【第7話】記憶と勇気のマーケット
メモリーシティに戻ると、空がいつもと違った。
夕暮れ色だったはずの空が、どこか穏やかな橙色に変わっている。時計塔の針は静かに進んでいて、街全体がゆっくりと息をしているようだった。
「お疲れ様、未来くん」
めもりんが、隣に浮かんでいた。
「……ハルカのステージ、きつかった」
「うん」
めもりんは、余計なことを言わなかった。ただ、静かに頷いた。
それだけで、十分だった。
しばらく、二人とも何も言わなかった。広場のベンチに腰を下ろして、空を見上げる。メモリーシティの空。継ぎ目のある、作られた青。それでも今は、悪くないと思った。
「ねえ、未来くん」
めもりんが、少し明るい声で言った。
「ちょっと休憩しない?今日は特別なエリアが開いてるんだよ」
「特別なエリア?」
「うん!メモリーシティの記憶商店街、通称マーケットエリア。普段は閉まってることが多いんだけど、今日みたいに修復が一定以上進んだ時に開くの」
めもりんが、くるくると回転しながら前を飛ぶ。
「ついてきて!」
案内されてたどり着いたのは、にぎやかな商店街だった。
今まで見たメモリーシティとは、雰囲気が全然違う。
空にはゆっくりと回る歯車の雲。屋台や露店が所狭しと立ち並んで、色とりどりの光が溢れている。いい匂いが漂ってくる。何の匂いかはわからないけど、どこか懐かしい。
「いらっしゃいいらっしゃい!掘り出し物揃えてますよ~!」
威勢のいい声が飛んでくる。
店先に近づくと、ガラス瓶がずらりと並んでいた。
瓶の中に、何かが入っている。光の粒のようなもの。よく見ると、それぞれの瓶にラベルが貼ってある。
「祖母と小さな公園で過ごした夏の日」
「初めて自転車に乗れた朝」
「友達と夜通し話した、高校の文化祭前日」
「これ……記憶か?」
「そう!RPとBPを使って交換できるの。後悔の記憶ばかりじゃなくて、こういうところには"いい記憶"が集まってるんだよ」
俺は、棚をゆっくりと眺めた。
忘れていた記憶たちが、瓶の中で静かに光っている。
その中の一つが、目に止まった。
「祖母と小さな公園で過ごした夏の日」
「……これ」
見覚えがあった。いや、見覚えがあるような気がする。でも、どんな記憶だったのか、うまく思い出せない。
「RP100で交換できるよ」
「買う」
迷わなかった。
店主にRP100を渡すと、瓶がほんのりと光を放ち始めた。瓶を手に取った瞬間、温かい感触が手のひらから全身に広がっていく。
視界が、白くなった。
小さなベンチ。風鈴の音。
蝉の声が遠くから聞こえて、木陰が揺れている。
祖母が、隣に座っていた。
白髪で、皺だらけで、だけどいつも笑っていた。あの顔。
「ほら、溶ける前に食べなさい」
祖母が、アイスを差し出してくる。
小さな俺は、それを両手で受け取って、一口かじった。冷たくて、甘くて、夏の匂いがした。
祖母のひざの上に、うとうとしながらもたれかかった。
何も話さなかった。ただ、そこにいるだけだった。
それで十分だった。
視界が戻ってきた。
目の奥が、じんわりと熱い。
「……なんか、いいな」
「ね」
めもりんが、静かに笑った。
「ちゃんと"いい記憶"も残ってるんだよ。後悔ばかりじゃない。未来くんの中には、こういう時間もたくさんあったんだよ」
俺は、手のひらを見た。
もう瓶はない。だけど、さっきの温かさがまだ残っている気がした。
「……そうだな」
気がつくと、商店街をもう少し歩きたくなっていた。
別の棚に、瓶とは違うものが並んでいる。
結晶だった。
透明な、六角形の結晶。中に何かが閉じ込められているような、淡い光を放っている。
「これは?」
「RPじゃなくて、BPで交換できるやつ。記憶の断片じゃなくて、"感情の種"みたいなもの」
一つのラベルに目が止まった。
「昔の自分にあった前向きさ」
「……BP150か」
「使えば、ちょっとだけ勇気を取り戻せるかも。今の未来くんなら、持ってるんじゃない?」
所持BPを確認する。ここまでのステージで積み上げてきたポイントが、確かにある。
「買ってみる」
BP150を差し出すと、結晶が淡く光りながら、俺の胸の中に吸い込まれていった。
不思議と、心が少し軽くなった。
重たい荷物を一つ降ろしたような、そんな感覚。「もう一度やってみようかな」と思えるだけの、温かい何かが、心の底から湧いてくる。
「RPは"向き合った過去"、BPは"乗り越えようとする現在"」
めもりんが、静かに言った。
「どちらも、未来くん自身が生み出した力だよ。誰かにもらったものじゃない」
「……俺が、作ったのか」
「そうだよ」
商店街の賑わいの中で、俺はもう一度空を見上げた。
歯車の雲が、ゆっくりと回っている。
「めもりん」
「なあに?」
「このマーケット、誰が作ったんだ?」
めもりんが、一瞬だけ遠くを見た。
ほんの一瞬だった。だけど、いつもの明るさとは違う、何か別の表情が、そこにあった。
「……さあ、どうだろ」
めもりんは、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「少なくとも、未来くんのために開いてるのは確かだよ」
その答えが少し引っかかったけど、それ以上は聞けなかった。
商店街の出口で、めもりんが立ち止まった。
「次のステージはどうする?」
「んー父との確執かな?」
「そうだね…でも、父親のステージは、修復率が70%を超えないと開かないの。今は50%。あと少し、足りない」
「……じゃあ、まだ行けないのか」
「うん。でも、もうすぐだよ。あと一つか二つ、向き合えれば届く」
俺は、ステージ一覧を開いた。
■駄菓子屋さんでお釣りを多くもらったこと(難易度★)【クリア済み】
■ゲームがやりたくて辞めた中学の部活(難易度★)
■文化祭での告白(難易度★★)【クリア済み】
■親友ケンタとの喧嘩(難易度★★★)【クリア済み】
■クラスでイジメられていたハルカを助けられなかったこと(難易度★★★)【クリア済み】
■父との確執(難易度★★★)【解放条件:修復率70%以上】
■?????(難易度???)【解放条件未達成】
残っているのは、部活のステージだった。
「ゲームがやりたくて辞めた中学の部活か」
「うん。難易度★だから、そんなに重くないステージだと思う。でも……未来くんにとっては、大事な記憶かもしれないね」
そうだ。あれは後悔でもあったけど、ゲームにのめり込むきっかけになった記憶でもある。
「行くか」
「うん。頑張って」
めもりんが、にっこりと笑った。
俺は、パネルに手を伸ばした。
【ゲームがやりたくて辞めた中学の部活】(難易度★)
視界が、白く染まっていく。
光が、俺を包んだ。




