北の果ての洞窟
「着いたぞ、ここだ」
洞窟の入り口にてハイドラが言う。その顔は実に涼やかで、道中の疲れを微塵も感じさせない。肩にかかった黒髪をさっと払うと悠々と洞窟の中へと入っていこうと片足を持ち上げた。
「ーーちょっと待て! 俺は……さすがに疲れたぞ……!」
しかしそこに待ったをかけたのはドットーレである。彼は膝に両手をつきゼエゼエと肩で荒い息をしていた。
「せめて呼吸を……整えさせてくれないか……!」
ヒューヒューと過呼吸気味なドットーレをさも不快そうな顔でハイドラが見つめる。
「貴様、図体がでかいくせにこれしきでへばるとは鍛錬が足りていないのでは無いか?」
「四時間もほとんどぶっ通しで走ってりゃ誰だってこうなるわ! ガハッ!」
ドットーレは切れ味の良いツッコミを入れたが、ハイドラは全く理解できないと言う顔をしていた。ドットーレは顔を上げ、恨めしげな顔でイシルビュートとクレアを見る。
「お前らもなんで平然としてるんだ?」
「身体強化してるんだから、これくらいの行軍大したことないだろ」
「マラソンですよ、ドットーレさん。マラソン!」
「二人とも大概人間やめてるな! まともなのは俺だけか!」
イシルビュートとクレアは顔を見合わせ、首をかしげる。
結局あの後、先頭を進むハイドラのペースに合わせて全員が小走りで雪の中を進む羽目になった。もうすぐ竜核が戻るということで絶好調なハイドラは、出てくる敵を片っ端からノリノリで倒して倒して倒しまくって、四人の進むべき道を切り開いていた。
その軽快さたるや、もはや道端に転がっている石を蹴飛ばすかのような、あるいは飛んできた木の葉を打ちはらうかのような気軽さで、もはや魔物を討伐しているという感覚すらなさそうだった。
ドットーレが呻き声を上げる。
「信じられねえ。この辺りの魔物は結構強力なんだぞ。それをあんな風にバッサバッサと倒すなんてよ」
「余の恐ろしさを思い知ったか。ちなみにここに来るまでに全力を尽くしたので、魔力はもう無い。どの道竜核さえ戻れば魔力も今の数十倍になるから問題はないがな。さあ、もういいか? 先に進むぞ」
先に進みたくてウズウズしているハイドラが返事を待たずにさっさと歩き出す。
一同はその後に並んで歩いた。ドットーレが少し背を屈めて歩くほどの天井高の洞窟内を進む。上にはつららがびっしりと生え、壁も床も氷に覆われていた。クレアは転ばないように少し体を浮遊させて前へ進む。
中は驚くほど静かで、ひんやりとした空気だけが漂っていた。
「この中は魔物の気配がないんですね」
「さすがに竜核が近くにあるとなっては近づけないんだろうな」
クレアの言葉にイシルビュートが返事をする。声が反響し、いつもよりも少し大きく聞こえる。
洞窟の一本道をひたすら進んでいくと、やがてぽっかりと空いた広い空間へと出た。そこには黒く輝く魔石が嵌った杖が突き立てられており、その側には紫色に輝く球体が浮いている。
どちらからも並々ならぬ力が秘められているのをクレアは感じ取った。けれど良いものではない。特にあの杖は駄目だ。
宝石のように美しい杖なのに、見れば見るほど暗い底なし沼のようにまとわりつく不安。人の本能に恐怖を植え付けるような禍々しさ。この封印を解けば、間違いなく悪いことが起こるような気さえする不吉の象徴のようだった。
クレアはさっさと歩いて封印を解除しようとするイシルビュートの服の裾を思わず引っ張った。
「どうした?」
「お師匠様、あの杖使うつもりなんですか?」
「ああ」
至極当然のように言うイシルビュートに、クレアは顔を歪めた。
「あれはあんまり……良いものじゃないですよ」
「知ってる。だが他に打つ手がない」
イシルビュートはクレアに向き直り、真剣な声音で告げる。
「アシュロンの持つ天地創造の力は見ただろ。あれに対抗するには今ここにある杖を使うしかない」
「じゃあ、私が使います」
クレアはイシルビュートを見上げ言った。
「私が封印を解除してあの杖を使います。だから……」
「クレア、それはダメだ」
クレアの提案をイシルビュートはきっぱりと断る。
「クレアの言う通りあれは良いものじゃない。呪われてる杖だ。持つものに栄華と凋落をもたらす魔杖ーー栄光奈落と呼ばれている。王族で聖女のクレアが持つべき代物じゃない」
クレアは反抗的な目つきでイシルビュートを見る。魔杖。その言葉は偽りではないだろう。物騒すぎる謂れの杖は内包する力の絶大さを物語っている。そんなものを持ってしまってはイシルビュートの身がどうなるのかわからない。
今この時、強力な武器が必要なのはわかっている。この杖と完全復活したハイドラがいれば百人力だ……レイアを救出の大きな助けになる。ならば自分が使えば良い。
どうせクレアに残された寿命は長くて後十年。ならば呪われたとしても構わない。
そんな思いを込めてイシルビュートに視線を送ったが、やはり師匠は首を横に振る。
「この杖にはちょっとした因縁があってな。持つなら俺以上にふさわしい人間はいない」
短いその言葉にはそれ以上の反論を許さない響きがあり、イシルビュートは大股で歩き出した。
十歩で杖の元へとたどり着くと洞窟の床に視線を落とす。そこにはこの空間いっぱいに広がる巨大な魔術陣が刻まれている。
ーー魔術の解除というのはふた通りの方法がある。陣に書いてある通りの方法でしかるべき人物が然るべき方法で解除するか、もしくは力技か。
クレアが見る限りこの封印の魔術陣はかなり独特で、おまけに読めない単語が多々書かれている。力技で解除するにしても竜核に被害が及ばないか心配だ。こうした封印系の魔術の場合、無理に解除しようとすると封印している物体に何らかの影響を及ぼす場合もあり危険があった。
魔術師のオリジナリティが多分に含まれているそれを見て、ドットーレがふむぅと顎を撫でた。
「こりゃビュート・アレクサンダーの独創的な部分が前面に出てるな」
「ドットーレさんでも読めませんか?」
「まあ、読めて八割ってとこか……ビュートは古代言語にかなり精通していたらしく、魔術機関には彼が書き残した解読不能な魔術陣がどっさり保管されてる」
「お師匠様、読めます?」
クレアはふと心配になり問いかけるも、イシルビュートは振り向くとにかっと歯を見せて笑った。
「ああ、問題ない」
そしてもう解読を終えたらしく杖の柄に手を伸ばすと右手でしっかりと握り締めた。途端に柄にびっしりと刻まれている紋様が光り、まるで脈動するかのように明滅した。合わせて魔石も赤く黒く、輝く。
「ぐっ……」
「お師匠様、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、ちょっと魔力を吸われただけで」
すぅ、とイシルビュートが息を吸い込み集中する。ピンとした空気が張り詰め、痛いほどの静寂が押し寄せる。
百年前の英雄と呼ばれる魔術師が張った封印の魔術をイシルビュートが解除を試みる。
魔術陣が発光し、まるでイシルビュートを試すかのようにうねりをあげて光が漏れ出した。それはこの禍々しい杖に似ても似つかない、青白い美しい光だった。まるでこの洞窟全体を覆っている氷と雪のような。
(あぁ……きっとビュートという魔術師は氷系の魔術が得意だったんだろうな)
眺めるクレアはそんな感想を漏らす。魔術師というのはそれぞれ得意な属性を持っている、と以前に師匠から教わったことがある。魔術陣というのは多岐にわたり非常に奥が深く、貴族の家では強力な魔術陣は秘匿にしておくものも多いのだとか。ドットーレは地の魔術が得意であり、敵であるアシュロンは重力や石の魔術を多く使って来た。
そしてイシルビュート自身も氷系の魔術をよく使用する。
難解な魔術を前に全く動揺せず、呪いの杖に因縁があるというイシルビュート。クレアにはわからない何かが糸のように細く繋がっており、この洞窟とイシルビュートを結びつけているような気がした。
今はただイシルビュートの成功を祈るしかできない自分がもどかしい。
(全てが終わったら……教えてくれますか? お師匠様)




