表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ひだまり商店街の小さな奇跡 〜海辺の雑貨店と、言葉にできない贈りもの〜  作者: ゆうぎり
第6章「パン屋①」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
51/56

朝のパン屋

 朝の空気は、少しだけ軽い。


 夜の静けさをほどき終えたばかりの町は、

 まだ完全には目を覚ましていない。


 ひだまり商店街の通りには、

 やわらかな光が差し込みはじめていた。


 店のシャッターが、ひとつ、またひとつと上がる音。


 遠くで、誰かが水をまく音。


 それらが重なりながら、ゆっくりと朝が形になっていく。


 モチオは、その通りを歩いていた。


 足取りは、落ち着いている。


 急ぐでもなく、遅れるでもなく、

 いつもの時間に、いつもの場所へ向かう。


 ひだまり雑貨店の前を通り過ぎる。


 まだ扉は閉まっている。


 カリーナは、少し朝が遅い。


 それも、もうわかっている。


 モチオは、少しだけ視線を向けてから、そのまま歩く。


 通りの奥へ。


 その先に――


 香りがある。


 焼きたての、やわらかな匂い。


 ほんのり甘くて、少し香ばしい。


 空気の中に溶け込むように広がっている。


 モチオは、ほんのわずかに歩みをゆるめる。


 意識が、その匂いに引き寄せられる。


(……パン)


 頭の中に、静かに言葉が浮かぶ。


 そのまま、足が自然と向かう。


 通りの角。


 小さなパン屋。


 扉は、半分ほど開いている。


 中から、あたたかな空気が流れ出ている。


 モチオは、立ち止まる。


 店の前。


 ほんの少しだけ。


 中を見る。


 棚には、すでにいくつかのパンが並んでいる。


 丸いもの。


 細長いもの。


 表面に、ほんのり焼き色がついている。


 まだ、湯気が残っているものもある。


 店の奥では、人が動いている。


 パン屋の店主だろう。


 背を向けたまま、手を動かしている。


 慣れた動き。


 無駄のない流れ。


 モチオは、その様子を静かに見ている。


 邪魔をしない距離で。


 ただ、観察する。


 そのとき――


 店主が、ふと動きを止める。


 ほんの一瞬。


 それから、また動き出す。


 ほんのわずかな違い。


 でも、モチオは気づく。


 流れが、少しだけ途切れた。


 理由はわからない。


 でも、さっきまでの動きとは、ほんの少し違う。


 モチオは、目を細める。


 店主の手元を見る。


 パンを並べる。


 位置を整える。


 少し離れて、また戻す。


 ほんのわずかな迷い。


 大きなものではない。


 でも、確かにある。


 モチオは、そのまま見ている。


 しばらくすると、店主が振り返る。


 モチオに気づく。


「ああ、いらっしゃい」


 やわらかな声。


 少しだけ低い。


 落ち着いた響き。


 モチオは、小さくうなずく。


「……おはようございます」


 店主は、軽く笑う。


「ちょうど焼けたとこだよ」


 そう言って、棚のパンを指す。


 モチオは、店の中に入る。


 一歩。


 足を踏み入れると、空気が変わる。


 外よりも、少しだけあたたかい。


 香りが、よりはっきりと感じられる。


 モチオは、棚の前に立つ。


 パンを見る。


 どれも、きれいに並んでいる。


 形も、焼き色も、整っている。


 でも――


 モチオは、少しだけ首をかしげる。


 違和感。


 ほんの小さなもの。


 言葉にはできない。


 でも、感じる。


 モチオは、ひとつのパンに目を向ける。


 丸いパン。


 表面は、きれいに焼けている。


 でも、どこか――


 少しだけ、硬い印象。


 触れてはいない。


 でも、見ただけでそう感じる。


 モチオは、手を伸ばす。


 そっと、持ち上げる。


 軽い。


 でも、少しだけ張りが強い。


 モチオは、静かに戻す。


 隣のパンを見る。


 似ている。


 でも、ほんの少し違う。


 わずかな差。


 それが、全体に広がっている。


 モチオは、ゆっくりと視線を動かす。


 棚全体を見る。


 整っている。


 きれいだ。


 でも――


 どこか、揃いすぎている。


 自然ではない、というほどではない。


 でも、少しだけ均一すぎる。


 モチオは、その感覚を受け取る。


 無理に言葉にしない。


 ただ、感じる。


 店主が、カウンターの向こうから声をかける。


「どうする?」


 モチオは、少しだけ考える。


 それから、小さくうなずく。


「……これを」


 さっき手に取ったパンを指す。


 店主は、それを袋に入れる。


 慣れた手つき。


 でも――


 やっぱり、ほんの少しだけ、間がある。


 モチオは、それを見る。


 袋を受け取る。


「……ありがとうございます」


 店主は、軽くうなずく。


「また来て」


 その言葉も、やわらかい。


 モチオは、小さくうなずいて、店を出る。


 外の空気に戻る。


 朝の光。


 やわらかな風。


 モチオは、袋を手に持ったまま、少しだけ立ち止まる。


 パンの重さを感じる。


 軽い。


 でも、確かにそこにある。


 モチオは、ゆっくりと歩き出す。


 ひだまり雑貨店のほうへ。


 通りは、少しずつにぎやかになっている。


 人の声。


 足音。


 生活の気配。


 その中に、さっきの匂いがまだ残っている。


 モチオは、ふと振り返る。


 パン屋を見る。


 扉は、開いたまま。


 店主の姿が、少しだけ見える。


 変わらない朝の風景。


 でも――


 モチオは、ほんの少しだけ目を細める。


(……少しだけ、違う)


 何が、とは言えない。


 でも、何かが。


 モチオは、その感覚をそのまま持つ。


 否定しない。


 決めつけない。


 ただ、そこにあるものとして。


 モチオは、また歩き出す。


 朝の光の中へ。


 新しい一日が、静かに始まっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ