解析結果
オリヴィアが花をエルイース研究所に送ってから数日、王族居住区の外にある彼女専用のサロンには研究所の所長と研究員二人の合計三名がやって来ていた。
そこには花とともに研究結果が書かれた書類が置かれている。
白ひげを生やした初老の所長は居心地が悪そうに、なんとも言いにくそうに口をモゴモゴと動かしながら解析結果を伝えた。
「……こちらの花には、微量の毒が検知されましてございます。含まれているのは沼地の瘴気でございました」
この言葉を聞いたオリヴィアは、翡翠色の目を見開いて口をキュッと引き結んだ。手にしていた扇を指先が白くなるほどに握りしめ、動揺を隠しきれない。
「即効性の猛毒というわけではございません。ですが少量とはいえ毒は毒……長く側におけば、人体に有害であることは間違い無いでしょう」
「どのような影響があるの?」
「詳しくはもっと研究を進めてみないことには申し上げられませんが、似たような花の毒がございまして、そちらは不眠や動悸などがございます」
「……そう」
言葉少なにオリヴィアは返答をする。
「恐れながら王妃様、この花はどちらで手に入れたものかお伺いできますか? サンプルが多ければ研究もはかどります」
「それは言えないわ」
「ですが……」
「言えないと言っているでしょう!」
急に甲高い声で叫んだオリヴィアは、持っていた扇を所長めがけて叩きつけた。
「下がりなさい! それと、この研究を誰かに口外したら死刑だから覚悟おし!」
「は、し、失礼いたしました……!」
所長と研究員は平身低頭し、突如怒り出したオリヴィアに恐れおののきながら持参した花を持って退出する。荒い息をしながら、オリヴィアは頭を押さえてどさりとソファへ座り込んだ。
「王太子妃様、大丈夫でございますか?」
「いいから、放っておいてちょうだい」
メイドの声掛けも煩わしく、置かれたままの書類に目を通した。
エルイース研究所は王太子妃の命令を迅速にこなすべく、所長を筆頭に優秀な研究員を総動員して花の解析に当たった。その結果がこれだ。
まだ詳細までは明らかになっていないが、沼地の瘴気が含まれているのならばどう考えても体に有益では無いだろう。
でも、ならば。なぜこれの贈り主はオリヴィアに花を贈り続けたのか?
「……まさか、ね……」
「オリヴィア様、大変申し上げにくいのですが、そろそろお部屋にお戻りになりませんと。次のお約束が……」
次の約束。それを聞いた途端、オリヴィアは心臓を掴まれたかのように息苦しくなった。
「……ええ、わかっているわ」
けれどもここで約束を反故にすれば不自然だろう。席を立つと、オリヴィアはしずしずと歩いて私室へと戻った。ややあってからドアがノックされ、来客がやってくる。
ーーその姿を見て、オリヴィアの白い顔は一層色を無くした。
「やあ、オリヴィア。調子はどうだい?」
姿を現したのはオリヴィアの実の兄、この王宮の影の支配者であるアシュロン・ベルモンゾその人だった。
「……ごきげんよう、お兄様」
「うん? 顔色が悪いみたいだが……大丈夫か?」
アシュロンはオリヴィアそっくりの翠色の瞳に心配そうな眼差しを浮かべると、そっとオリヴィアへと近づいてくる。
「君は真面目だから、王太子妃としての責務に押しつぶされてしまわないか心配だ。……そうだ、今日もこれを持ってきたんだ。受け取って欲しい」
そういうとアシュロンは手にしていた魔術書のページをめくり、杖先から魔術を発動した。
何も無い空間から現れたのは、一握りの花束。
白い花は先端に行くほどに白く透き通っており、可憐な見た目をしていてーー。
「…………ひいっ!!」
オリヴィアはクレアの言葉と先ほどのエルイース研究所所長の報告を思い出し、思わず叫び声をあげた。
「どうした?」
いつものオリヴィアとは百八十度違う態度に訝しんだアシュロンは、片眉を吊り上げて訝しむ。オリヴィアは動悸を抑えることができず、喘ぐようにしてアシュロンへと問いかけた。半ばパニック状態だった。
「お……お兄様、実はその花にどのような効果があるのか知りたくて、エルイース研究所に解析を依頼しましたの」
「ほう」
花をテーブルへと無造作に置いたアシュロンはオリヴィアの話を静かに聞く。
「その結果、あの……そちらの花には……ど、毒があると。沼地の瘴気を含んでいると……おっしゃっていましたわ」
「オリヴィア」
アシュロンは目を瞑り、オリヴィアの名前を呼んだ。声音は努めて優しいが、それがかえって不気味でオリヴィアはびくりと肩を震わせた。
「なぜこの花を急に調べることにしたんだい?」
「……レイア王女様付きの、クレアと名乗るメイドに、花には毒があると言われまして」
「オリヴィア」
再び自分の名を呼んだ兄の声は、今度ははっきりと怒りを含んでいた。上目遣いに見つめるとその優美な顔には表情が消えており、緑の瞳は冷たくオリヴィアを見据えている。
「私は言ったはずだよ。この花のことを誰にも話してはいけないと」
「申し訳ございません……ですけれどもお兄様、毒があるというのは本当ですの? わたくしがこの五年間、子供を授かれなかったのは、この花が原因なんですの? だとしたら……!」
兄の考えていることがわからず、オリヴィアは半ばパニックになってアシュロンへ問い詰める。いつでも優しく、聡明で、三十代の若さで王宮の権力を掌握している自慢の兄だ。その彼がなぜ自分に毒を盛るようなことをしたのかオリヴィアには全く理解ができなかった。
「オリヴィア」
三度名前を呼んだアシュロンは長い足を動かして、ローブをふわりとたなびかせてオリヴィアとの距離を一気に縮める。
「君は誤解をしているようだ。そうだね?」
「な、何を……」
魔術書を左手に、杖を右手に。そしてアシュロンは静かに魔術を発動した。
「この花は、君の機嫌を取りたいレイアが定期的に贈っていたものだ。心優しい君は花を捨てることもできず、こうして部屋に飾っていた……そうだろう?」
「そう、ですわ……」
「そしてその花の違和感に気づいた兄が研究所へ送ることを薦めた。そうだったね?」
「……ええ」
ばちばちと光が明滅し、オリヴィアを囲む。一言一句をはっきりと発音し、オリヴィアの脳髄に刻み込むようにアシュロンは言葉を紡いだ。
「そして花には毒があった。これはつまり、君の立場を妬んだレイアが君に毒を仕込んでいたということだ。許すわけにはいかない。王太子妃に毒を盛る行為は……」
「……投獄ののちに、死刑ですわ……」
「そう、いかに王女といえども許される行為ではない」
ばちん。音がして光が弾けた。フッと意識を失ったオリヴィアは糸が切れた人形のように力を失い、膝からくずおれる。それを抱きとめ、静かにソファへと横たえた。
「馬鹿な妹だ」
吐き捨てるように言い、持ってきたばかりの花に視線を移すと魔術にて燃やす。
メイドを呼んでオリヴィアが急に体調が悪くなって寝込んだことを伝えると部屋を出て足早に歩いて王宮を後にした。
人気のない場所まで来ると、ごく小さく名前を呼ぶ。
「ギディアス」
「はい、ここに」
「クレアと名乗るメイドをつけろ。場合によっては、消せ」
「御意に」
一人の小娘がやって来てからというもの、十二年間大人しくしていたレイアが王宮内でにわかに注目を集め出した。先にギディアスに探らせたところ、只者ではないと言う。名前を偽り、職業を偽りギディアスをやり過ごそうとした。
そもそもアシュロンが調べた限り、このクレアという小娘は素性がかなり怪しかった。戦争孤児としてドットーレ・オズボーンに拾われた彼女は働き口として王宮を紹介されたという。
通常ならば考えられない量の仕事をこなし、かと思えばオリヴィアの前で失態を演じレイア付きのメイドへとなった。それからというものレイアは見たことのない魔術で茶会に呼んだ令嬢を魅了したり、夜会で男装した挙句にメイネル嬢の元婚約者相手に決闘をしたりしている。
そして今回のこれだ。
オリヴィアはアシュロンの言うことを今まで絶対的に信頼していた。実の兄が毒を盛っているなどと毛ほどにも考えたことはないだろう。
王子二人を産んだオリヴィアの現在の王室での役目はもう済んでいる。今この時に、聖女が生まれては困るのだ。ロレンヌを攻め滅しその土地がテオドライトのものとなった時、現在の王室は不運にも崩壊して玉座が明け渡されーーアシュロンが次の王位へと就く。
シナリオ通りにいかせるため、アシュロンはいかな犠牲も厭わない。
緑の瞳に静かな決意を滾らせてアシュロンは王宮内を闊歩する。
今はまだ、駄目だ。
建国祭前の浮足立ったこの時期に事を荒立てる必要はない。
式典が終わったと同時にレイアを拿捕し、同時にクレアと名乗る小娘も始末する。
「……邪魔者は……十二年前に排除したのだと思ったが。イシル・ヴァン」
思い出すだに忌々しい一人の魔術師だった男の名前を上げる。
際立った魔術の才能を武器に平民ながらに異例の速さで特級魔術師の位まで上り詰め、王宮で戦争の無意味さや平和を声高に説いた男。
身分の垣根を超えて皆を惹きつける力を持つ男だった。
あれがいなければもっと早くにアシュロンは玉座に座っていただろう。国内の反戦争派閥をまとめ上げ王宮内を大いにかき乱したあの男のせいで、アシュロンの計画は大幅に遅れを取ってしまった。
一度の戦争で大地を腐らせ、二度目の戦争でロレンヌを完膚なきまでに叩き伏せる。二度に渡る戦争の前線で戦い、勝利へと導いた功績者としてアシュロンは英雄へと至り、そして現王室の地位を貶めベルモンゾ家が王室を簒奪するというその計画。
「まるで奴の亡霊が城で蠢いているようだ」
だが、些細な事。
建国祭の日にレイアは捕縛されクレアは抹殺される。
こそこそ裏で動いている目障りなドットーレ・オズボーンにもついでに退場してもらおう。
気づかれないように包囲網を作り……一気に仕留める。
ニヤリとアシュロンは誰もが見惚れる繊細な顔立ちに邪悪な笑みを浮かべた。
「ああ……楽しみだよ。私の邪魔をする者が一網打尽に消える様を想像するのは」
コツリ。杖音を床に響かせながらアシュロンは歩き出した。
見据える目は、己が玉座に座る未来を信じて疑っていなかった。




