16
「――いただきます」
手を合わせて食べ始める咲倉の様子を私たちはただ見ているだけ。
京が浄化をしても、やはりまだ彼女の目は虚ろで焦点が合わない。
咲倉はトーストを自分の口許に持っていき、ぱくり、と一口。――依然として、表情は崩れない。
「咲倉さん、おいしい?」
「あなた誰?」
まだ言ってるよ……。
トーストを完食すると次は咲倉母が娘の為に愛情を込めて作った手料理に手をつける。
箸が用意されているのにも関わらず、箸を持とうとしない咲倉。
そのまま手づかみでウインナーを口に運ぶのを見て、何も言えずにはいられなかった。きっとまだ悪霊が棲み着いている名残。でも、その名残を無くしてあげたくて。ちゃんと可愛い人間の女の子になってもらいたくて。――そしたら、友達に、親友に、なれる気がする。『咲倉の親友』という嘘が嘘じゃなくなる。
「咲倉さん、箸あるよ」
「箸……?」
「そう、食べ物を掴んで食べる為のモノ」
「……」
「食べさせてあげるね」
あーん、して食べさせる。
まずはウインナーから。
噛んだ瞬間、美味しい肉汁が口いっぱいに広がっているはず。
「おいしい?」
「あなた……」
ん、なんか咲倉の様子が……おかしい?
今度はレタスやキュウリ、トマトなどが乗ったサラダ。
サラダを食べても咲倉の表情は崩れなかった。
だが、目玉焼きと咲倉母が咲倉の為によく作ってくれるというコーンスープを口に含むと、娘の様子が一変した。
「あれ――?」
「咲倉さん、泣いてるの?」
「美味しい、美味しい、美味しい……! 美味しい!」
ガツガツ、と目玉焼きをあっという間に食べ、コーンスープも全部飲み干した咲倉。
彼女の瞳からは大粒の涙が零れ落ちている。
「どうして? わからない。私、あれ? 誰あなた? ……ママ。ママ美味しかったよ! ママっ……! ありがとうっ……!」
咲倉は一目散に《《京に》》駆け寄り、抱きつく。京も困惑しながらも、どうしていいのか分からず抱きしめ返した。
本当に京がお母さんだと思っているみたいだ。
「咲倉、ママはこっちよ」
「ママ……!」
「俺はママじゃない」
咲倉は聞いちゃいない。
でもなんだろう、この胸のざわめきは。
複雑な気持ちになった。
私のほうが先に京のことを知っているのに、彼に抱きしめられたことがない。なのに、知り合って日も浅い彼女が彼に抱きしめられている。
私だって――! 、いや、この先は考えたくない。でも確かなのは私が咲倉に嫉妬している、という事実だけだった。
「叶、どうした。目が怖いぞ」
「いい加減! 離れて下さい!」
無理やり京と咲倉を引きはがす。そして、咲倉を咲倉母の元へと戻す。
遠目で咲倉を眺めるとちょっとした変化に気づいた。
広範囲に紫色に変色した皮膚の面積が小さくなっているような気がする。
「――咲倉さん、変わりました?」
「だな。半分あやかしなのには変わりないけど、母親の料理を食べて邪気が抜けたんだろう」
「良かったですね、《《ママ》》」
「だから俺はママじゃねー!」
京が咲倉のママかどうかはさておき。咲倉の邪気がほんの少し抜けたのは良かった。これで話が聞ける――聞きやすくなっただろう。
「咲倉さん、こっちおいで」
告げると咲倉は磁石のように私のあとをついてくる。
向かう先はさっきまでいた部屋――咲倉の部屋だ。
扉を開けて……わああーん、さっきの記憶が蘇ってくるうー。ここで咲倉の魂が乗り移った《《人形》》にコケて、彼に頭を撫でられたっけ。
もう同じ失敗は繰り返したくない。
「叶はコケるのか? どうなんだ!? コケるか? コケないか? どっちだ!?」
「うざいです、黙って下さい」
「――ふふ」
音々ちゃん! 何が可笑しいの?
そんな音々の小さな呟きが耳に入るか入らないかというところで――。
まるで音々の呟きが何かの合図のように――。
――目の前の成人男性がコケた。そしてすぐ後ろにいた私もドミノのように後ろに倒れた。
何故この家に棲み着いていた、悪いあやかしは全部一掃したはずなのに京はコケたんだろう。これはつまり、京が私以上にドジだっていう証明なのでは?
「ぷっ。狐耳でも撫でてあげましょうか。人のこと散々馬鹿にしておいて、恥ずかしいですね。《《何もないところ》》でコケるなんて」
「――いや、ちょっと待て。この床、ツルツルして滑らないか?」
「たしかに」
「ふふ」
だから! さっきから何が可笑しいの、音々ちゃん。
「私が咲倉と一緒に床にオイル、塗ったんです」
「何の為に!?」
「床が汚れていたので」
「ウェットシートで拭けばよくない??」
「省略して言うならば『いたずら目的』ですね」
省略してもしなくてもいたずら目的だよ!
「楪葉京さんと叶先輩のいちゃいちゃ、もっと見たいので」
悪意しかない……。
音々ちゃんもコケればいいのに。
――私たちは丸いローテーブルを囲うように座った。
私の正面に座るのが京、音々の正面に座るのが咲倉、といったかたちで。
「――それで、なにか覚えてることってある? どんな些細なことでもいいよ」
「最後の記憶は図書室。友達と本読んでた。そしたら寝ちゃった」
「やっぱり。《《事件》》はその直後に起きたわけですね」
「それと《《悪いあやかし》》について覚えてることってある?」
「――藤白音々」
「私!?」
いや、音々ちゃんは悪いあやかしじゃないでしょ……。
「目の前に座ってるの、藤白音々」
ようやく少しずつ、知っている人物の記憶を取り戻してるわけか……。それは喜ばしいことだけどセリフのタイミングがタイミングなだけに面白いことになっている。
「「「うん、知ってる」」」
「私、音々と友達になりたい」
「それはやめたほうがいいぞ。藤白は優しそうに見えるかもしれないが、毒舌で人の心が無――」
「――いいですよ」
こうして二人は友達になるのだった。完。
いや、『完』じゃなくて! 友達できて良かったね、音々ちゃん。
そう安堵していると、いきなり咲倉は爆弾発言を投下してきた。
「私の好きな人は音々が好き。私のことは好きじゃない」
「!?!?」
「げ」
音々は爆弾発言に対し、心底めんどくさそうな顔をした。
私は苦笑するしかない。
「ほら、咲倉。そういうことは口外しないほうがいいよ? いくら好きな人でもプライバシーの侵害。あとその人に『告白してこないでね』って言っといて」
そう早口で捲し立てる音々。
タメ口音々ちゃんは物凄くレアだ。だけど彼女はめっちゃ怒ってる……?
「ごめんなさい……」
「……」
「――それにしても、藤白のことを恋愛的な意味で好く奴がいるとはな……」
「楪葉さん、失礼です」
私もそう思った。
あ、また敬語音々ちゃんに戻った。
「そいつ、妖怪じゃないだろうな?」
「私を人外にしか好かれない、みたいな言い方やめてくれません?」
音々は京を肘で小突いた。
「いって! ほら、咲倉。藤白はこういう奴なんだ。友達になんてならないほうがいい。いって!」
「もっと友達になりたいと思った」
「なんで!?」
「私には好きな人にお近づきになりたいが為に私と友達になろうとしているようにしか思えないのだけれど」
「…………」
咲倉さん、黙っちゃったよ。
「それで咲倉の好きな人って誰ですか」
さっき、プライバシーがどうとか言ってたよね? 、音々ちゃん?
「峰田怜人くん。高校一年生」
「……人間じゃん」
なに、人間じゃダメだったの?
「あやかしじゃねえの? いって。いたたたた」
相変わらず京は失礼。
て、何の話してたんだっけ。話、逸れすぎじゃない?
「――それで悪いあやかしとか異形とかって見てない?」
「見てない」
「そっか……」
収穫はナシ。残念だ。
結局、どんなに頑張っても有力な話は得られなかった。これ以上、峰田怜人の恋のように進展はしないように思えたが――。
「――咲倉、外歩いてみてくれないか」
いきなり何言うの、このあやかし。
「外……」
「そうだ、外。凄く危険なんだが俺たちが見守ってるから。本当に危険な状況になったら、俺が咲倉を守る。信じてくれ」
なんだろう、このもやもや。私がいるのに『俺が守る』とか簡単に言わないでほしい。妬いちゃうじゃん。
私は彼の着物の袖をくいくい、と引っ張る。彼はその仕草に気づいていたが、気づいていないフリをする。
「何の為に咲倉を出歩かせるんですか? 何の趣味ですか?」
そう言うのは音々だ。
「――咲倉を囮にするんだ。呪いを掛けて、記憶を封じているとはいえ、未だに切り裂き女は《《咲倉を狙っている》》だろう。ひょいひょい、と散歩でもしてたら真っ先に襲われるだろうな」
「ひっ!」
「楪葉さん」
「これ以上、咲倉さんを怖がらせないでくれませんか」
「……悪かった」
ここから暫くは無言が続いた。仮に咲倉を囮にするにしても、咲倉の許可が出ないといけないわけで。許可待ち、といったところだろうか。
京から聞いた話だと咲倉を先頭に歩かせて、私たちが彼女を尾行するらしい。そして現れた切り裂き女の写真を撮る。その写真をどうするのかは、まだ教えてくれない。
多分だけど京のあやかし仲間にでも情報共有するんだろうな。
にしても、咲倉さん、不憫過ぎる。
「――咲倉、LIMO交換しませんか」
「おーけー。大歓迎」
音々ちゃんは(絶対、何か企んでる……)といった顔をした。私も音々ちゃんに同感。
「あのさ、私器用だから峰田くんと咲倉をくっつかせることだって出来るんですよ?」
自分で『器用』とか言っちゃうんだ……。
「……それは結構です」
「何でですか」
「……」
「誰か代わってくんない?」
音々ちゃん、敬語崩れてるよ。あと、何故に私の目を見るの?
「あー、私も咲倉さんとLIMO交換したいー」
「先輩はダメ」
「何で?」
「峰田怜人か藤白音々じゃないから」
「怖いんですけど。誰か私をこの三角関係から逃がしてくれませんか? 助けてくれませんか、叶先輩」
無理なお願いをされた。
音々ちゃんも不憫だ……。
「咲倉、囮作戦に同意してもいいよ、って時になったらメッセ下さい」
「わかった」
――ガチャリ。
扉が開く。
扉のほうを見ると、飲み物やお菓子を乗せたおぼんを持った、咲倉母の姿が。
「自由に食べてねー」
おぼんの上にはオレンジジュースが入ったグラスが《《3本》》、それからクッキーやチョコレートなどのお菓子が沢山乗せられていた。
「「ありがとうございます」」
「ありがとう、ママ」
て、楪葉さんの分のオレンジジュース無いじゃん。そっか、視えてないのか……。勿体ないよね、こんなに面白いキャラクターが視えてない、だなんて。
音々はグラスに入った氷をストローでかき混ぜていて、咲倉はチョコレートに手を伸ばしていた。私は溜め息をひとつ吐く。
咲倉母の目には女子会をしているように見えてるんだろうな、と思う。
咲倉母の前で恋バナやあやかし関連の話をする気にもなれず、一同黙っていると――。
「――咲倉、彼氏まだ出来ないの? 家に連れてきてもいいのよ?」
「!?!?」
元凶がここにいた……。
「……音々と仲良くなりたい」
「……」
「もうすぐ出来るからママは黙ってて」
「《《もうすぐ》》出来るのね、分かったわ」
「不穏」
咲倉のお母さんが彼女の部屋からいなくなってからも、恋バナで盛り上がっていた。主に咲倉の恋とそれに巻き込まれる音々ちゃんの話だけれど。
「ちょっと潜ります」
「潜る!?」
音々ちゃんは恥ずかしいのか、困り果てた末なのか、ベッドに潜り込んでしまった。
そんな音々だが、過去に好きな人がいたらしい。
それって、前にプラットホームで話してくれた、あのあやかしのことだろうか。
真相は音々にしか分からない。
でも、照れている音々ちゃんは可愛かった。




