【第11話】不器用な親子
光が収まると、またあの玄関だった。
薄暗い廊下。軋む床。冷たい空気。
前に来た時と、同じ場所だった。
視界の端に、ホログラムが浮かんだ。
《ステージ:父との確執》
《再挑戦》
俺の体が、廊下を進んでいく。
リビングのドアを開けると、父がいた。
ソファに腰を下ろして、新聞を広げている。いつもと同じ姿勢。いつもと同じ顔。
「……父さん、ちょっといい」
「なんだ」
「相談があって」
「座れ」
また、あの場面が始まった。
テーブルの上に、スクールのパンフレットが置かれる。父がそれを手に取って、数秒眺める。
だけど今回、俺は違う目で見ていた。
父の手が、パンフレットをめくる指が、わずかに止まった。
(あれ)
前回は気づかなかった。
父の目が、パンフレットのある一点で止まっていた。カリキュラムのページ。ゲームデザインの項目。
ほんの一瞬だった。だけど確かに、父はそこを、じっと見ていた。
「断る」
「ちょっとは聞いてくれよ、俺はずっとゲームを作りたくて」
「ゲームなんて、ただの玩具だ」
その言葉が出た瞬間、俺は今度は違う場所に目を向けた。
父の顔だった。
怒っていなかった。
声は低くて、言葉は鋭かった。だけど、目が、怒っていなかった。
(何が、あの目に浮かんでいるんだ)
「くだらない。それにお前はいつも中途半端だ。今回もただの思い付きで、本気じゃないだろ」
「本気だ」
「お前が最後まで何かを成し遂げたことがあったか。部活だって途中で辞めただろ」
「本気なら、今まで何をしてきた。大学でプログラムを学んだか。ゲームを自分で作ってみたか。準備もせずに夢だと言うのは、ただの夢見がちな子供と一緒だ」
「本気じゃないことに金は出せない」
前回と同じ言葉が、同じ順番で並んでいく。
だけど今回、俺の体は違う動きをした。
立ち上がりかけて、止まった。
「……父さん」
父の手が、また止まった。
「俺、一回も聞いたことなかった」
「なんの話だ」
「父さんが、何になりたかったのか。どんな夢があったのか」
沈黙。
父が、新聞をゆっくりとテーブルに置いた。
「……関係ない話だ」
「関係ある気がする」
「お前の就職の話をしている」
「俺はずっと、父さんに話を聞いてほしかった。でも俺、父さんの話を一回も聞いたことがなかった」
父が、俺を見た。
いつもと違う目だった。
何かを、測るような目だった。
場面が揺れた。
リビングが、薄れていく。
気がつくと、そこは見覚えのない部屋だった。
古い、小さな部屋。木造の安アパートのような作り。窓から、見知らぬ街並みが見える。
部屋の隅に、机があった。
その上に、画材が置いてあった。
絵の具。筆。スケッチブック。
スケッチブックを開くと、建物のデザイン画が描いてあった。細かい線で丁寧に描かれた、建物の設計図のような絵。
(これは……)
めもりんの声が、耳元で静かに響いた。
「お父さんの、若い頃の部屋だよ」
「……父さんが?」
「うん。建築家になりたかったんだって。大学の頃、ずっとデザインを描いてたみたい」
「そういえば、そんなこと言ってた気がする…」
俺は、スケッチブックをめくった。
ページごとに、建物のデザインが並んでいた。どれも丁寧で、細かくて、時間をかけて描いたことがわかった。
「なんで……建築家にならなかったんだ」
「就職活動がうまくいかなかったから。設計事務所は全部落ちて、結局別の仕事に就いたんだって」
俺は、スケッチブックを閉じた。
胸の奥に、何かがじわりと広がった。
父も、落ちたんだ。
夢があって、準備して、それでも全部落ちた。そして、別の道を歩んだ。
「現実を見ろ」という言葉の重さが、変わった気がした。
あれは、息子を否定したかったんじゃなかったのかもしれない。自分が経験した痛みを、息子に経験させたくなかっただけだったのかもしれない。
だけどその伝え方が、あまりにも不器用だった。
場面が戻った。
夜のリビング。就活全滅を報告した夜だった。
「……ゲーム会社は、全部ダメだった」
父が、新聞をゆっくりと折り畳んだ。
あの沈黙。
前回は、その沈黙から目を逸らした。重くて、耐えられなくて、早く部屋に戻りたかった。
今回は、逃げなかった。
父の顔を、ちゃんと見た。
父の目が、わずかに伏せられていた。
軽蔑じゃなかった。
怒りでもなかった。
その目の奥に浮かんでいたのは、痛みだった。
息子が傷ついていることへの、不器用な父なりの痛みだった。
「……これからどうする」
「営業職で探す」
「そうしろ」
言葉は、素っ気なかった。だけど今なら、その言葉の裏にあるものが少しだけわかった。
それ以上何も言わなかったのは、冷たかったからじゃない。
何を言っても、傷口に塩を塗るだけだとわかっていたから。
だけど父も、それ以上の言葉を持っていなかった。
お互い、不器用だった。
今の俺が、父の前に立った。
「父さん」
父が、俺を見た。
「俺、ずっと父さんに話を聞いてほしかった。認めてほしかった。でも……俺も父さんの話を、一度も聞いたことがなかった」
「……」
「建築家になりたかったんだろ。それが夢だったんだろ。俺、聞いたことあった気がするけど、忘れてた…いや、興味を持とうとしてなかった…」
父が、静かに目を伏せた。
「お前に、関係のない話だ」
「関係ある。父さんのことをもっと知らなければならなかった。父さんが何を考えていたのか、何を諦めたのか、俺に何を伝えたかったのか。全部、聞かないといけなかった」
沈黙。
長い沈黙だった。
「……お前は」
父が、ゆっくりと口を開いた。
「怒らないのか。スクールを断ったことを」
「怒ってた。ずっと怒ってた」
「そうか」
「でも、今は……父さんが怖かったんじゃなくて、俺も怖かったんだと思う。本気でやって、それでもダメだったら、完全に終わりだから。だから父さんの言葉に乗っかって、諦める理由にしてた部分もあった」
父は、何も言わなかった。
「父さんも、同じだったんじゃないのか。俺に厳しくしてたのは、俺に傷ついてほしくなかったからなんでしょ」
また、沈黙。
父の目が、わずかに揺れた。
「……不器用な親だったな」
「俺も、不器用な息子だった」
その瞬間、部屋の空気がふっとやわらいだ気がした。
壁の時計が、柔らかく時を刻み始めた。
その時、部屋の隅から影が現れた。
前回と同じ、顔のぼやけた影。だけど今回は、前回より輪郭が薄かった。
【後悔のかけら——否定しきれなかった言葉】
影が、声を発した。
『お前は本気じゃなかった』
「……そうかもしれない」
『ゲームはくだらない』
「そうは思わない。でも、本気でやり切れなかったのは本当だ」
影が、揺れた。
「だけど、それは父さんのせいじゃない。俺が向き合わなかっただけだ。父さんの話も聞かずに、自分の言葉だけ聞いてほしいって思ってた。それが、一番の後悔だ」
手のひらに、光が集まった。
今度は、ちゃんと集まった。
穏やかな光だった。怒りでも悲しみでもない、静かな光。
「もう終わりだ」
光が、影に触れた。
影は静かに崩れ、粒子になって、夜のリビングに溶けていった。
《記憶修復完了》
《修復率+15%》
《現在の修復率:85%》
《報酬:BP130、RP90を獲得しました》
リビングに、静寂が戻った。
父の姿が、光の中に溶けていく。
「……ありがとう、父さん」
誰もいなくなった部屋に向かって、俺は呟いた。
「話を聞けなくて、ごめん」
光が収まると、メモリーシティの夜空が広がっていた。
めもりんが、静かに隣に浮かんでいた。
「……よかった」
「うん」
「父さんのことを、何も知らなかったんだな。知ろうともしなかった」
「うん」
「話を聞いてほしかったのに、自分は聞いていなかった。ケンタも、ハルカも、父さんも……俺、いつもそうだったんだ」
めもりんが、静かに頷いた。
「向き合うって、自分の言葉を伝えることだけじゃないんだよね。相手の言葉を、ちゃんと受け取ることでもある」
「……そうだな」
俺は、空を見上げた。
修復率85%。
パネルを開くと、新しいステージの表示が出ていた。
■ユキとの関係(難易度★★★)【解放】
そして、その下に。
■?????(難易度???)【解放条件未達成】
「……ユキのステージが開いた」
「うん」
めもりんの声が、少しだけ重くなった。
「ユキちゃんのステージは……今までと少し違うよ」
「でも、挑戦しないとな」
「うん。向き合うのは、怖いかもしれない」
「ちゃんと向き合う」
俺は、パネルを見つめた。
ユキの顔が、頭に浮かんだ。
付き合って、ぎこちなくなって、自然消滅した。それだけだと思っていた。
でも、本当にそれだけだったのか。
「行く」
俺は、パネルに手を伸ばした。
【ユキとの関係】(難易度★★★)
視界が、白く染まっていく。
光が、俺を包んだ。




