【第9話】メモリーシティの片隅で
めもりんの後を追って、路地に入った。
今まで歩いたことのない道だった。メモリーシティの中心から少し外れた、細い路地。石畳が続いていて、両側に古びた建物が並んでいる。
「こんな場所があったのか」
「うん。ここはね、ステージとは違う場所なんだ」
めもりんが、ゆっくりと前を飛んでいる。
「記憶の残滓が集まる場所、みたいなもの。誰かの後悔の記憶じゃなくて……日常の断片が、風景として残ってるの」
路地の壁に、何かが映っていた。
映像のような、絵のような。ぼんやりとした光が、壁の表面に浮かんでいる。
近づいてみると、見覚えのある風景だった。
家族で行った海。夕暮れの砂浜。波の音。
「これ……小学生の頃だ」
「そう。こういう断片がたくさんある。心の奥にしまっていた忘れかけていた記憶たち」
俺は、壁の映像をゆっくりと眺めながら歩いた。
誕生日ケーキのろうそく。学校の帰り道に拾った石ころ。雨の日に窓ガラスを流れる雫を眺めていた、退屈な午後。
どれも、たいしたことじゃない。
だけど、確かにあった時間だった。
「ねえ、未来くん」
めもりんが、ふと立ち止まった。
「ゲームを作りたいって夢、いつ頃から諦めたの?」
「……諦めた、っていうか」
俺は、少し考えた。
「いつの間にか、夢って呼べなくなってた。就活の時、ゲーム会社は全部落ちて。それで最初に内定が出たところに入って……気づいたら、そこからずるずると」
「夢を諦めた、というより、いつの間にか遠くなった感じ?」
「そう。はっきりと諦めた瞬間があったわけじゃない。ただ、毎日をこなすうちに、気がついたらどこかに消えてた」
めもりんが、黙って聞いていた。
「就活うまくいかなかったのはなんで、だと思う?」
「実力不足だったのは確かだと思う。でも……それだけじゃなかったと思う」
「うん」
「なんというか……本気で向き合うのが、怖かった。全力でやって、それでもダメだったら、完全に終わりだって思って。好きなゲームだからこそ…だから、どこかで手を抜いてた気がする」
「本気を出して傷つくのが怖くて、自分から諦めに近いところに立ってたんだね」
「……そうかもしれない」
路地の先に、小さな広場があった。
真ん中に、古い木のベンチ。その周りに、木が一本だけ立っていた。葉が風に揺れている。どこからか、風が吹いているんだろうか。
「座ろう」
めもりんが、ベンチの横に浮かんだ。
俺は、ベンチに腰を下ろした。木の感触が、手のひらに伝わってくる。
しばらく、二人とも黙っていた。
悪くなかった。こういう沈黙が、めもりんとの間では自然だった。
「……めもりん」
「なあに?」
「改めて聞くけど、おまえって何者なんだ」
めもりんが、くすりと笑った。
「またそれ聞くの?」
「いや、なんか気になってきた。最初からずっと傍にいて、俺のことを全部知ってて。ガイドって言ってたけど、それだけじゃない気がする」
めもりんは、しばらく黙っていた。
木の葉が、さわさわと揺れる音だけが聞こえた。
「……ねえ、未来くん」
めもりんが、少しだけ真剣な声で言った。
「私が何者か、未来くんが一番よく知ってるんじゃないかな」
「俺が?」
「うん」
「それ、どういう意味だ」
めもりんは、また笑顔に戻った。
「今は、まだわからなくていいと思う。でも……いつかわかる時が来るよ。きっと」
それ以上は言わなかった。
俺も、それ以上は聞けなかった。
ただ、その言葉が胸の奥に引っかかった。
俺が一番よく知っている。
めもりんの正体を、俺が?
しばらくベンチに座っていると、壁の映像がまた動き始めた。
今度映し出されたのは、子どもの頃の部屋だった。
薄暗い部屋。小さなブラウン管のテレビ。そこに映るゲームの画面。コントローラーを握りしめて、画面に食い入るように見つめている小さな俺。
「これ、小学校の頃だな」
「うん」
「毎日こうしてた。親に怒られるまで、ずっとゲームしてた」
「楽しかった?」
「楽しかった。ていうか、ゲームの中にいる時だけ、全部忘れられた気がしてた」
「全部?」
「学校のこととか、友達関係とか、家のこととか。ゲームの中では、ちゃんと自分が主人公になれた。選択が意味を持って、頑張れば強くなれて……現実とは違った」
「……今もそう思ってる?」
俺は、少し考えた。
「今は……ゲームが逃げ場だとは思ってない。ゲームを作りたいって気持ちは、本物だった。でも、それをちゃんと形にしようとしなかったのは……やっぱり俺の弱さだったんだと思う」
「弱さじゃなくて、怖かったんじゃないの」
「同じことだろ」
「違うよ」
めもりんが、きっぱりと言った。
「弱いから怖いんじゃない。大事だから怖いんだよ。ゲームが未来くんにとって本当に大切だったから、失いたくなかった。だから本気になれなかった」
「……」
「それは弱さじゃなくて、それだけ大切に思ってたってことだよ」
俺は、壁の映像を見つめた。
コントローラーを握りしめた小さな俺が、画面に向かって真剣な顔をしている。
あの頃は、純粋だった。
うまくいかないとか、才能があるかとか、そんなこと考えずに、ただゲームが好きだった。
「……忘れてた」
「何を?」
「ただ、好きだったんだって。それだけだった、最初は」
めもりんが、静かに微笑んだ。
その瞬間、広場の空気が、ふっと柔らかくなった気がした。
壁の映像が、ぱっと明るくなる。
コントローラーを握る小さな俺が、画面を見ながら笑っていた。
《記憶の断片を受け取りました》
《修復率+10%》
《現在の修復率:70%》
「あ…上がった…」
「うん」
めもりんが、嬉しそうに頷いた。
「忘れてた気持ちを思い出せたから」
「ステージをクリアしたわけじゃないのに?」
「修復って、後悔に向き合うことだけじゃないんだよ。大切にしてたものを、ちゃんと思い出すことも、修復なんだ」
俺は、空を見上げた。
メモリーシティの空が、少しだけ明るくなっている気がした。
「めもりん」
「なあに?」
「ありがとう。ここに連れてきてくれて」
めもりんは、少し照れたように視線を逸らした。
「……どういたしまして」
立ち上がって、路地を戻り始めた。
メモリーシティの中心が、また見えてくる。
パネルを開くと、ロックされていた項目の表示が変わっていた。
■父との確執(難易度★★★)【解放】
「……開いた」
「うん」
めもりんが、真剣な顔で俺を見た。
「父親のステージは、今までとは少し違う。謝って終わり、とか、気持ちをぶつけて終わり、じゃない。もっと複雑だよ」
「わかってる」
「……本当にいける?」
俺は、パネルを見つめた。
父の顔が、頭に浮かんだ。
いつも背筋を伸ばして、感情をあらわにしない顔。褒めることも慰めることもなく、ダメ出しばかりしていた父。
ずっと、わかり合えないと思っていた。
「行く」
俺は、パネルに手を伸ばした。
【父との確執】(難易度★★★)
視界が、白く染まっていく。
光が、俺を包んだ。




