に変わる。


 煽られるように靡く短くなった紅の隙間から、ぽつりと一筋、透明な雫が地面に落ちた。


 些細な嫉妬から生まれたひとつの呪いが、雲の切れた晴れやかな空に消えていく。


 その日。一人の少女の雄姿が、ゲイルシールド城の者たちの胸に刻まれた。

五章終幕となりました。ここまで読んでくださり本当にありがとうございます。

いわゆるスカっとはなかったかもしれませんが、ミアとの因縁はここで(正確には次の一話で)終わりとなります。

ですが九尾との戦いはまだようやく始まったばかり。第一部の完結を目指していくので、これからも応援よろしくお願いします。

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