清水五条の居酒屋を堪能したのち店へ。タクシー、電車、タクシー。名残惜しいが北新地へ向かう
三杯飲み比べで十分すぎるぐらい心を持っていかれていた東京メイン社長やったけど、
時間を見ると、もうそろそろ引かんとあかん時間でもあった。
博子は、酒器の並んだ卓を見ながら、少しだけ名残惜しそうに、それでもちゃんとブレーキを踏む。
「八時に店前集合なんで・・・。」
社長がすぐ反応する。
「もうそんな時間か。」
「そうなんです。ま、もう一杯ぐらいにしておきましょうか。」
その言い方に、東京メイン社長はあからさまにちょっと寂しそうな顔をした。
さっきまで「抑えめで」だの「今日はメインあるから」だの言われていたけど、
いざ“ここまで”と言われると、まだもう少し飲みたい気持ちが出る。
それが顔にそのまま出ていて、ヒロコはちょっと笑った。
「……いやでも。」
博子が、少しだけいたずらっぽく続ける。
「新政のナンバーシックスがあるんですよ、ここ。」
東京メイン社長の目がまた開いた。
「え。」
「ちょっと値段張りますけども。」
メニューを見ると、単品で九百円。
さっきの三本セット九百八十円に比べたら、たしかに高く見える。
でも、比べる相手が悪い。あの三本セットが異常値すぎるだけで、新政のナンバーシックスを
九百円で飲めること自体がもうおかしい。
「ま、確かに三本セットに比べたら高いですけど。」
博子がそう言って、少しだけ声を落とす。
「でも、新政のナンバーシックスって、またこれプレミアム値ついてるぐらい、
まず流通で手に入らないんで。」
東京メイン社長は、すぐに頷いた。
「……それはいっとかなあかんな。」
「いっときましょう。」
頼んで、出てきた酒器を見た瞬間から、社長のテンションはまた少し上がる。
さっきまで十四代で文豪がどうのと言っていたのに、今度はナンバーシックス。
博子としては、ここであえて一本だけ追加するのがちょうどええと思っていた。
もう一段上げて、でも深追いはせずに終わる。その“ちょっと足りない”ぐらいが、また次につながる。
社長は、そっと口をつける。で、すぐに小さく笑った。
「……酸味あるな。でもすいすいいける。」
博子も笑う。
「でしょ。」
「いやいや、これ、スイスイスイスイ飲めるぞ。」
「危ないやつです。」
「危ないな、これ。」
ナンバーシックスの酸味と軽さは、さっきまでの三本ともまた違った。
十四代の“来た”という感じとも違う。
而今の物語とも違う。鍋島のふくらみとも違う。
もっと直線的で、もっと危ない。
だからこそ、東京メイン社長の顔にも、完全に“もう一杯いきたい”という気配が出る。
けど、博子はそこでちゃんと区切る。
「いやいや、でも今日はここまでです。」
社長が、ちょっとだけ不服そうに笑う。
「切るなあ。」
「切ります。これでまた良かったら、また組み合わせして、話盛り上がったら、
みんなで来たらいいじゃないですか。」
「それはそうやな。」
「私ら、ソフトプランも考えてるんで。」
「ソフトプラン。」
「毎度毎度、社長たち全員を三者三様で連れ回して接待するのもしんどいんで。
こういう、ただ一緒にご飯食べるっていうのも、一つ楽しみとしていいんじゃないですかって。」
「なるほど。」
「その分、お手当て別に包んでくれとは言いませんから。」
社長が、そこで声を上げて笑う。
「そこ言うんや。」
「言いますよ。ライトのやつもやってくれないと、私ら潰れちゃうんで。」
二人とも笑う。でも、これは冗談半分、本音半分や。
博子の中ではもう、重たいフルコースだけで回す気はない。
東京勢が本気でハマってきてるからこそ、軽いプラン、酒だけプラン、工場見学だけプラン、
そういう“抜きどころ”を作らんと持たへん。その意味でも、この清水五条の居酒屋は理想的やった。
東京メイン社長は、最後の一口を惜しむように飲みながら言う。
「でもこの酒のラインナップは、確かに友達の社長二人にも見せたいわ。」
「でしょ。」
「度肝抜かれるぞ、あいつら。」
「抜かれますね。」
「いや、新政のナンバーシックス、これ酸味あってめっちゃうまいな。」
「はい、だから危ないんです。」
そう言いながら会計を済ませて、二人で店を出る。
外に出ると、京都の夕方はもうだいぶ夜に寄っていて、空気も少しひんやりしていた。
清水五条のあの微妙に人の流れから外れた感じが、逆に今は心地いい。
東京メイン社長は、店を出てからもまだ少し興奮が残っていた。
「いやもう、今日これだけでも、やっぱ来た価値あるわ。」
博子は、すぐに釘を刺す。
「いやいや、まだ入口にも立ってないゼロ次会ですから。そんなにテンション上げないでください。」
「ゼロ次会でこれかい。」
「そうです。ここから京都駅までタクシーで戻って、そっからサンダーバードで大阪出て、
新地までまたタクシーですから。移動の間に、ちょっとちゃんとお水飲んでくださいね。」
社長は、そこで苦笑いした。
「移動まで全部決めてるの、ほんま抜かりないな。」
「抜かりなくしてるんです。京都で飲んで、そのまま新幹線とかやと楽なんですけど、
今日は大阪で本編があるんで。」
「なるほどな。」
「だから、京都駅まではさっとタクシーで戻ります。で、サンダーバードで大阪。大阪着いたら、
もうそのままタクシーで新地。余計な歩きは挟まないです。」
東京メイン社長は、感心したように笑った。
「いやでもな、もうなんかこの感じやったら、なんかよさげやん。」
「そら、よさげにしてるんです。」
京都駅へ向かうタクシーの中でも、社長はまだ少し酒の余韻を引きずっていた。
窓の外の街の灯りを見ながら、「十四代がどうの」「ナンバーシックスがどうの」と
言いたそうな顔をしている。博子はそれを横目で見ながら、内心で少しだけ思った。
結構、刺せたな、と。
酒のラインナップで驚かせて、価格で二度驚かせて、でもちゃんと切って、次につなげる。
今日のこのゼロ次会だけで、東京メイン社長の中の“京都期待値”はまた一段上がったはずや。
しかも、それを上げすぎたまま店に連れて行くわけにはいかんから、今みたいにちょいちょい水を差す。
その加減も、博子としてはちょうどよかった。
京都駅でタクシーを降りて、二人は少し足早にホームへ向かう。
サンダーバードに乗り込むと、ようやく社長も少し落ち着いた顔になった。
博子はコンビニで買った水を渡す。
「はい、ちゃんと飲んでください。」
「介護やな、もう。」
「介護です。ここで仕上がられても困るんで。」
社長は笑いながら水を受け取る。
車内で少しだけ息を整えているうちに、大阪はもうすぐや。
そして大阪に着いたら、そのままタクシーで新地へ。
京都で上げた熱を、一回落としすぎず、でも暴れさせずに店まで持っていく。
そういう意味では、この移動も座組の一部やった。
「ほな、店まで向かいましょうか。」
大阪に着いて、改札を抜けて、タクシーに乗り込む時、博子はそう言った。
東京メイン社長は、まだ少し名残惜しそうに笑いながらも、ちゃんと歩調を合わせてくる。
京都のゼロ次会から、大阪の本編へ。
今日の流れは、まだようやく半分ぐらいや。
博子はその手応えを胸の中で静かに確かめながら、東京メイン社長を連れて、
新地の店のある方へ向かっていった。




