【第14話】記憶の図書館
メモリーシティの空が、まだ揺れていた。
灰色の雲が広がって、いつもの作られた青がどこにも見えない。建物の輪郭がぼやけて、石畳の継ぎ目が歪んでいる。
俺は、広場の真ん中に立っていた。
足元が、不安定で、この世界自体が揺らいでいるように感じた。
「未来くん」
めもりんが、俺の前に浮かんだ。
「一旦落ち着こうか」
「落ち着けって言われても」
「わかってる。でも、このまま核心領域に向かうのは……」
「確かに色々あって頭がこんがらがってるかも」
「そうだよね。だから、整理してから進んだ方が良いかも」
めもりんの目が、いつもより真剣だった。
「整理するのにうってつけの場所があるんだ」
「整理……」
「こっちついてきて」
めもりんが、街の奥へと飛んでいく。
俺は、その後を追った。
連れてこられたのは、今まで見たことのない建物だった。
メモリーシティの外れ。古いレンガ造りの、大きな建物。看板も表札もない。だけど、扉に手をかけると、自然に開いた。
中に入った瞬間、空気が変わった。
静かだった。
建物の中は、埃っぽいような、古い紙のような、懐かしい匂いがした。
天井まで届く本棚が、ずらりと並んでいた。
「ここは……」
「記憶の図書館」
めもりんが、静かに言った。
「メモリーシティの中でも、ここだけは安定してる。未来くんの記憶が、後悔としてじゃなくて……ちゃんと"歴史"として収まってる場所だよ」
俺は、本棚を眺めた。
背表紙に、タイトルが書いてある。
「駄菓子屋のお釣り」
「サッカー部の放課後」
「文化祭の前日」
「ケンタと並んで歩いた帰り道」
後悔の記憶だけじゃなかった。
「祖母のアイス」
「ゲームセンターの筐体」
「初めて自転車に乗れた朝」
マーケットで取り戻した記憶も、ちゃんとここに収まっていた。
「全部、あるんだな」
「うん。向き合ったものは全部ここに来る。後悔だったものも、ちゃんと"自分の記憶"として」
俺は、ゆっくりと棚の間を歩いた。
一冊、手に取った。
「ケンタへの本音」
ページを開くと、あの教室の夕日が見えた。ケンタの口の端が、ほんの少しだけ動いた瞬間。まだ許せてないけど、話は聞いた。そう言ったケンタの顔。
閉じた。
また一冊、手に取った。
「ハルカのブランコ」
ページを開くと、夕暮れの公園が見えた。空になったブランコが、風もないのに揺れている。やっと止まってた時間が動き出した気がする。そう言ったハルカの顔。
閉じた。
「……俺、色んなやつに向き合えてなかったんだな」
歩きながら、呟いた。
「うん」
「でも、改めて向き合おうとした」
「うん」
「それが、ここに残ってるのか」
「そうだよ」
めもりんが、静かに頷いた。
「後悔は後悔のままじゃない。ちゃんと向き合えば、自分の歴史になる。それが、修復ってことだと思う」
俺は、棚の奥まで歩いていった。
一番奥の棚に、まだ背表紙が白い本が並んでいた。
タイトルが、書かれていない。
「これは……」
「まだ向き合えていない記憶」
めもりんが、静かに言った。
「一番奥にある、白い本」
俺は、その中の一冊に手を伸ばした。
だけど、触れた瞬間、手が震えた。
冷たかった。
他の本とは、温度が違った。
「……これが、核心か」
「うん」
「あの日のことか」
めもりんは、すぐには答えなかった。
少し間を置いて、静かに言った。
「未来くんが一番、認めたくない記憶だよ」
俺は、白い本を棚に戻した。
まだ、開けなかった。
窓際の椅子に腰を下ろした。
図書館の中は、静かだった。外の揺れが嘘みたいに、ここだけ時間がゆっくり流れている。
「めもりん」
「なあに」
「おまえは……最後まで一緒にいてくれるか」
めもりんが、少し間を置いた。
いつもなら、すぐに「もちろん」と笑うはずだった。
だけど今回は、少しだけ、違う間があった。
「……一緒にいるよ」
めもりんが、俺を見た。
いつもの明るい目じゃなかった。何か別のものが、その奥に揺れていた。
「未来くん、一つだけ聞いていい?」
「なんだ」
「未来に希望を持ってる?」
その問いが、図書館の静寂に溶けた。
俺は、しばらく黙っていた。
天井を見上げた。高い天井に、本棚の影が伸びている。
「……わからない」
正直に言った。
「今は、まだわからない。でも」
俺は、めもりんを見た。
「ケンタが待ってる。ユキが待ってる。結婚式に行くって言った。それは本心だと思う」
「うん」
「だから……たぶん、未来に希望があるかはわからないけど、今は生きたいんだと思う。まだはっきりとは言えないけど」
めもりんが、小さく頷いた。
その顔が、少しだけ歪んだように見えた。
泣きそうな顔だった。
「……めもりん?」
「ごめん、なんでもない」
めもりんは、すぐにいつもの顔に戻った。
だけど、さっきの表情が、頭の中に残った。
「おまえって、本当に何者なんだ」
「もうすぐわかるよ」
「もうすぐ?」
「次に進めば」
めもりんが、図書館の奥を見た。
白い本が並ぶ、一番奥の棚。その向こうに、扉があった。
今まで気づかなかった。だけど、確かにそこにある。重い木の扉。取っ手に、光が揺れている。
「あそこが、核心領域への入口だよ」
「……あの扉の向こうに」
「うん。未来くんが一番向き合えていない記憶がある」
俺は、椅子から立ち上がった。
図書館の棚を、もう一度見渡した。
向き合ってきた記憶たちが、静かに並んでいた。
ケンタ。ハルカ。父。ユキ。
全部、ここにある。
「行こう」
俺は、奥の扉に向かって歩き出した。
めもりんが、隣に並んだ。
「未来くん」
「なんだ」
「怖くなったら、いつでも言ってね」
「ああ」
扉の前に立った。
取っ手に手をかけた。
冷たかった。
だけど、引いた。
扉が、ゆっくりと開いていく。
その向こうから、光が溢れてきた。
温かい光じゃなかった。
白くて、冷たい光だった。
遠くで、あの音が聞こえた。
ピ、ピ、ピ……。
今まで一番、近かった。




