【第5話】親友
光が収まると、そこは見覚えのある教室だった。
中学校の教室。夕焼けの差し込む窓、机の落書き、教科書の匂い。
前に来た時と、同じ場所だった。同じ時間だった。
制服の感触。少し伸びすぎた前髪が、目にかかる。
ケンタが、窓際の席に座っている。夕日で染まった校庭を、黙って見ていた。
視界の端に、ホログラムが浮かんだ。
《ステージ:親友ケンタとの喧嘩》
《難易度:★★★》
俺の体が、教室に入っていく。
足音を聞いて、ケンタが振り向いた。
その顔を見た瞬間、胸が痛んだ。いつもは笑っている顔が、今日は固く閉じている。警戒している目だ。
前に来た時より、もっと視線が鋭い。
「……また来たのかよ」
ケンタの声は、低かった。
「ああ」
「今更なにしにきたんだよ。前も同じこと言ったよな。謝りたいって。でも何も言えなくて、帰っただろ」
「そうだ」
「何回来ても同じだ。用がないなら帰れよ」
ケンタが、また窓の外に視線を戻した。
俺の体が、動かなかった。
前回はここで黙った。ここで固まって、何も言えないまま、ケンタに背中を向けられた。
今日は違う。
「ユキのことが、本気好きだった」
ケンタの肩が、ぴくりと動いた。
「おまえがユキのことを好きだって、知ってた。ずっと前から知ってた。名前が出るたびに声のトーンが変わるのも、視線が自然と追いかけるのも、全部わかってた」
「……だから何だよ」
「だから、自分の気持ちに気づいた時、認めたくなかった。おまえが好きな子を、俺が好きになるわけにはいかないって」
ケンタは、何も言わなかった。
「でも、文化祭の準備の時だ。ユキと一緒に段ボールを運んで、他愛もない話をして……その時に、はっきりわかった。俺、ユキのことが好きだって」
「……」
ケンタが、ゆっくりと俺の方を向いた。
表情は変わっていない。だけど、さっきより少しだけ、こちらを見ている。
「続けろよ」
低い声だったが、促していた。
「翌日、おまえが言っただろ。ユキってやっぱかわいいよなって」
ケンタの目が、細くなった。
「その瞬間、焦った。取られたくないって思った。自分でも驚くくらい、はっきりとそう思った」
「……それで」
「それで、おまえに何も言わないまま、ユキに告白した」
沈黙が、落ちた。
教室の外から、部活の掛け声が聞こえてくる。遠くで、誰かが笑っている。だけどこの教室の中だけは、時間が止まったみたいに静かだった。
「お前は一言も、言わなかったよな。告白する前も付き合った後も。」
ケンタの声は、怒りというより、確認するような声だった。
「ああ」
「なんで言わなかった」
「怖かった」
「何が」
「おまえと向き合うのが」
ケンタが、小さく息を吐いた。
「最低だな。親友だったのに相談もせず、向き合いもせず、自分から距離取って」
「ああ」
「俺たち親友だったよな?」
「ああ」
ケンタが、立ち上がった。
「今更来たところで何も変わらないだろ」
「おまえに、本当のことを話したかったから」
「本当のことを話したら、何か変わるのか。ユキとのことが、なかったことになるのか」
「ならない」
「じゃあ意味ないだろ」
「意味があるかどうかじゃない」
俺は、ケンタをまっすぐ見た。
「おまえに、ちゃんと話したかった。それだけだ。おまえと向き合えなかったこと、ずっと後悔してたから」
ケンタは、俺を見ていた。
何かを測るような目だった。怒りの奥に、別の何かが揺れている。
時計の秒針が進む音が教室に響く。
「……俺さ」
長い沈黙を破り、ケンタが、ぽつりと言った。
「おまえが告白したって聞いた時、頭が真っ白になった」
「……」
「裏切られたって思った。親友だと思ってたのに、なんでって。でも、それと同時に」
ケンタが、窓の外に目を向けた。
「自分が情けなかった。結局俺、ユキに何も言えなかったじゃないか。ずっと好きだったのに、ずっと言えないままで。おまえに先を越されて、それで初めて気づいたんだ。俺、ユキのことが好きだって認めることさえ、ちゃんとできてなかったって」
俺は、黙って聞いていた。
「おまえを責めてる間は、楽だった。全部おまえのせいにしてれば、自分と向き合わなくて済む。俺が告白できなかったのも、ユキを諦めたのも、全部おまえのせいにできる」
「……ケンタ」
「でも、本当はわかってた。おまえだけの問題じゃないって。俺がさっさと告白しなかったのが悪いのにな」
ケンタの声が、少しだけ震えていた。
男同士の、不器用な沈黙が続いた。
謝れとか、許すとか、そういう言葉は出てこなかった。ただ、お互いの本音が、初めてこの部屋の空気に触れていた。
その時、教室の暗がりから影が現れた。
前に来た時とは、明らかに違った。
前に来た時は、影は一つだった。今度は、二つの影が絡み合っている。一つは俺の輪郭に似ていて、もう一つはケンタの輪郭に似ていた。だけどどちらも顔がなく、境界が溶け合って、どこからが俺でどこからがケンタかわからなくなっていた。
大きかった。今まで見た影の中で、一番大きかった。
【後悔のかけら——絡み合った意地】
影が、声を発した。
俺の声と、ケンタの声が、交互に、時に同時に響いた。
『謝っても遅い』
『どうせ本音じゃない』
『許せるわけがない』
『許してほしいだけだろ』
『全部おまえのせいだ』
『全部俺のせいだ』
声が、ぐるぐると絡み合う。お互いの後悔と怒りと罪悪感が、区別もつかないまま混ざり合っている。
ケンタが、影を見て動けなくなっていた。
「ケンタ」
俺は、呼びかけた。
「あれは俺たちの後悔が形になったものだ」
「……なんだよ、それ」
「俺にもよくわからない。でも、あれを倒すには、俺だけじゃ無理だ」
「は?」
「俺一人の後悔じゃないから。あれは、おまえの後悔も混ざってる」
ケンタが、影を見た。
絡み合う二つの輪郭。溶け合って、複雑に絡み合っていた。
「……俺の、後悔」
「ああ」
影が、動き出した。
ゆっくりと、二人に向かって近づいてくる。声が、また響く。
『どうせまた逃げる』
『どうせまた黙る』
『何も変わらない』
『何も変われない』
「うるさい」
俺は、影に向かって言った。
「変われるはずだ。今日、ここで、ちゃんと話したこと。それは本当のことだ。俺たちはやっと向き合えた」
影が、一瞬揺れた。
「ケンタ」
俺は、隣に立っているケンタを見た。
「おまえが言えなかったのは、弱かったからじゃない。俺もずっと言えなかった。お互い、不器用だっただけだ」
「……」
「俺はおまえから奪おうとしたわけじゃなかった。ただ、好きだった。それだけは本当だ」
「……わかってる」
ケンタが、ぼそりと言った。
「わかってるよ、そんなこと。おまえがそういう奴じゃないのくらい、知ってる。だから余計に、腹が立ったんだよ。許せず、祝福してあげられない醜い自分に」
「いや、俺だって、おまえにちゃんと本音で話していたら良かったんだ。現実から逃げて、ただ後悔を残して…」
「好きな子が人のものになって、親友も同時に失った。ぐちゃぐちゃのまま、ずっとひきずってた」
「……俺も同じだ。おまえに申し訳なくて、でも謝り方もわからなくて、ぐちゃぐちゃのまま、ずっと逃げてた」
影が、また動いた。
だけど今度は、さっきより遅かった。
俺は、手のひらを見た。
光が集まっていた。前より、強い光だった。
でも、まだ足りない気がした。
「ケンタ」
「なんだよ」
「一緒に、やれるか」
沈黙。
ケンタは、影を見た。絡み合った二つの輪郭を、じっと見ていた。
「……やってやるよ」
ケンタの手のひらにも、光が集まり始めた。俺の光とは少し色が違う。だけど、並べると、どこか似ていた。
「行くぞ」
「ああ」
二つの光が、影に向かった。
影が、大きく揺れた。二つの輪郭が、解けるように分かれていく。絡み合っていたものが、ほどけていく。
声が、消えていった。
怒りの声が。罪悪感の声が。言えなかった言葉の残滓が。
ひとつひとつ、粒子になって、夕暮れの教室に溶けていった。
最後に残ったのは、静寂だった。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
夕日が、窓から差し込んでいた。床に、二人分の影が伸びていた。
「……まだ、許せてないからな」
ケンタが、先に口を開いた。
「わかってる」
「簡単に許せるかよ。そんな綺麗な話じゃないだろ」
「そうだな」
「でも」
ケンタが、窓の外を見た。
「おまえの本当の言葉を聞いた」
「……ああ」
「それだけだ」
それだけだった。
でも、俺たちの間では、それで十分だった。
《記憶修復完了》
《修復率+20%》
《報酬:BP150、RP100を獲得しました》
光が、教室を包んだ。
ケンタの姿が、光の中に溶けていく。
「また話せるかな」
俺は、消えていくケンタに向かって呟いた。
答えは返ってこなかった。
でも、さっきほんの少しだけ動いたケンタの口の端を、俺は覚えていた。
メモリーシティに戻ると、めもりんが待っていた。
「未来くん……」
めもりんの目が、少し潤んでいた。
「なんで泣きそうなんだよ」
「だって……よかった。ちゃんと話せたじゃない」
「まだ許してもらえてない」
「うん。でも、ちゃんとぶつかれた。それが大事なんだよ」
俺は、空を見上げた。
メモリーシティの空。継ぎ目のある、作られた青。
「次は……ハルカのステージに行く」
「うん」
めもりんが、静かに頷いた。
遠くで、あの音がまだ聞こえていた。
ピ、ピ、ピ……。
俺は、その音から目を逸らすように、パネルに手を伸ばした。




