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イシルビュートとハイドラ

 夜半も過ぎた頃、ヘンリーを城に送り届けたイシルビュートは自宅へと戻る。

 レイアの寝台はクレアの部屋に、ハイドラの寝台はイシルビュートの部屋へと移動させてある。二人ともある程度回復するまで、しばらくは相部屋だ。

 自室へと入ったイシルビュートは窓辺にハイドラが座り込んでいることに気がつく。着ていた服はボロボロだったために全て脱がせており、今はイシルビュートの服を貸している。簡素な黒のVネックのシャツに、ゆるめのズボンだ。シャツから見える素肌にはガーゼを当てて包帯を巻いている。未だ癒えない傷からとめどなく青い血が流れており、定期的に替えないといけない。

 竜核の抜かれた体では、首の再生に存外時間がかかりそうだった。


 後ろ手で扉を閉めながら、人外に整った顔に物憂げな表情を浮かべながら外を見るハイドラに声をかける。


「起きてていいのか」


「問題ない。余を誰と心得ておる」


「厄災と呼ばれながらも俺の弟子に圧倒されてぶっちぎりで負けた竜」


 キッとハイドラの血のように赤い瞳がイシルビュートに注がれた。人間形態をしているとはいえ内から放つ禍々しい邪悪なオーラは隠しきれてなく、その眼力だけで人を射殺しそうな圧がかかっているのだがイシルビュートは意に介した様子もない。


「いくら小娘が常識外の力を持っていようが、竜核を抜かれていなければ負けることなど有りえなかった!」


「ははは、負け犬の遠吠えだな」


「そもそもこんな目に遭ったのは貴様のせいだろうが! 今すぐ竜核を返せ!」


「そりゃ無理だ。あれの封印を解くのは俺でも一苦労」


「全く……本当に師が師なら弟子も弟子だな」


 ハイドラはその完璧に整った美しい顔に苦々しげな表情を浮かべぎりりと歯噛みをする。諦めたように肩を落とした。

 こう見えて、ハイドラとイシルビュートの付き合いは長い。

 まだ小さなクレアに留守を頼み、封印された祠に赴いて事情を話したのが十年ほど前の話だろうか。 

 そこからちょっとした小競り合いをし、力でねじ伏せ、竜核だけを祠に残したまま本体をこの沼地に連れて来た。以来、ハイドラは沼地の王者として魔物の頂点に君臨しこの地を支配し続けた。

 力を封じられているとはいえ、並みの魔術師に負けるような竜ではない。

 万が一を考えてイシルビュートはハイドラに<探知の腕輪>をつけていた。クレアにも持たせてあるこの腕輪には特殊な魔術陣を施した魔石がついており、持ち主の危機を察して熱を帯びて赤く発光する。

 ヘンリーとの会話中に発熱し出したこの腕輪は、凄まじい速度で熱を上げていった。

 持ち主の危険度に比例して上がる温度。

 火傷寸前にまで燃え上がった腕輪にイシルビュートはあの時、戦慄していた。

 あの短時間でそこまでハイドラを追い詰めるとはーー只者ではない。


 急いで駆けつけたところ、ハイドラを窮地に追いやっていたのはまさかの自分の弟子だった。

 激動の人生を送っているイシルビュートもこれにはびっくりだ。

 ノリノリで毒竜を屠らんとクレアが放った殺傷能力の高い魔術陣を防ぐのは、さしもの師匠であるイシルビュートにもちょっと骨の折れる仕事だった。

 刹那に展開した高位結界魔術陣で防げたからいいものの、実はちょっとギリギリだった。

 あの時クレアが使っていた媒介も問題だ。非常に純度の高い魔石を使っていたため魔術陣の威力が通常の数倍に膨れ上がっていたのだ。

 ただの木の枝で応戦するのは無理がありすぎる。

 もっと威力の高い魔術陣を使われていたらイシルビュートとてどうなっていたかわからない。我が弟子ながら凄まじいポテンシャルである。


「で、実際何なんだあの娘は。貴様の介入があと数秒遅ければ、余の中央のこの首も確実に吹き飛んでいた。いくら余の力が封じられているとはいえ、あのように圧倒されるとは思いもよらなかったぞ。魔力量、魔術陣の発動速度、展開する魔術陣のセンス……魔術師としての力量はおそらく貴様以上だ」


 ハイドラは自身の首を右手でそっと撫でる。つう、とそこに汗がひとすじ流れていた。イシルビュートと同じく先の戦闘を思い出し冷や汗をかいたのだろう。

 それを見て肩をすくめる。


「クレアが何者かなんて、俺も知らない」


「知らない? 貴様の弟子だろう」


「十二年前、戦場で拾ったんだ。名前も生まれた国も何も覚えていなかった」


 つい昨日のことのように思い出せる。

 光を失った瞳、血まみれの全身。自身のアイデンティティの全てを失い、死体の山の中で立ち尽くすその姿。

 助けたいと思った。救ってあげたいと強く感じた。

 彼女にクレアという名前を授け、居場所を与えたのは他ならぬイシルビュート自身だ。

 だから別にクレアが何者だろうが関係ない。支え、側にいて共に生き、時折暴走した時には止める。それが師匠であるイシルビュートの役目だと思っている。


「あの娘からは厄介な匂いがするぞ。貴様には荷が重いのではないか?」


「そんな事ないさ。俺の弟子だ、何があっても俺が責任を取る」


「ならば責任を取って、竜核を返してもらいたい」


「責任を取って、お前の傷が癒えるまでここでみててやろう」


「ぐぬぬ……この減らず口め!」


 ハイドラは忌々しげにダン!と窓を叩いた。


「そもそも、みているだけで出来ることなどないだろう!? 人間どものポーションは余の体には合わないのだ、自力で治すしかないんだぞ!」


「自力で治るまでここで休んでいればいいだろ。沼地に出てくる魔物どもは俺が間引いておくから大丈夫だ。この家はこう見えて最高峰の魔術結界が張ってある。どんな攻撃にさらされようと安全だから安心して傷を治せ」


「千年生きる余にこれほど気安く接する人間などそうはおらぬぞ!」


「じゃあ俺は稀有な人間ってことでいいんじゃないか。まあ、カッカせずに休んでいろよ。どうせ今の状態だと、一人じゃロクなことができないだろ。意地張るな」


「意地など張っておらぬ」


「ならツンデレってやつか」


「断じて違う!」


 沼地に越してきてからちょくちょく話すような間柄なのだが、イシルビュートから見たハイドラの印象は「面白い奴」だ。その昔、人類を脅かすような存在だったらしいのだがとてもそうは思えない。もっとも今は力が失われているからこうして気軽に話しているが、これが竜核を手に入れてしまったらどうなるかわからない。平穏な関係を続けていくためにも竜核は封印したままにしておこうとイシルビュートは胸に誓っている。

 

「ともかく……! あの娘は只者ではないぞ、気をつけたほうがいい」


「ああ、肝に銘じるよ」


 ひとまずテオドライト王城潜入が無事にうまくいくといいのだが。

 こんなことになるくらいなら身分社会についてもっと教えておけばよかったと思うし、そもそもハイドラと会わせておけばよかったとも思う。

 まあしかし、後悔しても今更何の役にも立たない。

 出来ることをやるしかないだろう。


「これから忙しくなるな」


「何だ、割と楽しそうではないか」


「そうか?」


 ハイドラに言われ自分の顔を片手で撫でた。確かに口角がつり上がっている。


「十二年、大人しくしていたからな」


「結局貴様は動いていないと物足りない奴だということだ」


「否定はできない」


 ハイドラを連れてきたのはただの時間稼ぎだ。後はテオドライトの聖女が浄化の魔術陣を発動し、事態が落ち着くのを見計らっていた。

 仮にその後に戦争が起こっても何とか出来るよう、ロレンヌ側にパイプを作った。

 

 しかし事態はイシルビュートの想像の斜め上を行ってしまった。

 止める手立てはーーまだある。


「貴様、わかっているか? 余という統率者を無くしたこの沼地には、これから強力な魔物がわんさとやって来るぞ。貴様はそれに逐一対応せねばならんのだ」


「望むところだ。久々に暴れてやるよ」


 少なくともクレアが聖女の魔術書を盗んで来るまでの間くらい、余裕で持たせられる。


「血の気の多い魔術師だ」


 ハイドラに言われ、イシルビュートは何も言わずに黙って笑みだけを返しておいた。

 


 


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