表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メモリー・リコンストラクター 〜後悔修復の世界で〜  作者: 空腹原夢路


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/21

【第20話】目覚め

最初に戻ってきたのは、音だった。


ピ、ピ、ピ……。


ずっと聞こえていた、あの音。メモリーシティでも、屋上でも、核心領域でも、意識の底に届き続けていたあの音が、今は耳のすぐそばにあった。


規則正しく、静かに、確かに。


次に戻ってきたのは、重さだった。


腕が重い。脚が重い。まぶたが、鉛のように重い。


今まで感じたことのない種類の重さだった。


メモリーシティの中では、体はもっと軽かった。記憶の中を歩いても、疲れはあっても、この重さはなかった。これは、現実の重さだった。


それから、匂いが戻ってきた。


消毒液の匂い。メモリーシティにずっと混じっていた、あの匂い。ゲームセンターには似合わないと思っていた、あの匂いの正体は、これだったのか。


ゆっくりと、身体を動かそうとした。最初は動かなかった。もう一度試すと、わずかに開いた。


光が、細い隙間から入ってきた。眩しくて、脳の奥まで刺さるような眩しさで、反射的に目を閉じた。しばらく、そのままでいた。


呼吸を意識したのは、久しぶりの感覚だった。


息を吸うたびに、空気が肺に入ってくる。その感触が、なぜか新鮮だった。


もう一度、まぶたを開いた。白い天井が見えた。継ぎ目のある、白い天井。知らない天井だ。

塗料が微かに剥げた場所。蛍光灯の光を反射する、無機質な白。カーテンの向こうから自然光も差し込んでいて、二種類の光が混ざって病室を照らしていた。


病院だった。


遠くから、足音が聞こえた。廊下を歩く複数の足音。それから、誰かの声。内容は聞き取れなかった。ただ、人がいることがわかった。


世界は、続いていた。俺が意識を失っている間も、世界は続いていた。誰かが廊下を歩いて、誰かが話して、蛍光灯が白く光り続けていた。そのことが、妙に、温かかった。


扉が開く音がした。足音が近づいてきた。


看護師が来た。それからまた一人。声が増えた。


「わかりますか」


わかる、と言おうとした。声が出なかった。喉が乾いて、ひりひりとした。かわりに、わずかに頷いた。それだけで、周りの空気が変わった。慌ただしさの中に、安堵が混じった。


やがて、家族が来た。


誰かが、手を握った。節くれだった、大きな手だった。微かに震えていた。父の手だと、すぐにわかった。何も言わなかった。ただ、その手を握り返した。それだけで、目の奥が熱くなった。


夕方になった。カーテンの向こうの光が、橙色に変わっていた。


慌ただしさが去って、病室に一人になっていた。


ピ、ピ、ピ……。モニターの音だけが、変わらず続いていた。


右手を胸の上に置いた。心臓の鼓動が、手のひらに伝わってきた。規則正しく、確かに、打っていた。モニターの音と、鼓動が、重なって聞こえた。


生きてる。


その事実を、もう一度確かめた。


胸の奥に、温かい何かがあった。


めもりん…


めもりんの声はもう聞こえなかった。姿も見ることはできない。

ただ、確かに胸の奥にめもりんを感じた。


形は変わっても、ずっとある。そう言っていた言葉が、今になって、体の中から感じられた。


「……永遠」


声に出して、言った。掠れた声だった。久しぶりに使う喉が、うまく動かなかった。それでも、ちゃんと言えた。自分の名前を、自分の声で。


その瞬間、目の端から、何かが流れた。


拭おうとして、止めた。


拭わなくていいと思った。これは、ここに戻ってきた証だった。向き合えなかった全ての時間を、ようやく受け取れた証だった。


しばらく、そのまま天井を見上げていた。橙色の光が、少しずつ紫に変わっていく。


完全に夜になった。廊下の足音が、少なくなっていた。


俺は目を閉じた。眠れないと思っていたけど、体は正直だった。意識が、ゆっくりと沈んでいく。今度は、メモリーシティには行かなかった。ただの、眠りだった。深くて、静かな、本物の眠りだった。


眠りに落ちる直前、頭の中にケンタの顔が浮かんだ。「今度こそ、ちゃんと話そう」。手紙の言葉が、胸の奥で響いた。


行かないといけない。結婚式に、行かないといけない。向き合わないといけない人が、まだいる。話さないといけないことが、まだある。


それだけで十分だった。それだけで、明日が来る理由になった。


ピ……ピ……ピ…………。


モニターの音が、遠くなっていく。規則正しく、静かに、確かに。眠りの中に溶けていきながら、その音はまだ聞こえていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ