王太子妃オリヴィアの憂鬱
「はぁ……」
第一王子ライオットの妃オリヴィアは自室でティーカップを傾けながらため息をついた。絢爛豪華な室内に負けず劣らず豪奢な衣装を身にまとったオリヴィアは、美しい。
金の髪を複雑な形に編み込み、髪飾りには宝石がふんだんに使われている。金糸銀糸をこれでもかと使ったドレスは城の誰よりも高価な代物だし、宝飾品は代々王族に受け継がれてきた希少なものばかりだ。
二十五歳の若さにして既に子宝として二人の王子に恵まれた彼女は、王妃がいないこの王宮内でもっとも位の高い女性として尊ばれている。
だというのに、その美しい顔には苦悩の表情が浮かんでいた。
「……はぁ」
ティーカップをテーブルへ戻し、またもため息をひとつ。
この憂鬱の原因はたったひとつだ。
オリヴィアは王家に輿入れした妃としてーー姫を産まなければならないというプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。
今現在テオドライト王家にて出産できる年若い女性はオリヴィアただ一人。
現在六十四歳の国王イグニウスは王妃ハイリーンが死去して以来ふさぎ込んでおり、後継を娶る考えは毛頭なさそうだった。
第一王女のレイアは結婚すらしておらず、今後するかどうかもわからない。聖女失格なばかりか女性としても役に立たないというのは一体どういう了見なのか、オリヴィアとしては問い正したいところだ。
自身の産んだ子たちが大きくなるのまだまだ先。
そんなわけでオリヴィアには、聖女になり得る姫を身籠もるという義務があり、その責任の重さに押しつぶされそうになっているのだ。
オリヴィアの旧姓はベルモンゾだった。要するにこの宮中でもっとも影響力があるアシュロンの実の妹である。実のところ最初はオリヴィアではなくアシュロンがレイアと結婚して王家に輿入れする予定になっていたのだが、レイアの王家における位置付けがあまりに低いことから反故になったのだ。代わりにオリヴィアが第一王子に嫁ぎ、結果としてアシュロンは王の補佐官に、オリヴィアは王太子妃として絶大な権力を有したのでベルモンゾ家としては大いに満足している。
国内有数の大貴族ベルモンゾ公爵家は元々、王族の傍系の血を受け継いでいるのだがーーアシュロンやオリヴィアの輝くような金髪は王家の印だーー今や名実ともに王家にもっとも近い貴族となっている。
この力を更に強固なものにするために、一刻も早く姫を生まなければならないというのに、二人目の王子を産んでから五年、妊娠の兆しは全く見られない。おまけにここ数年はなんだか体調も思わしくなかった。周囲に気取られるわけにはいかないため化粧ばかりどんどんと厚くなっている。
長いまつ毛を物憂げに伏せり、兄そっくりの緑の瞳をテーブルの上の花瓶に向ける。花瓶には白く可憐な花が生けられていた。中心から先端に向かうにつれて透き通っていくその幻想的な花は芳しい香りを放っており、季節に関係なく飾ることができるこの花がオリヴィアはたいそう気に入っていた。
胸いっぱいに花の香りを吸い込むとこの鬱屈とした気持ちも少しは晴れていくような気がする。
花びらをつまむと、少しだけ茶色くなっていることに気がついた。途端にオリヴィアの心に怒りがむくりと鎌首をもたげる。
「誰か!」
「はい、オリヴィア様」
「花が傷んでいるわよ、捨てておいて頂戴!」
「申し訳ございません」
「全く気が利かないわね」
メイドの一人がそそくさとやってきたので、バシリと扇で打ち据えて怒りをぶつけた。メイドは再び謝罪をしながら、花瓶を手に退去していく。花が枯れているのにも気がつかないなんて、全く自分の召使いはなんて気が利かないんだろう。もっと優秀で、そして見た目も麗しい召使いが欲しいとオリヴィアは常々思っていた。
花がなくなるとテーブルの上が少し寂しいが、あの方は定期的に様子を見にきてくれるし、その時には必ず新しい同じ花を持ってきてくれる。
いつでもそうだ。
花のことは内密にと言われているから、誰にも話したことはないが、それがより一層の優越感を抱かせていた。
空のテーブルを見つめてから気分転換に散歩にでも行こうとオリヴィアは立ち上がった。道中でレイアに会ったら嫌味の一つでも言ってやろうと内心でほくそ笑みながら。
「散歩をするわ」
「かしこまりました」
護衛の魔術師と騎士、そして専属の召使い数名を従えての大移動が始まった。
誰も彼もがオリヴィアが通るとお辞儀をし道を譲る。実に気分がいい。
この千年続く由緒ただしき王宮内で、オリヴィアよりも権力の高い者は稀だ。
そして城内を移動している最中、オリヴィアはある異変に気がついた。磨き上げられた大理石の柱、チリひとつ落ちていない赤いカーペット、金縁の窓枠は輝きを放ち、頭上を見上げればシャンデリアが魔力で灯されたオレンジの光を投げかけている。
城の大階段を降りている時その疑問は確信に変わった。吹き抜けの天井から入る陽光がいつもよりも明るかったからだ。
「最近、いつもより城の中が綺麗になっている気がするわ」
「恐れ入ります。新しく入った下働きのメイドが存外に役立っていると聞き及んでおります」
「まあ。きっと随分と大人数を雇ったのね」
「いえ、それが……話によりますと、二人とのことです」
「たった二人?」
オリヴィアは片眉を吊り上げ疑問を呈す。二人でここまで城を綺麗にできるものなのか。しかもこの短期間で。その疑問はメイドにも伝わったらしく、彼女はしどろもどろに答えた。
「何でも、素晴らしく仕事ができる人物らしく。戦争孤児だったところをオズボーン侯爵様が拾って城へ働きに出る事になったらしいのですが」
「あら、天下の侯爵家のお方が戦争孤児を拾うだなんて……相変わらず物好きなお方ね」
オズボーン侯爵家といえばオリヴィアの生家であるベルモンゾ公爵家に負けずとも劣らない大魔術師の家系だ。その系譜は古く、優秀な魔術師を代々輩出していた。今代の侯爵家当主ドットーレは一時期アシュロンお兄様の宿敵である憎き平民魔術師イシルビュート・ヴァンドゥーラと親しくしていたようだが、それも魔術師養成学校時代のこと。卒業してからはアシュロンお兄様と親しくしており、先の戦争では前線に立って敵将の首を取り大活躍していたという話だった。
そんな人物であるが、オズボーン侯爵はやや平民に優しすぎる傾向がある。戦争孤児などという卑しく汚らしい身分の者をこの宮廷に召しあげるなどと。
内心腹を立てつつも、しかしこれだけ掃除の才能があるならばメイドとしては申し分ないだろうと思い直す。
改めて見回すと城内はやはりどこもかしこもピカピカになっていた。
オリヴィアは美しいものが好きだ。それが人であれ、宝石であれ、ドレスであれ、そして住まう場所であれ、何でも美しくなくては気が済まない。
俄然、興味が湧いた。
「そのメイドとやらに会いに行ってみましょう。今どこにいるのか調べなさい」
「それは……ですが……いえ。かしこまりました」
少々泡を食ったようであったが、承諾したメイドはお辞儀をすると件のメイドのことを尋ねにそそくさと去っていく。
さて場所がわかるまでの間、庭でも散策しようかしらとオリヴィアは足を庭へと向けた。
このメイドとの邂逅が、オリヴィアの沈む心の慰めに少しでもなればいいと考えながら。




