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イシル少年の物語⑥

 ビュートとの勉強を続け半年が過ぎ、イシルは七歳になった。この頃にはもう資格を取ったばかりの見習魔術師レベルの知識を身につけていたのだがイシル自身はそんなことを全く知らない。

 木の枝で地面をほじくって、ひたすらに勉強を続けるイシルをビュートは目を細めて見る。家の地面は、度重なる筆記によってボコボコになっていた。誰かに見られるわけにはいかないので書いては消し、書いては消しを繰り返し、もはやなだらかな場所は存在しない。ミミズがのたくったかのように細い線が無数に刻まれた家の中を眺め、ビュートはイシルに声をかける。


「よぉ、イシルよ」


「なんだ?」


「お前そろそろ王都行くか」


 ビュートには目もくれず、しゃがみこんで七歳の子供が描くには複雑すぎる魔術陣を模写するイシルが顔を上げる。腰が浮いて、びっくりした顔を見せていた。


「この半年で、覚えるべき()()は全て身につけた。そろそろ学校行く頃だ」


「本当か!?」


「ああ」


 実際には基礎どころか応用まで身につけてるんだけどな、とは教えてやらない。

 この国では身分格差が激しい。ちょっと魔術をかじったくらいの平民だと入学試験で振り落とされるか、入学してもイジメられて心が折られるか。陰湿な嫌がらせで退学に追いやられる可能性だってある。教師だって率先して平民学生の味方をしてくれないだろう。

 だからビュートはイシルに、圧倒的な知識を授けた。誰にも文句が言えないような、イシルの才能を疑う余地のないような知識を。それを面白いように吸収して行くイシルにはやはり才能がありビュートとしては教えがいがあるというものだ。

 ビュートは家の中を横断し、寝床にしている薄い絨毯をめくり上げ、その下の地面を掘る。訝しげなイシルの目を気にせずにそこから目当てのものを掘り当てたビュートは「よいせ」と持ち上げた。

 分厚い魔術書だ。


「これは俺が昔使ってた魔術書だ」


 フーッと表紙にこびりついた土埃を吹き飛ばし、丁寧に手で払って行く。それからイシルへと手渡した。


「お前にこれをやろう」


「これを? 俺にくれんのか」


「ああ」


 恐る恐る受け取ったイシルはずしりと重いそれのページをめくる。一ページ、二ページ。ページをめくる手はだんだんと早くなり、最後はバララララッと雑になった。


「って全然読めねーよ!」


「ハッハッハッハ!」


 当然である。ここに記載されているものはどれもこれも魔術の粋を集めて作り上げたものばかりで、ちょっと魔術をかじっただけのガキなんぞに読み解ける代物ではない。だがあえてビュートは言う。


「これが全部読めるようになったら一人前だ。学校行って勉強して、読めるようになるこったな!」


「くそぉ……」


 あぐらをかいてその上に魔術書を乗せたイシルは、悔しそうに頭をガシガシとかいた。

 そんなイシルを見てから「どれ、じゃー俺ぁ鶏の餌やりでもすっかな」と立ち上がった。イシルの目線は魔術書に注がれたままだ。


 家の外に出て、鶏小屋で作業をしていると話しかけられた。


「ビュート爺さん、ちょっといいか?」


「ん、なんだ?」


 見ればそこに立っているのは村の村長だった。顔が青ざめ、唇は紫色で目はあっちこっちをキョロキョロとしている。


「ここじゃなんだから、俺の家で」


「ああ」


 よっこいせと立ち上がったビュートは村長の後について行き、家の中へと入った。ビュートの家より幾分マシな作りのそこで、勧められるがままに席に着くと早速話が切り出される。


「……昨日の夜、王都から魔術師様がやってきて……これを手渡された」


 すっと差し出された封筒にビュートはピクリと反応した。すでに封が開いているそれを遠慮なく手に取り中身を出す。書いてある内容は想像通りだった。


「ロレンヌとの戦争か」


「ああ、()()この村が拠点として使われる」


 村長は息をつき頭をかきむしった。


「いつもいつもそうだ。最近では落ち着いてきたって言うのに、また戦に村が使われ男手がかり出される!」


 焦燥している村長の顔は哀れだ。 

 ロレンヌとの国境付近に存在しているドゥーラ村はいつでも戦争の最前線基地として使われる……そして村の男たちは魔術師の肉壁として戦争に駆り出されるのだ。

 魔術師というのは弱点の多い存在だ。

 圧倒的な火力を有しているが、杖と魔術書の携帯が必須になり術の発動に時間がかかる。それ故に周りを騎士で固め、前衛には平民をつける。平民は騎士とは違いろくな装備も持たず、ただ数だけを揃えた時間稼ぎにすぎない。

 魔術師の大規模殲滅魔術が完成すれば敵もろともに……消される存在だ。


「くそ、くそっ。魔術師様は俺たちの命なんて家畜以下だと思っている。どうして俺たちばかりがこんな役回りをしなけりゃならない?」


「…………」


 こうして愚痴っている村長自身もまた、兵の一人として戦地に立つことになるだろう。


「戦争なんてろくな結果になりゃしない。俺たちの村がなくなったって、王都の貴族連中はどうとも思わないんだろうさ!」


 だんだんとヒートアップしていく村長にビュートはかける言葉を見つけることができなかった。確かにそうだ。王都では、こんな辺鄙な村のことを気にかける人間など皆無だ。ロレンヌとの戦争に勝ち、その豊富な土地を手に入れることで得られる利益勘定ばかりしている。

 そこにどれほどの犠牲が伴うかなど考えもせずに。


「……女子供の避難は俺が請け負おう」


「ああ……くそぉ。俺も爺さんくらい長生きしたかったなぁ」


 その言葉にビュートはふっと笑った。いつもの豪快な笑い方ではない。皮肉に歪んだ笑みだ。


「長生きなんてするもんじゃねえぞ」


「そりゃ爺さんからすりゃそうかもしれないけどさぁ。ああ、ようやく息子が十歳になったばかりだってのに」


「よかったじゃねえか。十五歳だったら戦争に駆り出されてた」


「うぅ……くそぉ」


 ビュートはもう一度、告知されている日時に目を通した。残り十日しかない。全くギリギリに送ってくるもんだぜ、と思いつつ手紙を折りたたんで封筒にしまうと村長へと返す。

 そして立ち上がった。

 明日には村は大騒ぎになるだろう。戦力にならない女子供は荷物をまとめて隣村に避難しなけりゃならない。そこまでは大人の足でも歩いて丸一日かかる。子供を連れていたらもっとかかる。街道沿いを進むとはいえ夜になれば魔物や盗賊が現れる危険もあるから気をつけなければならない。

 これからについて考えると憂鬱な気分になるけれど、ビュートは家に着く頃にはいつものあっけらかんとした笑顔を浮かべ、鶏小屋で糞の掃除をしていたイシルに「オジキ、どこ行ってたんだよ!」と言われても「ちょっと小便だ!」と返してはっはっはと笑った。




+++




 ガラガラガラと荷台を引く音がする。押しているのは村の女と、子供。

 幼子は母親におぶさり、歩ける子供は遅いながらも懸命に歩みを進める。今ドゥーラ村の人々は故郷を出て隣村へと向かっていた。

 すでに陽は傾き始めている。

 

 ーーそこに村の男衆の姿は存在しない。

 

「なあ、オジキ……」


 食料や身の回りの品、それにビュートからもらった魔術書など、わずかな荷物を持ってしんがりを歩くイシルはビュートに話しかける。


「なんだ?」


「なんで戦争なんてするんだ?」


「難しい質問だな」


 ビュートはふむぅと顎を撫でてイシルの問いかけに丁寧に答えた。


「国の魔術師はこう言うだろう。『この国を豊かにするためにロレンヌの土地が必要だ』と。テオドライトは全体的に大地がやせ細っているから作物が育ちにくい。魔物も多いし、収入源の鉱山は大方掘りつくされちまった。それに比べてロレンヌは豊かな大地と水辺を持っているから、手に入れば生活はもっと楽になるだろうな」


「じゃ、戦争するのはいいことなのか?」


「そうとも言えないと、俺は最近思うようになった。戦争は犠牲が多い。勝っても負けても大勢の死人が出る。そのほとんどがドゥーラ村みてぇな、なんの罪もない人間たちだ」


「…………」


 イシルはうつむき、地面を見た。荷台の轍<わだち>の跡が残る街道を粛々と進む村人たちの表情は、暗いものばかりだった。誰もかれも口数が少なくーーまるで死者の行進みたいだ。

 なんでこんなに苦しい毎日を送っているんだろう。

 俺たちが何をしたって言うんだろう。

 口にはしないけど皆がわかっていた。村に残された男たちに会えることはもう二度とないだろうと。 

 昨日には近隣の村の男たちがドゥーラ村にかき集められていた。皆兵士にするためだ。

 

 きっと全員死ぬんだ……。


「おう、イシルよ」


「……なんだよ」


「村に着いたら適当な商人の荷車にでも乗って、王都を目指そう」


  イシルはビュートを思わず振り仰いだ。その顔は真剣そのもので、一つ頷く。


「魔術師養成学校は編入試験も随時やってる。お前くらいの才能があれば、一も二もなく入学できる。金の工面ならアテがあるから任せておけ」


 イシルはビュートの言葉に頷いた。そうだ、さっさと王都へ行こう。俺が偉くなれば村も変えられる……もうこれ以上悲しむ人はいなくなる。


 ビュートはニカッと笑ったが、その顔が瞬間こわばった。

 街道から少し離れた場所にある森の中に視線を巡らせ、大声を張り上げる。


「魔物が来るぞ、逃げろ!」


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