牢獄にて、一手
ポタリ、と水が落ちる音が聞こえた。
ポタリポタリ、ピチョンという規則正しいその音は牢獄内に響き、なんともなしにレイアは聞いていた。
レイアが収容された独房は城の居館部分から離れた、塔の一つにひっそりと存在していた。固く閉ざされ、罪人を逃さない鉄壁の牢獄には窓一つすら存在しない。魔石の照明がたった一つ備えられており、薄汚い独居房に陰鬱な影を落としている。
レイアに与えられているものはごく僅かだ。
カビた匂いの染み付いた粗末な木のベッド、シンプルな白い麻のワンピース。そして両手に嵌められている魔封錠。魔術師の資格を持つレイアには紙やペンといった道具は与えられない。誰かに手紙を書くことすら許されていない。
ここに放り込まれたのはつい昨日のこと。そして明日には処刑が執行されると聞かされた。
あまりにも突然すぎる、審議はないのかと反論したところ「罪は明白、情状酌量の余地なし」と冷たく言い放たれた。
肉親である父や兄がやって来る気配もなく、臣下が様子を見に来る気配もない。
こんな理不尽が許されていいのかとレイアは歯噛みする。
こんな死に方をするために今まで生きてきたわけではない。
私は……。
けれどもう、なんのために生きてきたのかすらわからなくなってきた。うつむき視線を落とすと無くなった右手首の先が見える。すっぱり切り落とされたそこには、雑にポーションをかけられて治癒が施されている。処刑前に死なれたら困るから、傷口を塞がれたのだ。ずっと持っていた妹の形見は手首の先とともに転がり落ちた。
あの死体が横たわる惨状の場に虚しく放置されているのだろうか。
レイアは今まで様々な人間が死ぬところを見てきた。剣を取り前線に立つと自然と死は身近なものになる。戦や魔物討伐の際、矢面に立たされるのは寄せ集めの平民兵士たちだ。魔術が発動するまでの間肉壁にされる彼らは一様に恐怖に怯えていた。
無理もない、とレイアは思う。
剣の取り方すら知らない人々を駆り出すのだ。
レイアは常々思っていた。こんなやり方は間違っていると。
それを変えるために動いていた人々は皆、国の中枢から遠ざけられ……。
フラッシュバックするのはこれまで関わってきた、助けてくれた人たちの姿。
妹のアンヌも、イシルビュートも、ハイドラも、そしてクレアも死んだ。孤独なレイアに心から味方をしてくれる人たちはどんどんと去っていく。まるで自分は疫病神だなとレイアは己を嘲笑った。
残った自分ももう間も無く同じ所へと行く。結局何も成し遂げられないまま、国を変えられないままに。
「……レイア様」
名前を呼ばれたことでハッと顔を上げる。そこにはそばかすの目立つ、くすんだ茶色い髪をメイドキャップでまとめた女が立っていた。分厚いメガネをかけているせいで顔の作りがよくわからない。牢獄に似合う、なんとなく陰気な雰囲気のメイドだ。
「レイア様のお側仕えを命じられてまいりました。オデットと申します」
レイアは残された王族としてのプライドをかき集め、こんな状況でも立派に振る舞えるよう精一杯の虚勢をはる。背筋を伸ばし、やってきたメイドに笑いかけた。
「オデット。悪いな、このような場所で私のような者の世話を頼まれるなどと」
「いいえ。私のような卑しい身分の人間が王族の方に仕えられるなど、光栄の極みにございます」
オデットは首を左右にゆるゆると振り否定した。そして見張りの衛兵の姿をちらりと確認するとーー口を動かさずに言葉を発する。
この動きはこう言っていた。
ーークレアに連絡を取りました。救出に動いています。
そしてメガネの奥の瞳がちらりと揺れると、見覚えがある意志の強そうな目とかち合う。気がついた。
(リリーか……!)
ーークレアは無事なのか?
同じく声を発せずに問いかけるとリリーはかすかに頷いた。それから何事もなかったかのように、持っていたタオルを持ち上げて言う。
「さ、体を拭いて清めましょう。お酷い状態ですわ」
怪しまれないように振る舞うリリーを見ながらレイアはつい先ほどまで感じていた絶望感が消えて行くのを感じた。
クレアが生きている。どうやってかわからないが、あの状況から逃げおおせたというのか。しかも救出に動いているということは、ドットーレと落ち合ったに違いない。
リリーはお湯に浸した布でレイアの体を拭きながら、なんの変哲も無い会話の端々に小声で状況を教えてくれた。
「レイア様の肌はしなやかでお綺麗でいらっしゃいますわね」
ーークレア達は武器と戦力が揃い次第こちらに来るそうです。
「それにこの金色の御髪、艶やかでお美しくていらっしゃいます」
ーー希望を捨てず、お待ちくださいませ。
リリーの言葉を聞きながら止まっていた脳みそをフル回転させて考える。見張りがついている以上、込み入った話をすることはできないーー考えなければ。
救出に来るとして、タイミングはいつだろう。こちらにできることは何かあるか。考え、レイアは手に嵌った魔封錠を見つめた。
これがある以上レイアに魔術を使う事は出来ない。しかし……レイアは思い出した。
魔封檻からクレアに向かって癒しの魔術をかけようとした時、術は歪んでいたものの曲がりなりにも発動した。
という事は、聖力を使う癒しの魔術であれば、今のこの状態であっても使えるのでは無いだろうか。
そこまで考えたレイアの頭にあるアイデアが思い浮かんだ。
処刑台、見守る王族を筆頭とした国の重鎮達。護衛の騎士と魔術師、押し寄せる民衆。
(そうだ……それならうってつけだ)
先ほどまでの絶望的な気持ちから一転、レイアの胸には希望の灯が燃え上がっていた。
そして「さ、終わりました」と言うリリーの目をまっすぐに見る。
それから二言、短く告げた。クレアに対する伝言とリリーへの依頼。
ーー…‥…………………。
その伝言を受け取ったリリーは意外だったろうに、一切表情に出さない。さすがはロレンヌが送り込んだ間者だなと感心する。伊達に王宮に再潜入してここまでやって来られたわけでは無い。
「ありがとう。おかげで体が綺麗になってさっぱりとした。これで明日は堂々と処刑台に登れる」
リリーはにこりと微笑むと一礼をして牢を去っていった。
レイアは目をつむり、集中する。レイアがこれからやるべき事は、ただ一つだ。




