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後編:百年後

 テオドライト王国の最北端は、万年雪と氷に覆われた冷たい大地だった。

 ここでは約百年前より吹雪が止むことなく降り注ぎ、空は常に曇天だ。生きとし生けるものが存在できる環境ではない。

 何より大地の最奥に位置している洞窟にはーー何人なりとも近寄ってはならないという鉄則があった。

 今この時、百年ぶりにそれを破る者が現れる。

 寒さを感じないのか、その男は上着の一つも羽織らずに極寒の大地に降り立ち、そして洞窟の奥へと歩みを進める。手にしていた木の枝を軽く振ると、そこに明かりがほんのりと灯る。

 暗く長い洞窟を進むと、やがて広い空間へと出た。



ーー分厚い氷の壁が、空間と通路を隔てている。ぽっかり空いた空間の前には一本の黒い魔石が嵌った杖が、氷の大地に突き刺さっていた。


 杖先の明かりを強め、空間を照らす。

 そこには、紫の鱗を持つ禍々しい竜がとぐろを巻いて眠っていた。


「…………何奴だ」


 竜は地獄の底から響くような低い声を出し、男へと問いかけてくる。男は藍色の髪の隙間から、同色の目を覗かせて竜を見つめる。恐れは無かった。


「俺の名前は、イシルビュート・ヴァンドゥーラ。お前の力を借りに来た」


「ほう?」


 竜は興味を持ったのか、首をもたげて目を開いた。九つある首の中の、中央のものだ。血のように真っ赤な巨大な瞳がイシルビュートを見つめる。


「……成る程……その名前、ここまで来た実力。貴様、随分色々と背負い込んでいるようだな」


「俺の事はどうでもいい。ハイドラ、お前をここから解放する代わりに俺の頼みを聞いてくれないか」


「内容による」


「ある土地の、瘴気を抑えて魔物を総べて欲しい」


 ハイドラはその言葉を静かに聞く。


「戦争があって、広範囲殲滅魔術によって大地が腐った。このままだと瘴気に惹かれて魔物がわんさかやって来て、近隣を襲う。何とかして欲しい」


 イシルビュートのこの頼みは賭けだった。

 そもそも百年前、人類を襲って封印された竜に今度は封印を解くから人間を守ってくれなどとーー都合がいいにも程がある相談だ。

 一蹴されてもおかしくないが、イシルビュートには現状これ以外の打つ手が見当たらなかった。

 瘴気を防ぎきれなければ……近くの街に住む、罪もない人々から魔物に襲われて死んでいく。

 もうこれ以上人が死んで行くのを見るのは耐えられない。

 ハイドラはイシルビュートをじっと見つめた。千年生きる古の竜は、全てを見透かすような目でイシルビュートを見つめてくる。臆したら負けだ。目をそらさず、イシルビュートもハイドラから目を離さない。

 やがてハイドラが口を開いた。


「いいだろう。いい加減この場所で寝ているのも飽き飽きしていたところだ」


 くああ、とあくびをしたハイドラはのそりと上体を起こす。巨大な威容がますます大きく、恐ろしく見えてくる。


「ビュートの奴に……謝罪されてから百年か。お前はあ奴を知っているのだろう?」


「…………」


「答えぬか。まあ良い、言わずとも余にはわかる。その杖も持っていくのか?」


「これは竜核の封印の要だ。抜くわけにはいかない」


「何だ、解放すると言って竜核はそのままにするつもりか。抜け目のない奴だ。余を恐れているのか、んん?」


「恐れてはいない。が、解放した途端に暴れられても困る」


「そういう狡猾さもあやつ譲りだな」


 ククク、とハイドラはさも可笑しそうに笑った。


「しかし一つ、条件がある。余と戦ってみよ。見事勝てたのなら貴様の願いを聞こうではないか」


「……へぇ」


 イシルビュートは木の枝を握る手に力を込めた。口角を持ち上げ、眉をあげる。


「そういうわかりやすい話は大歓迎だ」


「血の気が多いところもそっくりだな」


 両者はしばし睨み合う。

 そしてイシルビュートは大地を蹴り、二人を隔てている氷の壁をぶち破った。ハイドラを封じる二段階封印のうちの一つを破壊する。

 氷雪で覆われた大地に巨大な魔力波動が巻き起こる。そのことに気がついた者は、ただの一人もいなかった。


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