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聖女の魔術書

「ぐう……っ!?」


 唐突に殴られたギディアスは何が何だか理解できないままに鼻血を吹き出し、口内から折れた歯を撒き散らす。

 体勢を整える隙は与えない。クレアは階段を蹴り上げて空中に舞い上がり、左足をしならせてギディアスの鳩尾へと叩き込む。


「魔術スピードが? 国内一?」


 怒りを攻撃に乗せ、クレアは容赦無くギディアスを殴り蹴った。


「……っ!? ……っ!?」


「なら何か、反撃して見せたらどう?」


 血しぶきが飛んでクレアのつけている真っ白なメイドエプロンにシミがつこうと御構い無しだった。

 これこそクレアがイシルビュートより教わった対魔術師戦法。ズバリ肉弾戦である。

 

 魔術師というのは、接近戦に非常に弱い。

 何せ彼らは魔術書と杖を持っており、術を行使するにはいちいち魔術書のページをめくって該当箇所を開き、杖を媒介に魔術を展開する必要がある。魔術を発動するまでの間無防備すぎるので、大体が壁役に雑兵を数人か熟練の騎士を配備しておくのだが、今回ギディアスは一人でやってきた。

「俺の魔術スピードは国内いひ」らしいので必要ないと判断したのか、クレアをなめてかかったのかは知らないがどちらにせよ悪手だ。

 クレアの魔術スピードはもはや人外の域に達している。クレアの魔術書を必要としない戦闘スタイルは普通の魔術師が個人戦に持ち込むには不向きであり、勝つのは絶望的だ。


「お師匠様に言われたの。いくら魔術で身体強化しても、私の拳は軽すぎるって。だからあなたが気絶するまで殴り続けないといけないの」


 金の瞳に恐ろしいほどの冷徹さを宿し、クレアは拳でもってギディアスを一方的に蹂躙していく。


「私のお師匠様を侮辱したのはこの口? ねえ? 許さない……二度と口をきけないようにしてやる」


 馬乗りになって顔面を殴打しているその様は、完全にリンチにしか見えない光景だ。とてもではないが魔術師同士が戦っているようには見えない。


 余談であるが、イシルビュートが魔術師は肉弾戦に弱いと気がついたのは、彼がまだ魔術師養成学校に在籍していた時のことだった。学年の枠を超えて行われた魔術合戦ではほぼ全員が開始の合図とともに距離を取り魔術書をめくって自分の渾身の魔術を展開する遠距離での攻撃戦がメインである。

 しかしイシルビュートは、「一気に間合いを詰めて殴りかかれば勝てるんじゃね?」と思い立ち、それを実践したのだ。

 いきなり走って近づいてくるイシルビュートに生徒たちは面食らい、しかもスピードが早いので結界を張る前に殴られてしまうのだ。この時イシルビュートが使っていたのは純粋な身体強化の魔術だけであり、シンプル故に発動が早く対応しきれない。

 魔術戦ってこういうものではないのでは……と観戦していた教師陣は思ったのだが、魔術を使っていることには間違いないし、「魔術で相手を倒す」という規定に引っかかっていないためどうすることもできなかった。

 決勝戦ではイシルビュート対アシュロンというカードになり、イシルビュートはこの時身体強化に加えて「貫通」を併用してアシュロンに肉薄し、彼のその貴族然としたお綺麗な顔に拳を叩き込んで鼻の骨をへし折った。

 治療はポーションですぐなのだが、鼻の骨と一緒にプライドまでへし折られたアシュロンは以降イシルビュートを目の敵にするようになったので、おそらく彼が追放される原因の一端はこの出来事が担っていたのだろう。


 ともあれ、有効な戦法なのは間違いない。

 手も足も出ないギディアスはクレアに殴られるままであり、トドメの一撃が脳天を直撃したのと同時にぱったりと意識を失い動かなくなった。


「……あ……もう終わりかぁ。残念」

 

両拳を胸の前で握り、 ファイティングポーズをとったままのクレアは心の底からの感情を吐露した。おおよそ魔術師同士の戦いとは言えない、一方的な蹂躙はあっけなく幕を閉じた。

 しかしこんなところでいつまでも時間を食っている暇はないのも事実。

 クレアは完全にダウンしたギディアスから降り、キョロキョロと辺りを見回す。高いところに窓があったので飛んで近づいて見ると、下には水路があった。ちょうどいい。

 窓を破壊するとギディアスの所へととって返し、その胸倉を掴みあげる。ネックレスをもはや原型をとどめていない顔面の眉間に突きつけると魔術を発動し、そして一言一句をはっきりと発音する。


「あなたはここで私と戦い、接戦の末に私を殺すことに成功した。あなたの放った火球が私に直撃し、私は燃えながら窓まで吹き飛び、そして外の水路に落ちて流されていった。……いい?」


 気絶しているので返事はないが、これでいい。

 術の発動を終えたクレアは満足して立ち上がる。これでクレアはこの場所でギディアスによって殺されたことになる。記憶改ざんの魔術は高度で習得はかなり困難だが、こういう時に非常に便利である。

 

「さ、さっさと魔術書探しに行かないと」


 頬についたギディアスの血をぐいと拭うと、足取りも軽やかに王妃の階段を駆け上がって王族の居住区域へと向かった。



+++


 再び気配遮断の魔術を使用したクレアはこっそりと王族居住区域内を歩いていく。王族と護衛の全員が式典参加のために表へと出払っている現在、この場所には使用人がいるだけだ。たまにすれ違う使用人達はしかし、クレアの存在に全く気がつかない。

 

(見取り図で見た感じだとこの辺りかな)


 クレアは人目を気にすることなく聖女の部屋を探す。不自然な空間があった場所はただの壁で、一見すると出入り口があるようには見えない。


(……んー)


 が、クレアが壁をペシペシと触って確かめると、魔術陣が刻まれているのに気がついた。


(ああ……これはちょっと特殊っぽい)


 記述を読むと、この場所に入れるのは聖女もしくはその教育係だけらしい。ずいぶん古めかしい魔術陣で、この城で今まで見てきた結界魔術陣と比べても遥かに複雑なものだった。資格を持たない者が入ろうとした場合はおそるべき災難が降りかかると書かれている。攻撃魔術が自動で発動するか、呪いがかけられるか。こういった類いのものは現在の技術では再現不可能な魔術だと教わっている。おそらく、数百年前の古代魔術陣。


 うーんとクレアは首をかしげる。いかなクレアといえどもこれを破るのは一苦労だ。

 力押しで破れなくもないだろうが、それだときっと相当量の魔力を消費する。そして派手に解除すれば目立つだろう。せっかく王妃の階段で死んだことになっているのだからここは穏便に済ませたい。


 とりあえず駄目元で、この魔術陣が資格を持たない者がやってきた場合にどんな反応をするのか見てみることにした。こうした封印系のたいていの魔術陣は解除しようとした場合結界で押し返してくるのだが、その威力で魔術の強力さが推し測れる。

 

 そっとネックレスを魔術陣に置き、クレアの魔力を流し込む。

 するとーー。


(……ありゃ?)


 魔術陣が輝いたと同時に、そこには扉が現れた。何の変哲も無いその扉に触れるといとも簡単に内側に開く。


(開いた……何で??)


 魔術陣の誤作動だろうか。ずいぶん古いものだったし、手違いが起こったのかもしれない……そんな話は聞いたことないけれど。ともあれ開いたのならば幸いだ。

 一応の警戒をしつつ、クレアはその場所に足を踏み込みそっと扉を閉ざした。

 室内は暗い。ネックレスに灯をともして明かりを確保する。


「あ……」


 思わず足を止める。

 円形の部屋には壁面一帯に本棚が埋め込まれ、本が整然と並んでいる。中央にはステンドグラス。そこには白いベールを被った女の人が、杖を手に魔術を行使している姿が描かれている。


「綺麗」

『アンヌ様も初代聖女様のようにご立派な聖女様におなりになれますよ』


『そうかなぁ』


『ええ、きっと』


「…………?」


 アーチ型のステンドグラスを見上げていると、脳裏に何かがかすめた。

 知らない誰かの声がして、靄がかかったように人の形が見える。ぼんやりした記憶の中でそれが誰なのかはっきりしない。

 一体なんだろう、と考える前に、クレアは目を本棚へと向けた。すると一冊だけ表紙を向けて立てかけられている本が目に止まった。周りには他の本がなく、その一列にはその本だけしか無い。

 壁に刻まれていた魔術陣同様にずいぶんと古いもので、表紙は色あせてボロボロだった。そっと手に取りページをめくる。息を飲んだ。


 書かれていたのはごくシンプルな魔術陣。クレアには読めない言葉がいくつか書かれている。魔術の名前を指でなぞり、読み取れるものだけを読み取った。


「……怪我を……これは、癒す?」


 おおよそから魔術の内容を把握したクレアはページを次々にめくる。クレアはイシルビュートから魔術陣を読み解くために必要なありとあらゆる言葉を教わっていたが、そのクレアをしても読めない単語が次々に出てくる。


 最後のページまでめくった時、そこに書かれていた単語に目を見開いたクレアはこの魔術書が探し求めていたものだと核心する。胸に抱き寄せ、ついでに他に役に立ちそうなものはないか書架に目を走らせていくつか本を抜き出した。

 そうして五、六冊の本を手にしたクレアは部屋を出て、誰もいない廊下を走って窓を開けると悠々と快晴の空に滑るように飛び出した。


 右手で伝書光鳩の魔術を発動し、そして心の中で静かに叫ぶ。


(レイアさん、リリー、そしてお師匠様。やりました! 私、聖女の魔術書をゲットしましたよー!!)


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