【第8話】あの頃の夢
光が収まると、そこは校庭だった。
放課後の風。草の匂い。遠くからボールを蹴る音が聞こえてくる。
ジャージの感触。まだ新しめのスパイク。
中学一年生の時の俺だ。
視界の端に、ホログラムが浮かんだ。
《ステージ:ゲームがやりたくて辞めた中学の部活》
《目標:過去の自分と、ちゃんと向き合ってください》
サッカー部の練習が始まっていた。
コーチの声に合わせて、部員たちがパス練習をしている。俺の体も、その輪の中にいた。
(そうか、サッカー部か)
なんで入ったんだっけ。思い出そうとすると、ぼんやりとした記憶が浮かんでくる。
仲のいい友達が入るって言ったから。特に他にやりたいこともなかったから。それくらいの理由だった。
パスが回ってくる。俺の体が、反射的に足でボールを止めた。
悪くない。下手でもなかった。だけど、特別うまくもなかった。レギュラーを目指して必死に練習しているわけでも、試合に出たくて燃えているわけでもなかった。
ただ、流れで続けていた。
それでも、悪くはなかった。
練習が終わって、仲間と並んで水を飲む時間。グラウンドに伸びる夕日の影。みんなでくだらない話をしながら帰る道。
それなりに、楽しかった。
(そうだったんだ)
忘れていた。あの頃のことを、ほとんど忘れていた。
光と共に場面が動いた。
ある土曜日の午後。練習が休みの日だった。
俺の体が、商店街を歩いている。特に目的もなく、ぶらぶらと。
ゲームセンターの前を通りかかった時だった。
入口から、電子音が流れてきた。それまで聞いたことのない種類の音。引っ張られるように、足が止まった。
中に入ると、一台の筐体が目に入った。
カラフルな画面。複雑なシステム。画面の前に立っているプレイヤーが、まるで別の世界に入り込んでいるみたいだった。
俺の体が、その筐体の前に立った。
コインを入れた。
その瞬間のことは、今でも鮮明に覚えている。
画面の中の世界に、引き込まれた。操作するたびに、キャラクターが動く。自分の選択が、世界に影響する。こんな体験は、今まで一度もなかった。
(これだ)
あの頃の俺が、確かにそう思ったのがわかった。
ゲームって、こんなにすごいのか。作った人は、いったいどんな人なんだろう。俺も、こういうものを作りたい。
その感情が、体の中からじわじわと溢れてきた。
また光が包み、場面が動いた。
それから数週間後。
職員室の前。顧問の先生に、退部を告げる場面だった。
「先生、部活なんですけど……辞めたいんです」
顧問が、少し驚いた顔をした。だけど、それだけだった。
「そうか。何か理由は?」
「やりたいことが、他にできて」
「わかった。今までお疲れさん」
それだけだった。
拍子抜けするくらい、あっさりしていた。引き止めもされなかった。特別な言葉もなかった。
俺の体は、「ありがとうございました」と頭を下げて、職員室を出た。
廊下を歩きながら、どこか胸がすうすうした。
引き止めてほしかったわけじゃない。だけど、誰も何も言わなかったことが、少しだけ寂しかった。
(そうか。俺、それくらいの存在だったんだな)
レギュラーでもなく、チームの中心でもなく、ただそこにいるだけだった。
それが、事実だった。
その時、廊下の影から黒いものが滲み出てきた。
今まで見てきた影の中で、一番小さかった。
子猫ほどの大きさ。ドロドロとした輪郭が、ゆらゆらと揺れている。
【後悔のかけら——なんとなくの残滓】
影が、声を発した。
俺の声だった。
『どうせ誰も気にしてなかった』
「……そうかもしれない」
『最初からちゃんとやる気がなかった』
「それも、そうだな」
影が、じわりと近づいてくる。
だけど、俺は怖くなかった。
「でも」
俺は、影を見た。
「あの時間が無駄だったとは思わない。あそこで仲間と過ごした時間は、確かにあった。あの帰り道も、くだらない話も、全部本物だった」
影が、揺れた。
「それに、あの土曜日がなかったら、俺はゲームと出会えなかった。部活を辞めたから、俺はあの筐体の前に立てた」
手のひらに、光が集まった。
力強くはない。だけど、迷いもなかった。
「なんとなく始めて、なんとなく辞めた。それだけの話だ。後悔するほどのことじゃない」
光が、影に触れた。
影は抵抗もせず、あっさりと粒子になって消えていった。
拍子抜けするくらい、あっさりとした終わりだった。
まるで、退部した時みたいに。
《記憶修復完了》
《修復率+10%》
《現在の修復率:60%》
《報酬:BP60、RP40を獲得しました》
校庭に、静寂が戻った。
夕日が、グラウンドを赤く染めている。
誰もいない校庭に、風だけが吹いていた。
「あっさりしてたね」
めもりんが、くすりと笑った。
「そうだな」
「でも、ちゃんと向き合えたじゃない」
「……向き合うっていうより、受け入れた、って感じだけど」
「それでいいんだよ」
めもりんが、静かに言った。
「全部が重たい後悔じゃなくていい。こういう、ちょっとした引っかかりにちゃんと気づいて、受け入れることも、大事な修復だから」
俺は、誰もいないグラウンドを見渡した。
あの頃の仲間の声が、まだどこかに残っている気がした。
「ゲームを作りたいって思ったのは、あの日からだったんだな」
「うん」
「夢に繋がってたんだ、あの時間が」
「そうだよ」
めもりんが、少し嬉しそうに言った。
「後悔の記憶の中にも、大切なものが眠ってることがある。それを見つけられたのは、未来くんがちゃんと向き合ったからだよ」
俺は、空を見上げた。
修復率60%。父のステージまで、あと10%。
「めもりん、父のステージはまだ開かないのか」
「うん。あと10%。……でも」
「行けるステージがない?」
「んーーー」
めもりんが、少し考えるような顔をした。
「実は、もう一つだけ選択肢があるんだ」
「選択肢?」
「ステージじゃないんだけど……メモリーシティの中に、まだ未来くんが行ったことのない場所があって。そこに行けば、少し修復率が上がるかもしれない」
「そんな場所があるのか」
「うん……行ってみる?」
めもりんの目が、少しだけ違う光を帯びていた。
いつもの明るさとは、少し違う。
何かを、期待しているような目だった。
「行く」
俺は、迷わず答えた。
めもりんが、にっこりと笑った。
「じゃあ、ついてきて」
光が、俺を包んだ。




