藤岡酒造で蒼空純米大吟醸を堪能するおじいちゃん。鳥せいで鉄板コースは量が多いから酒蔵弁当に変更。大満足のおじいちゃん
藤岡酒造の中に入ると、おじいちゃんがまず「おお」と小さく声を漏らした。
外から見た感じよりも、中はずっと落ち着いていて、酒の並べ方もどこかしゃれている。
博子が前を歩きながら、蒼空のラインナップを指で示すと、おじいちゃんは
素直に感心したように見回した。
「なかなかおしゃれに置いてるな。」
「でしょう。」
「で、この奥で飲むんか。」
「そうやで。」
博子は少し得意げに笑う。
「ここ、足、言うたら掘りごたつにもなってるし。いいでしょう。」
おじいちゃんは奥の席を見て、なるほどなと頷いた。
平日の昼間やから、人もそんなに多くない。
土日みたいにわちゃわちゃしてへん。
その空気もまた、今日の二人にはちょうどよかった。
「平日に来たんがええな。」
「うん。」
「ガラガラやし。」
「そうそうそうそう。ゆっくりできるでしょ。」
そう言いながら、まずは蒼空の純米大吟醸をいただく。
口に含んだ瞬間、おじいちゃんの顔がふっとほどけた。
「これやな。」
「やろ。」
「鴨川で飲んだやつ、めちゃめちゃ沁みるわ。」
博子は、その言い方にちょっと笑った。
やっぱり覚えてるんやな、と思う。
あの時の空気も、酒の味も、ちゃんとどこかに残ってる。
で、今こうして伏見で飲むと、また意味が変わる。
それが酒の面白いところでもある。
続いて純米酒の方も頼む。
博子は、こっちはこっちでええんよ、という顔でおじいちゃんに勧める。
「これリーズナブルで、普段使いというか、食事と一緒に飲むのもいいんよ。」
おじいちゃんも素直に口をつける。そして少し考えてから言った。
「確かにな。」
「うん。」
「飲みやすさは純米大吟醸に劣るけども、だからといって、これがまずいってわけでもないな。」
「そうそう。」
「違う味やな、って感じや。」
「それそれ。」
博子は、その言葉に嬉しそうに頷く。
こういう違いをちゃんと楽しんでくれる相手やと、連れてきた甲斐がある。
東京の社長たちにしても、おじいちゃんにしても、こういう“味の違いを面白がってくれる”人は、
やっぱりやりやすい。
しばらく堪能したあと、おじいちゃんがぽつりと言った。
「博子は、なんかこういうのを色々堪能できてええな。」
博子は、すぐに笑って返す。
「いや、仕事ですから。」
「仕事か。」
「他の人たちにも、こうやってぐさぐさ刺していって。“博子ならこういう座組がたくさん組めますよ”
とか、“東京勢にはない引き出し持ってますよ”って言わなあかんから。」
おじいちゃんが、そこで感心したように息をつく。
「それ探すのも結構大変なんやろ。」
「大変よ。」
「そうかそうか。」
でも、そのあとで少し笑って付け足す。
「いやでも、わしにもちゃんと刺さるで。」
博子は吹き出す。
「刺さってるならよかったです。」
そんなふうに話しながら、二人は藤岡酒造を出て、今度は鳥せいの方へ向かった。
平日の伏見は、やっぱり空気がゆるい。
酒蔵のあたりをのんびり歩いてるだけでも、どこか身体の力が抜ける。
おじいちゃんも、その感じを気に入ったようやった。
「こういうの、ありやな。」
「何がですか。」
「平日のゆっくりした時間に、なんかのんびり散歩させてもらうの。」
「でしょ。」
「ありがたいわ。」
博子は、その言葉に少し笑いながら返した。
「博子はええ介護士になれるで。」
「いやいや。」
博子は、すぐに首を振る。
「介護士は、こんな表だったところだけやない仕事もたくさんあるでしょう。」
「そらそうか。」
「結構大変なんやと思いますよ。」
「そうかもな。」
そんなことを言い合いながら、鳥せいへ入る。
ランチの看板を見て、ヒロコは一瞬、自分の中の鉄板である三千三百円のコースを思い浮かべた。
でも、今日はちょっと違う。ご飯までつけると、おじいちゃんには少し多いかもしれへん。
そう思って、改めてメニューを見直す。
「……おじいちゃん。」
「うん。」
「三千三百円のコース、私の中では鉄板かなと思ってたんやけど。」
「うん。」
「ご飯までつけたら、ちょっと多いな。」
おじいちゃんも、すぐに頷く。
「そらそんな食べられへんやろ。わし、そんな食べられへんし。」
「やんな。」
「確かにここまではいらんかな。」
博子は、メニューを指で追いながら言う。
「だからといって、千円の弁当にするのもちょっとちゃうやん。」
「そらそうか。」
「本当は単品でちょこちょこ頼めたらいいけど、ランチタイムやからそれもちょっと無理そうやし。」
「ほな、どれや。」
ヒロコが少し嬉しそうに言う。
「二千五百円の酒蔵コース。これ、ボリューム少なめでちょうどいいと思う。」
「それにしとくか。」
「うん、そうしよう。」
そうやって酒蔵コースに決める。
博子は、こういうところも含めて考えてるのが、自分でもちょっと面白かった。
ただ高いのを押すんやなくて、相手に合わせて落とす。そのさじ加減が好きなんやと思う。
料理が出てきて、おじいちゃんはすぐに上機嫌になった。
「いや、でも、めっちゃ満喫できんで。」
「でしょう。」
「飯もうまいし。」
博子も満足そうに頷く。
「でな、ここでは酒飲まずに。」
「ほう。」
「黄桜で、百円で飲める、おちょこで飲めるやつあるから、それで締めよう。」
おじいちゃんがすぐに笑う。
「あーええな。」
「めっちゃ考えてくれてるやん、ってやつです。」
「ほんまや。」
そこで博子は、伏見の引き出しを少しだけ見せるみたいに言う。
「実は伏見は伏見で、前の日鳥食べましたとか、鳥かぶりの時は、
黄桜ファクトリーのお弁当にするっていう手もあるし。」
「ほう。」
「寺田屋もあんねん。伏見はね。」
「なるほどな。」
「だから、“伏見行く”って言っても、まだ別コースがあるんよ。」
おじいちゃんが、そこで少し嬉しそうに言う。
「ほな、わし、もう一回伏見行くチャンスあるわけな。」
「あるわ、ある。」
博子は笑って返す。
「でも、あんまりかぶらせたらあれやから、混ぜながらやな。」
「ええなあ。」
おじいちゃんは、そこでしみじみと言った。
「まだまだなんか、頑張って生きる気力が湧いてくるわ。」
その言葉に、博子は少しやわらかく笑った。
「おじいちゃん、まだまだそんなん、ぽっくりいくような年でもないでしょう。」
「まあ、そうやけど。」
「そうやけど、じゃないです。」
二人でまた笑いながら、鳥せいを出て、黄桜ファクトリーの方へ向かう。
平日の伏見は、土日の座組みとは違うやわらかさがあって、でもちゃんと満足度も高い。
博子は、その歩きながらの空気が心地よくて、おじいちゃんとこうやって混ぜながら回せる伏見も、
やっぱりええなと思っていた。




