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清水五条で日本酒に舌鼓を打つ。満喫している中で酒の解説や店の立地の背景・意味まで博子から解説もらう

東京メイン社長は、日本酒といえば、博子と出会うまではだいたい決まっていた。

獺祭。久保田。せいぜい萬寿。そのへんが「日本酒」やと思っていたし、

それで十分通っぽい顔もできると思っていた。実際、東京で飲んでいても、

そのラインナップを押さえておけば、まあ大きく外すことはなかった。

けれど、博子に会ってから、その扉が開いた。

フルーティーの扉。酒蔵ごとのクセ。

純米大吟醸でも、ただ軽くて甘いだけやないということ。

地方の流通の変さ。値段のつき方の狂い方。

そういうものを、ちょっとずつ教え込まれてきた。

それでも、十四代がすごい、というのは元から知っていた。

プレミアム価格がついて、下手したら市場価格が十倍近くなるとか、

もはや酒というより投機商品みたいな扱いをされてる、訳のわからん一本。

それが、今、目の前にある。しかも頼んだだけでなく、三杯飲み比べの中にしれっと混ざっている。

その時点で、もう手足が少し上がっていた。

「……いや、これ、ほんまに飲んでええんか。」

東京メイン社長は、少しだけ緊張しながら杯を持った。

博子は横で、楽しそうに笑っている。

「いいですよ。そのために来たんですから。」

社長は、一口目をそっと含んだ。そこで、顔つきが変わる。

目が少し開いて、そのあとゆっくり細くなる。

「……すごい。」

博子は黙って見ている。社長は、そのまま杯を少し離して、ほんまに心の底から言った。

「これ、小説書けるぞ。」

「そこまで。」

「いや、書ける。あれやな。文豪が酒びたりになるのもわかるな。めっちゃうまいやん、これ。」

博子は、その反応に満足そうに笑った。

「いやいや、まだまだあと二本続いてますからね。」

次に而今を飲む。博子が、すぐ横でさらっと解説を入れる。

「而今って、三重では逆に飲めないみたいですよ。酒蔵さんが三重の人と仲良くないのか

どうか知らんですけど、三重県で手に入るの、一か所しかないらしいです。伊勢のあたりで。」

「どういうことやねん。」

「でも、こういうところで普通に飲めるのって嬉しくないですか?」

「嬉しい。なんか、そういう裏話込みで飲むと余計うまいな。」

而今は、また十四代とは違う。

同じくきれいで、飲み口は軽やかやのに、香りの立ち方も後味も全然別や。

東京メイン社長は、杯を置いたり持ち直したりしながら、ちょいちょい交互に飲み比べる。

それだけで、もうかなり楽しい。最後の一本は、ヒロコが自由に選んだ。

「じゃあ、最後は……鍋島かな。この辺はもう、私もちょっと自由に選ばせてもらいますけど。」

「任せるわ。」

佐賀の鍋島。それもまたうまい。

十四代の派手な“うわっ”とも違う。

而今のちょっとした物語性とも違う。

でも、三本並ぶと、なるほど、としか言いようがない。

違いがちゃんとある。

しかも、その違いを味わわせる順番まで考えられてる気がしてくる。

酒のあてもまた良かった。

揚げ物は軽い。刺身もちゃんとしてる。

量が多すぎず、でもケチでもない。

酒のための飯という感じで、しかも値段がそんなに高くない。

「いやいや、なんだここは。」

社長は、もう笑うしかないという顔になっていた。

「しかも値段がそんな高くない。こんなん人気店になってもおかしくないやろ。」

ヒロコは、そこで少しだけ肩をすくめた。

「いやいや、でもね。あんまり清水五条っていう場所が、意外とロケーション悪いんですよ。」

「ロケーション悪い?」

「地下鉄の主要って、言うたら烏丸通りを通るんです。でも、この河原町通りは

地下鉄通らないんですよね。京阪は清水五条ありますけど、あれも線が筋一つ違う。

で、四条河原町は阪急の終点やから、あの辺はあの辺で賑わう。つまり、いろんなものが

ちょうど交わらないところなんです。」

社長は、そこでなるほど、という顔になる。

「だから、この店に来たい人しか来ないんですよ。買い物の帰りにふらっと寄るとか、

観光ついでに寄るとか、そういう店じゃない。この店のために時間を割いて来るんじゃないと、

来れない店なんです。」

「おお……。」

「だから逆に、動線を全部切ってるのがポイントちゃいます?まあ、わかんないですけどね。」

そう言いながら、博子は少し笑った。

でも東京メイン社長は、その話をかなり真面目に聞いていた。

「いや、でもその分、たぶん家賃の方は抑えめになってるはずですよ。」

「ここでも不動産の話か。」

「いやでも、大事じゃないですか。」

社長は、杯を持ちながら頷く。

「確かに立地って大事やな。でも、その代わり店のパワーが強ければ、来る人は来るんやろうな。」

「そうです。だってこの日本酒のラインナップ、えぐいでしょ?これがバレたらやばいです。」

博子は、スマホを取り出した。

「ちなみに、Googleの口コミ見てみます?」

「食べログやなくて?」

「食べログ三・三とかやけど、Googleの口コミ、四点台後半ですからね。しかも、

イングリッシュ多いんですよ。」

画面を見せる。

“日本酒最高”。

“この揃え方は神”。

“ここは京都で最も危険な酒の店だ”みたいなニュアンスの英語が並んでいる。

「やばいな。」

東京メイン社長は、思わずそう漏らした。

「このコメント見たら、外人も来るぞ。」

「来ます来ます。から、場所は行きにくいけど、日本酒好きからしたらたまらんと。

コスパ抜群の店なんです。だから、ここを選んだんです。」

そこまで聞いて、東京メイン社長は、ようやく完全に納得した。

最初に店に入った時の「ほんまにここか?」という小さな疑いは、もう綺麗に消えていた。

この店は、雰囲気だけで選んだんじゃない。京都という街の“動線の悪さ”まで含めて、

その中で生き残るだけの理由を持ってる店なんや。

そこまで言葉にしてくれるから、ただ美味しいだけで終わらへん。

「……なるほどな。」

社長は、十四代の杯をもう一度少しだけ持ち上げた。

「お前がここを押す理由、めっちゃわかったわ。」

博子は、その言葉に小さく笑って、酒の表を指で軽く叩いた。

「でしょ。だから、今日は軽くって言ったんですよ。

ここハマったら、マジで次また全員で来たなりますから。」

東京メイン社長は、それに頷きながら、まだ少し興奮した顔のまま、次の一口をゆっくり飲んだ。

清水五条の夜は、まだ入口に入ったばかりやった。

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