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イシル少年の物語③


「さあ、じゃ、実際に魔術を使ってみるか!」


「おう!」


 夜、こっそり村を抜けて森へやってきた二人。やる気満々のイシルはかがり火の小さな明かりを頼りに早速地面に教わったばかりの魔術陣を書く。そしてその陣をしっかり見つめながら、陣を書いた木の枝に魔力を流した。


「うぉ、火が出た!」


 枝の先端からポッと火が出て、そして消えた。


「スゲェェ、火が出たぞ、オジキ!」


「おう、それが魔術だ」


 枝の先から火が出て興奮するイシルを、カラカラと笑いながらビュートが見つめた。

 イシルは次に水の魔術陣を地面に書き、魔術を流した。枝先から水が噴水のように飛び出る。


「すげっ、なあオジキ。これならもう飲み水に困ることが無いんじゃねえか?」


「まあそうだが、魔術を使えることは秘密にしないといけないから駄目だ」


「えーっ、いいじゃんか。水があれば植物も育つから食いもんも手に入る。体も洗えるからオジキの臭い体臭だって消えるだろ」


「おまっ、俺は臭くなんか無いぞ」


 するとイシルは鼻にしわを寄せながら片手でつまみ、空いている手を左右に振って見せた。なんとも失礼なガキである。


「とにかく駄目だ、魔術はそんな風に使うもんじゃ無いんだよ」


「じゃ、どんな風に使うもんなんだよ」


 するとビュートは薄黄色の瞳をすっと細め、言う。


「魔術っつーのはなぁ、敵を叩きのめすために使うもんなんだよ」


 イシルは非常に嫌そうな顔をした。


「そんなことより魔術で生活が便利になった方が断然いいだろ」


 イシルは思う。ただの棒切れから水や火が出るのなら、それを使って暮らせばいい。そうしたらわざわざ火を焚くために薪木を集めなくっていいし、水を求めて遠くの川まで行く必要もなくなる。しかしイシルのこの考えをビュートは一蹴した。


「駄目だって言ってんだろ。そんなことばっか言ってると魔術を教えるのやめるぞ。それよりほら、魔物がきてる」


「ええ!?」


「気配からして赤い猪(レッドボア)だろうな。よしイシル、仕留めてみろ」


「無理に決まってんだろ!」


 ビュートの無茶振りにイシルは仰天した。つい今しがたイシルはビュートに魔術を教わったばかりであり、それもただ枝の先からちょっと火が出る程度のものだ。こんなんで大人も怯える魔物を倒せとか、冗談にもほどがある。


「オジキがやってくれよ!!」


「それこそ無理だ」


「なんでだよ!!」


 するとビュートはあっけらかんとした顔で衝撃の事実を伝えてくる。


「俺、魔術使えねえんだわ」


「はああああ!?」


 どこの世界に魔術を使えない魔術師の師匠がいるというのだ。あんまりな事実にイシルは開いた口が塞がらなくなった。しかしビュートは悪びれた風もなく言葉を続ける。


「昔ちょっとした呪いを受けちまってなぁ、魔術はもう全然使えねえ。参ったのなんのって!」


 ガハハハ! と何がおかしいのか笑うビュートを見てイシルの顔面は蒼白した。森に出る魔物は村の大人にだって倒せない。だからドゥーラ村の人々は、魔術師が張ってくれた対魔物除けの結界の外には出ないようにしている。どうしても出る場合には、武装して複数人で行動するようにするのだ。

 この行動制限も村が貧しい理由の一つだ。

 結界内にいれば魔物に襲われる心配はないけれど、隣村や近くの町に仕事や商売に行く機会が奪われる。ここらの土地はやせ細っていて、天候不順や害虫などが加われば冬を越す蓄えが底を尽きてしまう。どうしたって外出しなければならない時はそうするが、戻ってこない時もあった。

 生きるのに、命がけだ。


 ともあれ今は目前に迫った魔物の脅威がはるかに大きい。

 それなのにビュートは逃げ出す様子を見せず、のんびりと地面に新たな魔術陣を書いていた。


「これはさっきよかちょっとだけ難しいやつな。水を凝固させて矢の形にして、打ち出す。あ、この図象が矢の飛ぶイメージで、この陣だと直線にしか飛ばねえから」


「おいいい、オジキ、今はそんなんいいから逃げようぜ!」


「もう間に合わねえよ、三体いるもんよ」


「オジキいいいいぃ!」


「ほらほら、いいから魔力流してみろ」


 イシルは言われるがままに魔術陣を見ながら魔力を流してみるが、何も発動しない。焦ったイシルがビュートの顔を振り仰ぐと、ビュートは「んー」と言いながらアドバイスをくれた。


「もっと集中しないとダメだ。もう一回言うぞ? この文字が水、隣が凝固するで、サ行変格活用の動詞『凝固する』の終止形だ」


「いやもう意味わかんねーから!」


「ほらほら、早くしねーと喰われるぞ」


 ビュートの言葉とタイミングぴったりに、木立の間から「ブモォォォ!」と凶悪な鳴き声をあげながらレッドボアが現れた。通常の猪の三倍はある体躯に、中央の鼻の両脇には鋭いツノが生えている。

 イシルは間近でみる魔物に恐怖し、パニックになった。


「うわああああ!」


「おうおうイシルよ、叫んでる場合じゃねえぞ。ほらもう一回やってみな。意味は理解できてんだろ? ならあとは感覚だ。水の矢を打ち出すイメージを持て」


 自分たちを食い殺そうとする魔物が間近に迫っているというのに全く慌てた様子を見せないビュートはイシルを木の棒で突っつきまわしてせっついた。イシルはもう半ばやけくそで魔術陣を見つめ、ビュートに言われたことを反芻し、そして魔力を木の枝に流し込む。


(水が凝固して矢になる。直線に飛ぶ、矢に……!)


 瞬間、魔術陣が青くカッと光る。透明な水が矢の形になり宙に浮いていた。イシルは無我夢中でそれを目の前に迫る三体のレッドボアへ向けて放った。

 二体の眉間に突き刺さり、一体の胴体に突き刺さる。

 

「あ……や、やったぜ!」


「まだだ。胴体に刺さったやつはまだ動いてる」


 その言葉にイシルはうぇっ!? と声を漏らし慌ててもう一度魔術を発動する。レッドボアは猪突猛進で知能レベルが高くない。二度目の水の矢が突き刺さり、今度こそ絶命に追いやった。


 ゼェゼェと肩で息をするイシルにビュートはカラカラと笑いかけた。


「おーっ、よくやったじゃねえか。さすが我が弟子!」


「……力が抜けた……」


 今しがた魔物に襲われたという恐怖と、それを追い払えたという自信。初めて使った魔術に対する興奮、驚き。様々な感情が去来して、イシルは尻餅をついた。

 そんなイシルをうんうんと暖かい師匠の眼差しで見つめるビュートは静かに言った。


「腰が抜けてるとこ悪いがよ、イシル」


「なんだよ」


「スケルトンが来るから逃げるぜ」


 イシルは息を飲んだ。スケルトンーー人間の骸骨に取り付いた魔物だ。ビュートはイシルの返事を待たず彼の体をひょいと抱え上げると、その枯れ木のような足からは考えられない脚力で走り出す。


「おおぉ、オジキ足早いんだな」


「こう見えても若い頃は散々暴れてたからなぁ!」


 ガッチャガッチャと不器用に走るスケルトンの追走もなんのその、まるで後ろに目がついているかのように軽々とかわしながら走っていく。やがて驚異の速度で魔物の追撃を振り切ったビュートは、そのまま村まで一直線に駆けていき、そして境界線となる川を渡って結界内へと入り込んだ。


「ーーっだあああああ! セーフっ!!」


「ギギギギギ!」


 結界に阻まれて入れないスケルトンは川向こうで悔しそうな声をあげていた。ビュートはそんなダークインプにあかんべーをしている。


「ハアハア……俺が現役バリバリだったら……かひゅっ、こんな雑魚どもなんか一捻りなんだがなぁ。ゲフッ! まあ、イシルがレッドボアを倒したから及第点だ。おしおし良くやった。ゲホゲホッ」


 ビュートは全力疾走して息切れをおこしながらもイシルの頭を乱暴に撫でてねぎらった。イシルは握りっぱなしだった木の枝と、己の手を見て、そしてぎゅっと両手を握った。


「オジキ、俺……やったぜ!」


「おう、すげぇよお前ってやつは」


 村人の誰しもが眠っている真夜中にイシルとビュートは笑い合う。

 なおこの時、イシルはまだ普通の文字を読めていない。

 普通の文字すら読めない少年が古代文字を理解して魔術師としての片鱗を見せた出来事だった。


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