第一段階、クリア
二人の淑女の間にはえも言えぬ緊張感が漂っていた。
絶対に出会ってはいけない二人が出会ってしまった、そんな雰囲気が醸し出されている。頭を下げたままにちらりと様子を伺い見ると、レイアはハイドラ討伐時に身につけていた白銀の甲冑を着込んで腰には剣を提げていた。訓練でもしていたのだろうか。背筋をまっすぐに伸ばし、きりりとした表情を浮かべているレイアはとても頼もしい。
片や対峙しているオリヴィア王太子妃はその紅を引いた唇に余裕の笑みを浮かべている。手に持っていた扇を口元に当てると、くすりと笑った。
「まあ……レイア様は相も変わらず、剣を振るっておりますの? 精が出ますわね」
「私にできることはそれくらいなので」
「王族でありながら自身の身を顧みず、前線に立って戦う様は勇敢だと城の者も申しておりますわ。か弱いわたくしにはとてもではないけれど真似できませんわ……ねえ?」
完璧に化粧されたその眉尻を下げ、扇をぱしんと軽く手のひらに叩きつけた。しゃらんとその耳に下がった大きなイヤリングが揺れる。
「何しろわたくしには、聖女になる姫を生むという重大な責務がございますの。どなたかが聖女であるならばこんなに急かされることはなかったのですけれどね」
オリヴィアの声に呼応するように後ろに控えている侍女たちの嘲笑がさざ波のように広がった。
「ああ、本当に……夫も困っておりますのよ? お兄様にも焦らずとも良いと言われているんですけど、そういうわけにもいかないでしょう? 何せ聖女の使う魔術は絶大な効果を発揮致しますもの。早くその奇跡の力を行使して欲しいと、城中の者が待ち望んでいますのよ。
わたくしが姫を生んだ暁には、さぞかし祝福されるでしょうね。どこぞの『無能』と呼ばれる王女様と違って……そう、あの皆に愛されたアンヌ様のように、きっと誰からも祝福される存在になりますことよ」
笑いが、そっと広がる。レイアを見つめる皆の視線にははっきりと侮蔑が込められていた。
「アンヌ様がお亡くなりになったと秘密裏に聞いた時、わたくし胸が締め付けられる思いでしたのよ。お可哀想なアンヌ様! 聖女として国の期待を一身に背負っていたあの方が、なぜお亡くなりにならなければならなかったのか……天は残酷なことをいたしますわねぇ」
格でいうならば直系王族であるレイアの方が身分は高いはずだ。それなのに面と向かって皮肉を言われ、こうして召使いにまで笑われるというのは一体どういうことなのだろう。
レイアはグッと拳を握り、怒りを堪えているようだった。何か一言言ってやりたい気持ちがクレアにもあったがここでクレアとレイアの繋がりが明るみに出るのもまずい。クレアは腹に力を込め、口をついて飛び出しそうな反論を飲み込んだ。我慢だ我慢。
クレアは師匠と二人暮らしだし、たまに行くロレンヌの街では助けをもたらす魔術師の師弟ということで好意的な待遇ばかりを受けていた。誰も彼もが優しく接してくれるので、こうした類の嫌味を耳にすることがほとんどなかった。
なので城に来てからというもの同性のギスギスした扱いには正直面食らっていたし、このオリヴィア王太子妃殿下の皮肉はちょっと許容できない。けれど、ここでクレアが暴れたって何もいいことが無いため堪えるしかない。
隣のリリーはプレッシャーに押しつぶされそうなのか、滴り落ちるほどの汗をかきながら必死にお辞儀の体勢を保っていた。これはクレアとは別の意味でまずそうだ……いつ失神してもおかしくないほどの状態だ。
「……用件はそれだけか? 私は忙しい、ここでやることがある故結界を張った。用がないなら立ち去ってくれないか」
「あら? 王妃でも無いレイア様がこんな場所で、何の用がございますの?」
「オリヴィア王太子妃殿下には関係の無い事です」
「ございますわよ。わたくしは未来の王妃になる存在。であればここは将来わたくしが使う階段になりますわ。もし何か悪質な悪戯を仕掛けようというのなら、看過できません。でしょう?」
「今現在、この場所は貴殿のものではなく私の母のものだと思うが? 亡き母を思いこの場所に私が佇んでいても何もおかしくは無いだろう」
「ああら、口だけは達者ですのねぇ」
凄まじい嫌味の応酬にクレアは何も口を挟めない。どうしよう……完全に空気と化してしまっている。レイアがごまかしてくれているうちに、一礼して退去するというのはどうかな。そんなことを考えて横目でリリーを見ると、顔色が真っ青だった。やばい。今にも吐きそうなその顔にクレアはやっぱり退去を申し出ようと顔を上げる。二人のやりとりはますますヒートアップしていた。
「大体、オリヴィア殿こそこの場所に何の用があって来たのだ? この先には王妃の私室しかない。心労が溜まっているオリヴィア殿の心を楽しませるものなんて何もないと思うが」
「わたくし、別にこの場所に用があるわけではございませんの。用があるのはそこにいる召使いですわ」
「えっ」
「!?」
唐突に話題が振られたことでクレアとリリーは思わず変な声が漏れ、顔を上げてしまった。豪華な美女であるオリヴィア王太子妃殿下とバチっと目が合い、慌てて再び顔を下げる。
「聞くところによると、そこの召使い二人が来てから城が随分と綺麗になったというじゃありませんの。わたくし、優秀なメイドが欲しかったところですわ」
「めめめ、滅相もございませんっ!」
平身低頭を崩さないままにクレアはすかさず反論の言葉を口にした。
「私たちの仕事なんて微々たるもの……! まだ城に来て間もないですし、王太子妃殿下の専属など恐れ多くも務まりません!」
「そうかしら? この場所も以前にわたくしが通った時に比べて見違えるように美しくなっているようだけれど」
「それは先輩方の尽力によるもので、決して私たちの成果ではありません!」
「そうなの?」
「はい、そうでございます。若輩のメイド二人など、妃殿下の記憶にとどめておく必要すらないかと!」
泡を食ったクレアはなんとかこの場をやり過ごそうと、慣れない敬語に舌を噛みそうになりながら言い訳を重ねる。リリーにも何とか言って欲しかったが、緊張しすぎた彼女は隣で過呼吸寸前になっていた。今や汗が磨き上げた大理石に滴り落ち、苦しそうな顔で胸を上下に動かしている。いつ倒れてもおかしくなさそうだ。
リリーの体が不意にぐらりと傾いた。
紫色の唇で浅い呼吸を繰り返しながら、そのか細い体が後ろに傾く。バランスを取ろうと手をついた先にあったのは先ほどまでクレアが魔術で持ち上げていた花瓶だった。
その花瓶は細長い。体重をかければすぐに倒れてしまいそうなデザインだ。事実、リリーが手をついたことでバランスが崩れてぐらりと揺れた。豪華な花が生けられた花瓶がリリーめがけて倒れてくる。
その時クレアが魔術を使わなかったのはほとんど奇跡に近かった。
脳髄反射ではたきに手をかけそうになり、それを即座に止めると、ともかく花瓶の落下を止めようとクレアは向きを変えて両手で押し戻そうとする。
しかし時すでに遅かった。
花瓶自体は落下を免れたものの半分以上倒れていたそれは、生けてあった花が中に入っていた水ごと溢れて重力に逆らえずに落ちてくる。
バッシャーン!
派手な音とともに、結果、真下にいたクレアとリリーに思いっきり降り注いだ。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
シーンとした。あまりの出来事に誰も何も言えなかった。
頭から水をかぶったクレアとリリーはポタポタと水を滴らせながら恐る恐る背後を振り返る。そこにはあっけに取られて目を見開いたオリヴィア王太子妃と、同じく驚愕の表情を浮かべるレイアが。
呆然とした表情のオリヴィアはやがて開いた扇子に顔を隠し、肩を震わせる。
そして声を忍んで笑い出したかと思ったら、それはすぐに高笑いへと変わった。
「オーホッホッホ! なんて間抜けなメイドなの、頭から水をかぶるなんて!?」
オリヴィアの笑いが従えていた護衛や侍女たちにも広がり、こらえきれなくなった彼ら彼女らも笑い出す。小馬鹿にするような笑いが大階段に響き渡り、クレアは顔から火が出そうだった。隣にいるリリーも眦に涙を浮かべて顔を真っ赤にしている。
笑い声はしばらくの間おさまらず、クレアとリリーは羞恥に耐えねばならなかった。
ようやく高笑いを収めたオリヴィアは、さも楽しそうに二人に扇子を突きつけて言う。
「オズボーン侯爵の推薦を受けた有能なメイドがいるという話があったから来てみたら……とんだ期待外れだったようね」
未だに立ち尽くすクレアたちを意地の悪いニヤリとした笑みを浮かべて見下す。そしてすぐそばにいたレイアに目線をうつすと、瞳がさらに邪悪に歪んだ。
「こんな鈍臭そうなメイドが城内の清掃を担当していたら、逆にお城が汚れてしまうわ。……そうだ、レイア様には専任のメイドが一人もいらっしゃいませんでしたわよね? いかがです、こちらの二人を専属にしては?」
「何?」
話題を振られたレイアはオリヴィアを見つめると、彼女はナイスアイデアだとばかりに大きく頷いた。
「レイア様にぴったりなお二人だと思いますわ。さぞかし……注目を集める三人組になるでしょうね」
勝手に話をどんどんと進めるオリヴィアであるが、これは渡りに船ではないだろうか。
当初予定していた通り、このままレイア付きのメイドになれるならば僥倖だ。頭から水をかぶった甲斐もあるというものだ。思わず口角が上がってしまいそうになった。
クレアは顔に喜色を出さないよう、下を向いてやり過ごす。
「ああそうだわ、せっかく専任メイドができたことですし、お茶会など開いてみてはいかがです? きっと楽しい席になると思いますわぁ」
「茶会だと?」
「ええ、王女様が一度もお茶会を開いたことがないなんて問題だと思いますの。淑女に求められるのは、淑やかな振る舞いと令嬢たちとの高貴な会話。剣を振り回すことではありませんのよ」
諭すような口調ではあるが、非常にレイアを見下しているニュアンスが含まれている。
もう一度三人を見回すと、ふふ、とオリヴィアは可笑しそうに笑う。
「では、楽しみにしておりますわよ? 他の方々にもお伝えしておきますわ、レイア様が盛大なお茶会を開催する、と」
ごきげんよう、と言い放ち、オリヴィアはくるりと向きを変えてその場から去っていく。扉が閉まってしまえば残されたのはクレアとリリー、そしてレイアの三人だけだ。
静かになったその場所で、クレアは思った。
ひとまず第一段階はクリアです、お師匠様。と。
予想外にもう一人、メイド仲間が釣れてしまったけれど。




