水曜日夜。おじいちゃんと同伴前半戦。博子がどうしても食べさせたかった小籠包
グランフロント八階の中華の店。
博子がここを選んだ理由は、かなりはっきりしていた。
席について、お茶が出てきたあたりで、博子はもう先に宣言するみたいに言う。
「おじいちゃん、ここな。」
「うん。」
「私が考えてる中では、関西で一番うまい小籠包やと思ってる。」
おじいちゃんが、そこで少し目を上げる。
「そんなにか。」
「そんなに。」
博子は、メニューを開きながら、もう迷いなく続けた。
「で、ここのほんまに肉入りの小籠包と、蟹入りの小籠包。これだけは絶対食べて。」
「おお。」
「これはもう決め打ち。」
そう言って、単品で四つずつ頼む。他にもいろいろある。
海老の点心もあるし、前菜も麺も飯もある。
でも、今日の主役はまずそこやった。
「コースやったらな、ここ多分八千円とかそれぐらいするねん。」
「へえ。」
「でも、単品やったら、私もおじいちゃんもそんなめちゃくちゃ食べるわけじゃないやん。」
「そらそうやな。」
「やろ。だから、こういうのをちょんちょんとつまみながら、軽く飲んでやるには、
多分そんなに値は張らへんと思うで。」
おじいちゃんが、そこでちょっと笑う。
「そこまで考えてるんか。」
博子も笑って返す。
「考えるよ。」
「ほう。」
「だって、私も東京の人たちと一緒に飲んだりするからさ。やっぱり一人一万二万が当たり前、
みたいな話を聞くけども。私の主義からしたら、それはお客さん泣かせやなと思ったりもするわけよ。」
おじいちゃんは、グラスを持ちながら「なるほどな」と頷く。
博子は、そのまま少し熱を入れて喋る。
「安くとまでは言わんよ。でも、リーズナブルで、その値段以上のものを提供するっていうのが、
私の考えやし。それを丁寧にやりたいの。」
その言い方に、おじいちゃんは少し感心したような顔になる。
「いやあ、博子はキャバ嬢の鏡やな。」
博子は、そこで肩をすくめるみたいに笑った。
「うーん、まあ、東京勢に比べたら全然鏡やと思うねん。」
「そんなにか。」
「そんなに。」
「ひどいんやな。」
「ひどいっていう話、めちゃくちゃ聞くから。」
博子は、ちょっと笑いながら言う。
東京の銀座六本木で、どれだけ金を使って、どれだけ雑に扱われてきたか。
あのへんの話を、もう嫌というほど聞いている。
だからこそ、自分の中では余計に「値段以上」とか「丁寧さ」にこだわりたくなる。
「そうやろなあ。」
おじいちゃんも、そこで苦笑いする。
「でも、最近のこと言うたら、私もあんまり他のとこの話聞いてないからさ。」
博子が、少しだけ視線をずらしながら言う。
「その辺、わからへんところもあるし。おじいちゃんも北新地散歩してみるのもええかも
しれんなって。」
おじいちゃんが、そこでちょっといたずらっぽく笑う。
「お、浮気公認か。」
博子は、すぐに笑って返す。
「いいと思うよ。別に、おじいちゃんが浮気して、それで帰ってこーへんとも思わへんし。」
「ははは。」
「多分、私めちゃめちゃ丁寧にやってるから、私の良さが際立つと思う。」
その言い方に、おじいちゃんは声を出して爆笑する。
「なるほどな!」
「やろ?」
「そら、他行ったあと戻ってきたら、余計わかるかもしれんな。」
「そういうこと。」
二人でそんなふうに笑っているところへ、最初の小籠包が運ばれてくる。
蒸籠の蓋を開けた瞬間、ふわっと湯気が立って、香りが上がる。
博子は、そこで少し前のめりになった。
「ほら、あつあつ。」
「おお。」
「こういう時、いきなりかぶりついたらあかんからな。」
「わかってるわ。」
「わかってへん顔してる。」
また笑いながら、博子は小皿の方に手を伸ばす。
つけ合わせの生姜を取って、酢と合わせる。
その手つきが、ちょっと慣れている。
おじいちゃんが、それを見て「ほんまに好きなんやな」という顔になる。
「まず、こうやってな。」
「うん。」
「ちょっと皮破って、汁を吸ってから。そのあと、生姜と酢で食べる。せんと、やけどするから。」
「なるほど。」
博子が先にひとつ、手本みたいにやって見せる。
ほんの少し皮を破ると、中から透明なスープがふっとにじむ。
それをそっと吸って、少しだけ目を細める。
「うん。」
「うまいか。」
「うまい。」
「そらそうやろ。」
おじいちゃんも、それを真似して、小籠包を持ち上げる。
少し不器用そうにしながらも、皮を破って、汁を吸って、それから生姜と酢で口に運ぶ。
一瞬だけ黙って、それから顔を上げた。
「これはめちゃめちゃうまいな。」
博子は、その反応を見て満足そうに笑った。
「でしょ。」
「これはええな。」
「まず肉の方が、王道でちゃんと強いねん。で、蟹の方が、ちょっと香りが変わって、
そっちはそっちでまたええねん。」
蒸籠の湯気の向こうで、おじいちゃんが上機嫌になっていくのがわかる。
北新地から少し外れて、グランフロントまで来た意味が、もうこの時点で出ていた。
博子は、それが嬉しくて、また小皿に酢を足しながら、おじいちゃんの次の一口を待っていた。




