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ひだまり商店街の小さな奇跡 〜海辺の雑貨店と、言葉にできない贈りもの〜  作者: ゆうぎり
第1章「はじまりの通り」

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また来る予感

 モチオは、ゆっくりと顔を上げた。


 どれくらいの時間が経ったのかは、よくわからない。


 長かった気もするし、

 ほんの少しだったような気もする。


 店の中の空気は、変わらずやわらかいままだった。


 光も、影も、静けさも。


 さっきと同じはずなのに、どこか少しだけ馴染んでいる。


 モチオは、小さく息を吐く。


 それから、ゆっくりと扉のほうへ歩き出した。


 急ぐわけでもなく、

 引き止められるわけでもなく。


 ただ、自然に、足がそちらへ向かう。


 床が、小さく音を返す。


 その音も、もう気にならない。


 最初に感じたときよりも、少しだけやわらかく聞こえる。


 店の中を横切るように歩きながら、モチオは、ひとつひとつを軽く目で追う。


 棚に並ぶ雑貨たち。

 光を受けるガラス。

 静かに置かれた、小さなものたち。


 どれも、変わらない。


 でも、さっきよりも少しだけ、近く感じる。


(……また来よう)


 ふと、そう思う。


 理由は、やっぱりはっきりしない。


 買いたいものがあるわけでもない。

 用事があるわけでもない。


 それでも、この場所に、もう一度来てみたいと思えた。


 それは、強い気持ちではない。


 でも、消えてしまうものでもない。


 静かに、そこに残る感覚だった。


 モチオは、扉の前で立ち止まる。


 手を伸ばして、取っ手に触れる。


 今度は、迷いはなかった。


 そのまま、ゆっくりと押す。


 扉は、静かに開く。


 外の光が、やわらかく流れ込んでくる。


 ちりん。


 ベルが鳴る。


 入ってきたときと、同じ音。


 でも、少しだけ違って聞こえた。


 さっきよりも、近くて、なじんでいる。


 モチオは、その音を聞きながら、一歩、外へ出る。


 通りの空気が、ふわりと包む。


 さっきと同じはずなのに、どこか少しだけやわらかい。


 振り返る。


 店の中は、さっきと変わらない。


 カリーナが、カウンターの向こうに立っている。


 目が合う。


 カリーナは、小さくうなずく。


 それだけ。


 言葉はない。


 けれど、それで十分だった。


 モチオも、小さくうなずき返す。


 それから、少しだけ間を置いて口を開く。


「……また、来てもいいですか」


 確認するような声。


 強くはない。


 でも、ちゃんと届く。


 カリーナは、すぐに答える。


「うん」


 短い返事。


 それから、ほんの少しだけ言葉を足す。


「理由がなくても、大丈夫だよ」


 その言葉は、この場所そのものだった。


 モチオは、少しだけ笑う。


「……じゃあ、理由なしで来ます」


 カリーナも、少しだけ笑う。


 それ以上のやりとりは、ない。


 それで、十分だった。


 ちりん。


 もう一度、ベルが鳴る。


 風が、少しだけ通り抜けたのかもしれない。


 モチオは、通りのほうへと歩き出す。


 石畳の上を、ゆっくりと進む。


 来たときと同じ道。


 同じ景色。


 でも、どこか少しだけ違う。


 足取りが、ほんの少しだけ軽い。


 呼吸も、少しだけ深い。


 モチオは、通りの奥を見る。


 まだ知らない場所が、続いている。


 その先に何があるのかは、わからない。


 けれど、さっきよりも少しだけ、楽しみに思えた。


(……いいな、この町)


 小さく、心の中でつぶやく。


 今度は、その言葉が、少しだけはっきりしていた。


 風が、やわらかく通りを抜ける。


 さっき感じた匂いが、かすかに混ざる。


 パンの甘さ。

 土の静けさ。

 遠くの潮の気配。


 その全部が、ここにある。


 モチオは、歩き続ける。


 急ぐ理由は、やっぱりない。


 でも、進んでいくことが、少しだけ楽しみになっていた。


 その背中を、通りの空気が、静かに見送っている。


 ――


 店の中。


 光が、やわらかく揺れている。


 カリーナは、いつもの場所に立ったまま、少しだけ目を細める。


 扉のほうを見る。


 さっきまでいた場所。


 その余韻が、まだ空気の中に残っている。


「来たね」


 小さな声が、どこかからこぼれる。


 カリーナは、少しだけ首をかしげる。


 聞こえたような、気がしただけかもしれない。


 店の奥。


 棚の影の中で、ほんの小さな光が、ふたつ揺れていた。


「来たね」


 もうひとつの声。


 それは、空気の中に溶けるように、小さかった。


「うん……来たね」


 やわらかな気配。


 まだ名前を持たない、ふたつの光。


 それは、静かに、嬉しそうに揺れていた。


 すぐに消えてしまいそうな、かすかな輝き。


 けれど、その存在は、確かにそこにあった。


 光は、やがて、また静かにおさまる。


 何もなかったかのように。


 店の中は、いつもの空気に戻る。


 やわらかく、静かで、少しだけあたたかい場所。


 その中に、ほんの少しだけ――


 新しい何かが、静かに残っていた。

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