かつて栄えた街の名前
アシュロンの言葉の意味をレイアはすぐには飲み込めなかった。この場所に街が? それがどうしてイシルビュートの苗字と関わって来るのか。
レイアの疑問を見て取ったのか、アシュロンはわかりやすく話して聞かせる。
「ドゥーラは、我が国がまだロレンヌと平和的関係にあった頃に両国の中継地点にあることで交易で栄えた街だ。商人が行き交い、物資が豊富に流れ着き、魔術師が常在した街で、王都に次いで栄えた場所であったと歴史書に記されている。
だが次第にロレンヌとの関係が悪化し始めると、ドゥーラは戦争の前線拠点に使われるようになった……度重なる戦で疲弊した土地には人が減り、近年ではつまらない村の一つに成り下がり、そして二十四年前の小規模な戦争でついに滅んだ」
だろう? とアシュロンが問えば、イシルビュートは藍色の瞳に憎々しげな色を宿しつつアシュロンを見つめ返す。その視線たるや、睨みだけで人を殺せそうなほどであったがアシュロンは別段意に介した様子はない。
「君は常に言っていた。『戦争で得られるものは何もない。人の命が無駄に散っていくだけだ』と。成る程、戦の最前線に立つ村の出身者らしい言葉だよ」
「…………」
「滅んだ村の名前を自分の苗字に使うなんて、実に情に厚い泣ける話だ」
「追放したやつの苗字をわざわざ調べるなんて、お前、よっぽど俺に執着してるだろう」
イシルビュートはアシュロンの挑発には乗らず、はっと短く笑いを漏らす。
「何だ? そんなに俺に顔面殴られた事が気に入らなかったのか? その綺麗な鼻っ柱が折れ曲がって、歯が飛び散った時には思わず笑ったぜ。学校で王様みたいにしてたお前の顔がボッキボキになったんだからよ」
「黙れ」
アシュロンが短く言うと杖が光って魔術でできた石の杭が浮かび上がった。無数のそれはイシルビュートへと向かい、彼の張っている結界をあっけなく破って肩を、腕を、足を貫き破る。
「…………っ!」
声にならない叫びをあげ、肩をかばうイシルビュートを見てアシュロンは愉快そうに口角を持ち上げた。
「魔術陣の記載すら必要のない、初球攻撃魔術ですらこの威力。どうだ、イシル・ヴァン。格の違いというものを思い知ったか?」
「格が違うのは杖だけで、同じ性能のものを持てばお前は俺には天地がひっくり返ったって勝てないだろうが」
この言葉にアシュロンはまたも攻撃によって返事を返す。今度は読んでいたイシルビュートが結界の強度を上げて対抗するも、少し上位の魔術を行使されたことによってあっけなく破られた。
魔術書なしでも高位の魔術師であれば簡単な魔術なら発動する事ができる。しかしそれは程度の差こそあれ、中級以上の魔術では不可能な話だった。それこそイシルビュートとクレアの二人が特別なのであり、アシュロンの放った今の魔術にしてもさして複雑なものではない。
しかし杖の持つ圧倒的な力が、簡単な魔術をまるで高位の魔術であるかのような威力へと昇華している。
イシルビュートの持つただの枝で太刀打ちできるような代物ではなかった。
「イシルビュート殿、大丈夫か!? 今……!」
「王女様、ちょっと黙っててくれ」
傷を治す、という言葉はイシルビュートの台詞に被せられて言えなくなる。レイアはピンと来た。こちらが聖女の魔術書を持っているという事実を、アシュロンはまだ知らない可能性がある。となれば癒しの魔術を使わない方が得策だろう。
イシルビュートは右腕に食い込んだ石の杭を左手で掴むと、引き抜いて投げ捨てる。
「杖も、この杖を手にするために必要な権力も。全てが勝負の材料になりうる。イシル・ヴァン。君は今日ここで死ぬんだ。故郷の地で死ねるのは幸運だとは思わないかい」
「生憎俺は、お前におとなしく殺される気なんてサラサラないんだよ!」
イシルビュートの持つ枝が光る。展開する魔術によって結界内に冷気が吹き荒れた。結界内のすべての大地が急速に凍っていき、アシュロンがその身にまとう防御結界に氷がバキバキと纏わりつく。
「ハイドラ!」
「貴様に言われずとも!」
アシュロンの背後にいつのまにかハイドラがおり、右手を振るっている。その素手が防御結界に触れた時ーー鉄壁に見えた結界にヒビが入り、砕け散った。
アシュロンは全く取り乱した様子を見せずにのんびりと魔術書をめくり、目当てのページを見つけたのかその手を止める。そして魔術が発動した。
ドンッ、と大きな音がして、ハイドラの体がまるで見えない巨大な岩にでも押しつぶされたかのように地面へ叩きつけられた。そしてそのまま追撃の石杭が穿たれる。ハイドラを狙った石杭は彼が自然発生できる結界をやすやす食い破りーーその喉仏を突き破った。
「……あ……ガァっ……」
その赤い瞳が驚愕に見開かれ、唇から鮮血が噴き出す。
石杭はハイドラの大動脈を貫通し、首と胴体を間違いなく切り離す。
ハイドラの首が転がり青い血が滝のように流れた。少し離れたところへ落ちた首は、唇からも血を流し、見開いた瞳で虚空を見つめている。
あまりにも衝撃的な光景だった。
ハイドラの自己治癒能力とレイアの聖女としての魔術を振るい、彼の体はほぼ万全に戻っていた。それだというのにアシュロンの生み出した石杭の一撃で、中央の首に致命打となる攻撃を叩き込まれたのだ。
「おかしなオーラを撒き散らす者がいると思ったら……人外者だな」
即死の攻撃を叩き込んだアシュロンは自身の仕留めた獲物を検分するよう睨め付ける。ハイドラの胴体は惰性で痙攣し、尋常ではない量の血を撒き散らしている。その首から上は空白でーー止めどない血が溢れ続けている。
「ハイドラ!!!」
「良い! レイア、放っておけ!!」
「だがっ……!」
「もう手遅れだ! それより下がってクレアを見ててくれ」
イシルビュートの下した決断は容赦がない。だが毒竜ハイドラの弱点である中央の首が飛んだ今、レイアにできることは確かに何もなかった。
言われた通りに後ろに下がって尚もガクガク震えているクレアへ寄り添いそっと声をかける。
「クレア、大丈夫か?」
「怖い……血が……せ、先生が……死んで」
「先生?」
しかしレイアの問いかけにも心ここに在らずといった感じで全く反応していない。なにやら自身の中で葛藤しているらしく、全く現状を省みていないようだった。
非常にまずい事態だ。
ハイドラが即死状態で戦闘不能に叩き落とされた今、なんとしてでもクレアに我に返ってもらわないとならない。
「クレア、しっかりしろ。クレア!」
こちらを向かせて少し乱暴に肩を揺さぶって見ても、その金色の瞳はレイアを映していなかった。
「さて、話もここまでとしよう」
アシュロンは短くそう言うと、一つの魔術を発動したーーベルモンゾ家得意の重力魔術だ。
先の建国祭後でも散々手こずらせてくれたその魔術は今、天地創造の力を借りて凄まじい威力になっている。
ハイドラをして一撃で沈黙させたその魔術に抗うすべはほとんどない。
イシルビュートとレイアはほぼ同時に防御結界を何重にも張った。無防備なクレアに対してもだ。
それでも結界は常時数枚ずつ壊されてじりじりと押されていく。
「イシル・ヴァン。かつて栄えた街があったこの場所で、骸を晒すが良い」
「ぬかせ……! 俺はこんなところで死ぬわけには行かねえんだよ……っ!」
イシルビュートは言いながら、両腕をクロスして注ぐ魔力量を強めた。少しずつ重力を押し返し、そして器用にも攻撃魔術を展開する。それは大人の腕ほどの長さがある氷の矢だ。
「……っ! 貴様がそうして、氷系魔術に長けているのも気に食わん! それは英雄ビュートの得意魔術だ!!」
うっとおしそうに撃ち払いながらアシュロンが声高に叫ぶ。
「平民風情が!! ビュートを名乗ることを許されているのも、氷系魔術を扱えるのも! 全ては貴族のみに許される特権だ!」
「貴族だ権力だってごちゃごちゃうるせえんだよ!」
イシルビュートは怒気とともに重力魔術を押し返し始めた。両足を踏ん張り、右手に左手を添え、あらん限りの魔力を注ぎ込む。
「お前らが……そんな考え方しかできないから! この国の大多数の人間が苦しんでんだよ!!」
「魔術師たる我らの庇護下で生かされている癖に贅沢な奴らだ!」
アシュロンは杖を振り上げた。そこに浮かび上がるのは、空が見えなくなるほどおびただしい数の石杭。びっしり並んだ石杭が、アシュロンの振り下ろした杖の合図とともに襲い来る。
「死ね、イシル・ヴァン!!」




