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イシル少年の物語⑧

 森の奥から怨嗟の声が聞こえてくる。それは先ほどのスケルトンとは違う、魂に触れて恐怖を呼び起こしてくるような声だ。

 足がすくみ全身が凍りつく。この世の悪意と憎しみを凝縮したかのような声にイシルは一歩も動くことができず、冷や汗が止まらなくなった。


「この気配は夜の支配者(ナイトロード)だ」


 ぼそりとビュートの呟いた魔物の名前にイシルは聞き覚えがない。ただ、村の大人が言うにはこの辺りには死者に取り付き動く魔物が多いらしい。スケルトンに始まり、赤い悪魔(レッドインプ)夜に巣食う者(ナイトハイカー)、ゾンビナイト、エンペラースケルトン。戦争の多い土地柄、大量に放置された死体が恨み辛みを抱いて魔物へと変化しているせいらしい。そうして魔物になった死体が今度は人間を襲う。不毛な循環が繰り返され続けている。


「イシル逃げろ」


 先ほどと同じ言葉をビュートは繰り返す。でも、と言うイシルにビュートは怒鳴った。


「逃げろ! 夜の支配者(ナイトロード)は普通の魔物と違う、今のお前じゃ絶対勝てねえよ」


「オジキは……」


「俺が時間を稼ぐから、お前はさっさと村へ行け。なに、さっき言っただろ。俺は死なないんだって」


「習った魔術で使えそうなのあっただろ。炎の蛇を出す魔術。あれ使えば……」


「そんなもん、この薄暗い中で正確に描いている暇があるかよ。なまじ描けたってそれを当てるために策を弄する必要がある。イシル、いいか? 魔術師っつーのは術の発動までに必要な時間がかかる。夜の支配者は強力な攻撃手段を持つ上に、相手を眠らせる魔術を使い、おまけに空を飛ぶ。戦闘経験がほとんどないお前がまともにやりあって勝てる相手じゃないんだ!」


 ビュートの言葉に嘘を言っている様子はない。普段のおちゃらけている姿は鳴りを潜め、まるで歴戦の強者のような雰囲気を漂わせている。それでもイシルは決断ができなかった。ここでビュートを見捨てて逃げればもう二度とオジキに会えない気がする。死なない体だなんて到底信じられる話ではない。


 そんなイシルの様子を見て取ったビュートは早口でイシルを説得した。


「イシル、お前が俺の話を信じちゃいねえのは気づいている。だがな、俺はお前に嘘をついたことは無い。いいか? お前は物心ついた時から俺のことを『オジキ』と呼び、『百歳のジジイ』だと言った俺のセリフを疑っただろ。だがな、お前が見ている俺の姿は、かつて呪いをかけられる前の面影なんだ。村の皆にゃ俺はヨボヨボの、今にも死にそうなじじいとして映っている」


 唐突な打ち明け話にイシルは目を見開き、眉根を寄せた。ビュートは表情を崩さずになおも言葉を続ける。


「お前は魔力が高い。魔術師としての才能がある。そういう奴には普通とは違うものが見えるんだ。誰にでもできることじゃねえぞ? そんじょそこらの魔術師にだって、俺の正体をみやぶれる奴はいない。お前は選ばれた人間なんだ。こんなところで死ぬな!」


「だからって、オジキを置いてなんて行けねーよ!」


 モタモタしていると再び地の底から響く声が耳に聞こえる。先ほどより近い。

 ビュートの動きは早かった。

 舌打ちをして、イシルの体を掴み上げ、持ち上げる。


「何するんだ!」


「さっさと……行けぇ!」


 ぐわっと振りかぶったビュートはイシルの体を万力で持ってぶん投げた。その顔にはあろうことかいつもの笑顔が浮かんでいた。


「うわぁ!」


 栄養の足りない枯れ木みたいな体とは思えないその腕力で持って投げ飛ばされたイシルは、数メートルにわたって宙を飛んで地面へと落ちる。


「オジキ、オジキ!」


「振り返んなよ、イシル! 行け、逃げろ! そんでもって王都へ行け!」


「嫌だよ、オジキぃ!」


「馬鹿、弟子を守んのも師匠の役目なんだよ! 魔術師になるための俺との約束忘れたのか!?」


 ビュートの声はだんだんと遠ざかる。叫びながら走って魔物の元へと向かっているのだろう。これほど騒ぎを起こしているのに他の魔物が寄ってくる様子がないことから、ビュートが対峙しているのが相当に上位の存在なのだとわかる。

 此の期に及んでイシルはためらった。足を止め、どちらへ行くか迷う。

 オジキを助けたい思いは強い。このまま見殺しにしたくない…‥けど、オジキは絶対にそれを望んではいなかった。逃げろと言い続ける。

 魔術師になるための約束……イシルは最初にビュートに言われた言葉を思い出した。



ーー弟子は師匠の言うことを聞く事。



 イシルは決めた。ビュートが走り去っていた方角とは真逆、森の出口に向かって走り出す。振り返ることなく、走って走って走り続けた。夜の支配者(ナイトロード)の怨嗟の声が響き渡る。まるで地獄にビュートを連れて行くのだとばかりに、憎しみの声がする。

 途中から視界がぼやけて滲んで、ああ自分は泣いているんだと気がついた。涙が溢れて止まらなくて、頬を伝って地面に落ちる。それでもイシルは止まらなかった。


 やがて街道に出て、村にたどり着いたイシルはその場に倒れこんだ。全力疾走したせいと、経験したことのない恐怖に体がこわばり、四つん這いになって震えて泣いた。


「イシル!」


 駆けつけてきたのはレナだ。心配そうな声が降ってくる。


「ビュート爺さんは?」


 答えられなかった。ただ首を左右に振るのが精一杯で、それだけでイシルの瞳からは涙がこぼれ落ちた。嗚咽が、叫びが、止められない。

 どうしてこんな目に合うんだ? 俺たちが何をした? 

 ただ必死に……必死に生きているだけなんだ。

 なぜ俺たちから何もかもを奪うんだ。戦争っていうのはそんなに大切なことなのか。魔術師は俺たちから全てを奪うほどに偉い存在なのか。

 イシルの疑問に答えてくれる者はいない。

 涙は枯れることなく流れ続け、叫びは夜通し続く。

 

 やがて夜が明け、イシルは一つの決断を下した……。

 

(オジキが望んでいた通りにしよう。王都へ行って偉くなって、この国を変えよう。誰も苦しまない国にするんだ。みんなが笑顔で暮らせるように……)



 イシルはこの日から村の入り口に立って街道沿いを見張るようになる。何日か過ぎ、商隊が村へと立ち寄った隙を見計らい、イシルは気配遮断の魔術を使って商隊の馬車へと潜り込んだ。その手に持つボロボロのずた袋にはわずかな食料と水、そしてビュートからもらった魔術書が入っている。

 馬車が動き出し、荷物の間に挟まれてイシルは誰にも気付かれずに村を出た。

 息を潜めて運ばれている道中、イシルは考える。


(俺が教わった魔術をすぐさま発動できていればオジキを一人残さなくてもよかったかもしれない。勝てなくても逃げるくらいはきっと出来た。いちいち描き起こすなんて手間がかかるからいけないんだ。全部覚えて、いつでも使えるようにしていれば……)


 袋の上から魔術書をぎゅっと抱きしめ、イシルは決意した。全ての魔術陣を覚えよう。どんな状況になっても戦えるように。どんな魔物がきたって勝てるように。

 自分が無力なせいで、目の前で大切な人を亡くすのはもう嫌だ。俺は俺の手で全てを守ってみせるんだ。


(覚えておくんだ、いつまでも。そうだ、名前を変えよう)


 イシルは思う。この気持ちが薄れて忘れてしまうことが恐ろしい。それならこの体にこの記憶を刻みつけてしまおうと。


(俺の名前は今から、イシルビュート。イシルビュート・ヴァンドゥーラ)


 自分にたくさんのことを授け、守ってくれた師匠の名前。そして生まれ育った村の名前。それらを名前の一部にして、いつでも忘れないようにしておこう。


(うん、いい名前だ。オジキも村も俺の中で生き続ける……)


 ウトウトと、舟を漕ぐ。なんだかとても眠くなってきた。最近ずっと神経を張り詰めていたから、夜もろくに眠っていなかった。


(王都まで遠い……少し寝ておこう)


 眠るイシルビュートを乗せて……馬車はガタゴトと道を進んでいく。

 




 この後に恐るべき才能を発揮したイシルビュートは、魔術師養成学校始まって以来の天才としてその名を王都へ轟かせる。

 平民を代表する魔術師として人気を得た彼は確固たる決意を胸に秘め、戦争反対を説く。その声は多くの人の元へと届き、古参貴族の立場を脅かすところにまで迫った。味方は多く、敵も多い。危険視されたイシルビュートは排除されるべき対象へと見なされる。


 そうして冤罪で追放されーー今、その身は心臓を止めて冷たい大地に伏していた。

 かつて過ごした村の跡地、今はただ一軒の家しか存在していない、寂しい荒野の砂利の上で。


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