【第6話】止まった時間
光が収まると、そこは小学校の廊下だった。
給食の匂いが漂っている。どこかの教室から、賑やかな話し声が聞こえてくる。
体が、小学五年生になっていた。半袖のシャツ。廊下の床の、冷たい感触。
視界の端に、ホログラムが浮かんだ。
《ステージ:幼馴染ハルカのこと》
《目標:向き合えなかった後悔と、ちゃんと向き合ってください》
俺の体が、廊下を歩いていく。
教室の扉の前で、足が止まった。
扉の小窓から、中が見える。
ハルカが、一人で給食を食べていた。
長い黒髪。うつむいた顔。周りの席には同じクラスの女子たちが固まっているのに、ハルカの周りだけぽっかりと空いている。誰も話しかけない。ハルカも、話しかけない。ただ黙々と、スプーンを口に運んでいる。
(そうだ。あの頃、こうなってたんだ)
些細な噂が広がったのは、五年生の春だった。ハルカが誰かの悪口を言っていた、という話が一人歩きして、気づいたらクラス全体の空気が変わっていた。
無視。陰口。グループ作業での露骨な排除。
最初は俺も、ハルカの味方だった。
一緒に帰ったり、話しかけたり。幼馴染だから、当然そうすべきだと思っていた。
だけど、クラスの視線が俺にも向き始めた頃から、少しずつ、距離を取るようになった。
(俺は、逃げたんだ)
記憶の流れに引っ張られるように、体が教室に入っていく。
ハルカの横を通り過ぎる。目が合いそうになって、俺の体は自然と視線を逸らした。
記憶通りだった。あの頃の俺は、毎日こうしていた。気づかないふりをして、見えていないふりをして、ただ通り過ぎていた。
(見えてたのに)
場面が動いた。
放課後の教室。帰り支度をするクラスメイトたち。ハルカが一人で荷物をまとめていると、女子グループの一人が通りがかりに椅子を蹴った。わざとらしく「あ、ごめん」と言って、笑いながら行ってしまう。
ハルカは、何も言わなかった。
俺の体は、それを見ていた。
見ていながら、何も言わなかった。何も、できなかった。
(ここで、一言言えば良かった)
何度思い返しても、そう思う。たった一言で良かった。「それはないだろ」その一言だけで、何かが変わったかもしれない。
でも、言えなかった。
自分も標的になることが怖かった。クラスの空気に逆らうことが怖かった。ハルカのために動いて、それで自分が孤立することが、怖かった。
その時、教室の暗がりから影が現れた。
今まで見てきた影とは、形が違った。
はっきりとした人の形をしている。だけど、顔がない。背中だけが見えている。まるで、誰かから目を逸らして立っているような姿勢だった。
【後悔のかけら——背を向けた日々】
影が、声を発した。
俺の声だった。
『気づいていなかった』
「……違う」
『仕方がなかった。クラスの空気がそうだったんだから』
「違う」
『俺一人が動いても、何も変わらなかった』
「それも、違う」
俺は、影に向かって言った。
「気づいていた。ずっと見えていた。それでも、目を逸らした。それだけのことだ」
影が、揺れた。
「仕方がなかったとか、変わらなかったとか、そういう話じゃない。俺は怖かっただけだ。自分のことだけを考えて、ハルカから逃げた」
手のひらに、光が集まった。
「逃げたことは、もう変えられない。でも、今日ここで向き合う」
光が、影を包んだ。
影は低く唸り、ゆっくりと崩れていった。背中を向けたまま、粒子になって、消えていく。
静寂が戻った瞬間、教室の景色が揺れた。
壁が、床が、天井が、ゆっくりと溶けていく。
気がつくと、そこは公園だった。
さびついたブランコ、傾いたジャングルジム。あの頃、ハルカとよく遊んだ場所が、そっくりそのまま目の前にある。
夕暮れの色をした空。風が、草をなびかせている。
その公園に、少女の姿があった。
長い黒髪を揺らしながら、一人でブランコに座っている。
ハルカだった。
「……ずっと考えてたよ」
俺が近づくと、ハルカが口を開いた。こちらを見ないまま、ブランコを緩やかに揺らしながら。
「どうして、何も言ってくれなかったのか。どうして、黙って目を逸らしたのか」
「……」
「私、未来くんだけは違うって思ってた。信じてたのに」
その言葉が、胸に深く刺さった。
俺の罪悪感よりも、ハルカの「信頼を裏切られた痛み」の方が、ずっと重かった。
「……怖かったんだ」
口から漏れた言葉は、震えていた。
「クラスの空気が変わるのが。ハルカをかばえば、自分も標的になるって。自分のことばっかり考えて、君の痛みから目を逸らして……」
言い訳なんて、もう何の意味もない。
ただ、本当のことを伝えたかった。
「ごめん、ハルカ。俺は逃げた。弱かった」
ハルカは、しばらく黙っていた。
ブランコだけが、ぎい……ぎい……と、鈍い音を立てて揺れている。
「許せるわけないよ…」
ハルカが、静かに言った。
「ずっと、置き去りにされたって思ってたし、なんでって気持ちは消えてない」
「……ああ」
「でも」
ハルカの瞳が、少しだけ揺れた。
「こうやって向き合ってくれたのは……はじめてだった」
「同窓会でもみんな、私をいじめてたこと、綺麗に忘れてた。誰にも見つけてもらえなかった、私のあの時間を……君が見つけてくれた」
その言葉を聞いた瞬間、目の奥が熱くなった。
ブランコの音が止まり、ハルカの周りに淡い光が立ちのぼった。
「ありがとう、未来くん。やっと……止まってた時間が、動き出した気がするよ」
ハルカの姿が、ゆっくりと光に包まれていく。
まるで、ずっと封じ込められていた記憶が、ようやく息をし始めるように。
《記憶修復完了》
《修復率+15%》
《現在の修復率:50%》
《報酬:BP120、RP80を獲得しました》
光が収まると、公園には俺一人が残っていた。
空になったブランコが、風もないのにゆっくりと揺れている。
「……ありがとう、ハルカ。君の痛みを、忘れない」
俺は、誰もいない公園に向かって呟いた。
「彼女のこと忘れたらだめだよ」
めもりんが、静かに言った。
「もう起きてしまったことは変えられない。でも、今の君はまだ変えられる。過去に向き合って、今を生きる。それが大事なんだ」
「……そうだな」
俺は、空になったブランコをもう一度見つめた。
ハルカの姿はもう見えなかった。
そして、光が、俺を包んだ。




