お師匠様!帰って来ました!褒めてください!
窓から外へ飛び出したクレアは任務を無事にやり遂げた達成感と、やっとイシルビュートが待つあの荒地の自宅へと戻れるという高揚感とでいっぱいだった。
眼下には未だ式典中の王都の様子が見て取れる。
バルコニーには王族と魔術師達が集い、表門広場には見学のための貴族達とそれを守る衛兵。そして門を隔てた外側には民衆が詰めかけている。圧巻の光景だった。
当然のように空にも見張りの魔術師達が存在しているため、クレアは高度を下げて城の一角にある木陰へと身を潜めた。
そこで転移魔術を展開すると、クレアの姿はたちまちテオドライト王国の王都中心部、王宮より姿を消す。
クレアの目の前に広がったのは、あいも変わらずのどんよりとした鈍色の空、荒れ果てた大地とそこに唯一咲き乱れる先日大問題になった白常の花、そして懐かしのイシルビュートと共に暮らす小さな一軒家だった。
そのあまりにも久しぶりの光景にクレアは胸がいっぱいになり、自身にかけていた諸々の魔術全てを解くと、本を片手に走り出した。
家の扉をバーンと大きくあけ放ちクレアは今度こそ大声を出す。
「お師匠様ーっ!! クレア・ヴァンドゥーラ、ただいま戻りましたー!!」
「おー、クレア!」
師匠はハイドラとリビングの真ん中で距離を開けて立って向き合い、ハイドラを足元から氷漬けにしているところだった。ご丁寧にテーブルと椅子が脇へ退けられている。
突如視界に入った光景に面食らったクレアは思わず後ずさる。
「え……何してるんですか」
「ハイドラの状態がどれくらい回復してるのかの確認だ」
「それが……?」
足元からじわじわと凍ってゆくその様は、どう見たって攻撃魔術を一方的に仕掛けているようにしか見えない。しかし粛々と攻撃を受け入れていたハイドラは、かっと目を見開くと力を込めて軽く全身から魔力を放出した。
途端に氷の膜が弾けて床へと散らばる。
「お、上々だな」
「うむ。ようやく首も四つほど再生した」
手を軽く握ったり開いたりしてハイドラが自身の調子を確かめているのを見たイシルビュートは一つ頷き、クレアへと向き直った。
まっすぐと扉の前にいるクレアのところまで歩いて来ると、ポンと頭に手を置いた。
「おかえり、クレア」
「はいっ、ただいま戻りました!」
「服が血だらけだけど怪我してるのか」
「あぁ……これは敵の返り血です。私には擦り傷一つありません」
「そうか、なら良かった」
大きな掌で優しくクレアの頭を撫でるイシルビュート。藍色の髪から覗く同色の瞳にはクレアの無事を喜び、ホッとした色が浮かんでいる。そのままクレアが持っている本に目線が移ったので、両手を前に出してくっきりはっきり見えるように目の前に掲げた。
「じゃじゃーん! 手に入れました、『聖女の魔術書!』」
「む」
「おおっ」
足元の氷を踏みしめながら近づいてきたハイドラとイシルビュートが声を上げる。まじまじと見つめてからそっと本を受け取ってページをめくった。
「本物っぽいな」
「はい、本物です」
「他の本は何だ?」
「魔術書の解読に役に立つかと思って持ってきてみました」
「そうか……」
パタリと魔術書を閉じて他の本とともに脇に寄せてあったテーブルへ置く。
それからイシルビュートはクレアを抱き上げた後、思い切り抱きしめた。
「良くやった、さすが俺の弟子!」
「えへへっ、えへへー!」
久方ぶりに見るイシルビュートの笑顔にクレアは心の底から嬉しくなった。
軽々とクレアを抱きしめながらその場でくるくると回転するイシルビュート。クレアは両手を広げて胴を持ち上げられ、回されるがままだ。
「凄いぞ、本当に持ち帰って来るとはな!」
「頑張りましたー!」
「お前たち師弟は……馬鹿か?」
回り続ける二人にハイドラが呆れた声で話しかけてくる。何とでも言うがいい。クレアは師匠に褒められるこの瞬間のために頑張り続けたと言っても過言ではない。師匠に言われればクレアは火の中水の中、何処へだって行くし何だってできるのだ。悪魔に魂を売れと言われても喜んでそうするであろう。
呆れるハイドラに見守られながら(?)、ひとしきり回転した二人は満足して立ち止まり、やがてイシルビュートはクレアをゆっくりと床に下ろす。回りすぎて三半規管がやられたクレアはちょっとふらついたけれど、イシルビュートが肩を支えてくれた。
「おし、じゃあ、王女様に報告はしてあるのか?」
「あ、まだです。レイアさんは建国祭の式典に参加してる最中で」
「何だ、そうだったのか。じゃ、ロレンヌから送り込んでもらった間者の方にでもいいからさっさと連絡しちまえ。ドットーレの方には俺から連絡するから」
「はい」
言われてクレアはネックレスを取り出して伝書光鳩をリリーへと送る。落ち着いたらしいイシルビュートは隅の椅子へと腰掛けるとクレアにも「まあ座れ」と促した。ハイドラは壁にもたれかかり二人のやりとりを傍観している。
「にしてもクレア、敵って何だ。正体がバレたのか」
「あの……ちょっとだけ。アシュロン様がどうこう言ってました。お師匠様との接点までは気づかれていませんけど、潜入していることには気づかれたみたいです」
「やっぱりなぁ」
イシルビュートはクレアの報告を聞くと顔をしかめた。
「お前に潜入は向いてないとは思っていた」
「そもそも貴様とて裏工作は向いていないのだから、教え子だってそうに決まっておろう」
「ウッセーよ。だからロレンヌに応援頼んだんだろうが」
ハイドラの横やりをあしらいつつイシルビュートはふうと息をついたので、クレアは慌てて取り繕った。
「でも! 敵はやっつけましたし、記憶操作で私を殺したと思い込ませました。まさか聖女の魔術書を盗んで逃走したとは気づかれないはずです」
「おぉ、なるほど。よくやった」
魔術書を盗めばもはや王宮に用はない。クレアが死んだことになって姿を消したほうが何かと都合が良かった。
「あとは王女様がここに来るのを待つだけだが……アシュロンの手が伸びていないといいんだが」
顎に手を当てたイシルビュートが難しい顔を作る。
「奴は結構強引な手段を使う。王女様が捕らえられないとも限らない」
「返事が来たら私がこっそり迎えに行きます」
「ドットーレと合流してもらえればアイツがここまで転移できるからそれでもいい」
イシルビュートは藍色の髪をくしゃっとかきあげて足を組みクレアのことを真剣な眼差しで見つめた。
「ともあれ、俺には状況の全貌がわからない。クレア、このひと月に起こったことを最初から教えてくれないか」
「はい」
頷いたクレアは、掃除係として城に潜入した時のことから話し始めた。




