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仕方がない、盗みに入ろう

 部屋の中がシーンとなった。いまいち状況を理解していなかったヘンリーさえも顔を青ざめている。聞こえるのは、時々ハイドラが漏らすくぐもったうめき声だけだ。

 この毒竜がそれほど重要な役割を果たしているだなんてクレアは想像だにしていなかった。てっきりこの瘴気の原因で、沼地に巣食う害悪だとばかり思っていた。

 だってお師匠様に聞いてもはっきりしたことは何も答えてもらえなかったし。

 まあ、振り返ってみるとお師匠様の答えはいつでも「ハイドラに手を出すな」だったけれど。それは「ハイドラがいなくなると困るから手を出すな」という意味だったとは。



「え…‥どうしましょう」


 静まり返った部屋の中、クレアは恐る恐る言葉を発する。

 イシルビュートはいつになく難しい顔をしながら顎に手をあてて考え込んでいる。そしてふと、レイアの方を見た。


「聖女の力がないというのは本当か」


「国の神官にそうはっきり告げられた」


「王女様が隠し子で、王の子ではない可能性は?」


 この不躾とも取れる質問にレイアはきっと眼光鋭くイシルビュートを睨みつける。


「無い。そもそも母は体が弱く、部屋にこもりがちだった。父のことを深く愛しているようだったし、それは有りえないと断言する」


「ふむ……癒しの魔術陣に目を通したり、発動を試したことは?」


「一度だけ……三歳の儀式の時に。結果は発動しなかった。だが……今にして思えば……」


 レイアは顎に指を当てて思案する。


「あの魔術陣が本物だったかどうか。朧げにしか覚えていないが、文字が足りていなかったような気もする」


「それじゃあ本当に聖女の力があるかないかわからないな」


 よし、と言ってイシルビュートは膝を打った。


「本当に王女様に聖女の力が無いか、試してみよう」


「なっ、無理だ! 聖女の魔術書は厳重に保管されていて、持ち出すには父である王と教会の教皇、それに魔術機関の総督の許可が必要になる。私は王家での立場は弱いんだ、依頼したところで誰一人許可を出してくれないだろうさ」


 レイアがイシルビュートの言葉に反論し、自嘲気味に笑う。この難題にイシルビュートはあっさりと答えを返した。


「そうか、ならまあ…‥奪うしか無いな」


「何?」


「クレアお前、この騒ぎの一因なんだから責任とって行ってこい」


「へ?」


 予想外な師匠の言葉にクレアは間抜けな声をあげてイシルビュートを見つめた。

 今、なんて?

 そんなクレアの思いを察したのか師匠は言葉を続ける。


「お前を王城なんて場所に送り出すのは気が引けるんだが、そうも言ってられない状況になった。王女様とテオドライトの城に潜入して、魔術書を盗んで来い」

 

 極めて複雑そうな表情を浮かべながらもイシルビュートはクレアにそう命じる。

 完全に予想外だ。


「てっきりお師匠様が行くのかと」


「俺が行けるならばそうしたいが、生憎顔がバレてるから潜入に向いてない」

  

「あ、そっか……」


「だがイシルビュート殿、もし盗めたとしても私が使えるかどうかわからないんだぞ。そんな危険を冒すのは……」


「何弱気なこと言ってんだ、王女様?」


 イシルビュートは口角を釣り上げてレイアを見る。切れ長の藍色の瞳が鋭くレイアを貫いた。


「できるかどうかじゃ無い。絶対に、使ってもらおう」


 有無を言わさない口調だった。

 クレアは知っている。師匠は結構強引でスパルタだということを。

 「俺の弟子なんだからこれくらいのことは出来ないとな?」と笑顔で言いながら無理難題を押し付けてきたりするのだ。

 師匠は優しいが優しいだけでは決してない。愛のムチというやつだとクレアは思っている。


「う……し、しかしだな」


「大丈夫だ、聖女ってのは王族に代々受け継がれる血に宿る力のことだろ? もし本当に王女様が国王の娘なら、その資格は有している。大切なのは、王女様がおそらく聖力を持っている、という事実が本人にさえ隠されていたということだ。なんとかしないと」


「なんとかしたいのは山々だが、私は魔術書の保管場所すら知らないので役に立てるかどうかは微妙だ」


「潜入さえできればクレアの魔術でどうにでもなるさ。強いだけじゃなくて、索敵や探知にも長けている。俺の優秀な弟子だ」


「えへへ」


 師匠に褒められると嬉しい。

 アメとムチにより師匠に鍛えに鍛えられたクレアは、教えられた魔術陣ならば完璧に使いこなせる自信があった。


「しかしどうやって潜入する? いきなり私が彼女を連れて帰ればいくら何でも不自然すぎるだろう」


「まあ、そこは考えてある」


 イシルビュートは目を瞑り、椅子にもたれかかって腕を組んだ。


「あいつにクレアを任せるのは心底嫌だが、一人……特級魔術師に知り合いがいる。そいつに頼もう」


「どんな人ですか?」


 この問いに目を開いたイシルビュートはクレアを見て、そして顔をしかめた。


「身長三メートルはある髭面の魔術師で、俺が魔術師養成学校にいる頃からの腐れ縁。信頼できるし魔術の腕は立つ。そんでもってロリコン野郎だから気をつけろ」


+++

 

 一体なんの因果なのか、ロレンヌ王国の第二王子であるヘンリー・レッセーニケ・ロレンヌは今現在、停戦状態となっている隣国テオドライトの王女であるレイア・トレビュース・テオドライドと二人きりになってしまっていた。


 ここはロレンヌ王国で『荒野の魔術師』と呼ばれる男が住む家で、妙に天井の高いリビングで傷ついたレイアが寝かされていた。

 家主である荒野の魔術師は、自室にハイドラを移動させて看病している。その弟子の女の子がいたのだがその子は急に増えた人員に対応するために買い出しに出て行ってしまった。

 そんな訳で、あぶれたヘンリーはレイアの看病をする羽目になってしまった。

 看病といってもすでに解毒薬も飲み傷の手当てもされているのですることは特に無い。椅子に座って見ているだけの状態だ。

 瞳を閉じて大人しく寝台に寝かされているレイアの顔を見る。

 確か情報だと、ヘンリーより二つ年上の二十七歳のはずだ。

 ショートカットの金色の髪。白磁器のように白い肌。

 顔立ちはとても整っていて、美しい。

 ヘンリーの自信のなさが染みついた情けない顔とはまるで違う。

 先ほどの話を聞く限り彼女も城で冷遇されているようだが、それでもこうして不貞腐れずに自分に出来ることをしている様を見ると眩しく感じる。

 なすべきことから逃げ続け、卑屈になっているヘンリーとは大違いだ。


「……隣国の王子にこのような形でお会いするとは思いもよらなかった」


 と、ここで王女の薄茶色の瞳が開かれて視線がヘンリーへと注がれた。まさか起きているとは思っていなかったので動揺する。


「……へっ、あ、お、起きてたんで?」


「ああ。……ヘンリー殿、とお呼びしても?」


「え、ええ。では僕は、レイア殿と。毒の状態はどうでしょうか。傷が痛むところはありませんか?」


「少し違和感はあるが、大事なさそうだ。ありがとう」


「いえ、僕は何もしていないし……」


 端正な顔立ちの王女に礼を言われ、慣れていないヘンリーは視線を俯かせて口をもごもご動かした。女性と接することはほとんどないし、ましてや礼を言われる機会などほとんど無かった。

 レイアは緩ませていた表情をふっと歪め、言葉を続ける。


「私がこのように情けない王女で、さぞ失望しただろう。本来なら瘴気はとうの昔に払われていたはずなんだ。それが……私に聖女としての力がないばかりに、こんな状況に。イシルビュート殿にも迷惑をかけて……」

 

「そんな、情けないなどとは!」


 ヘンリーは思わず力を込めて言う。


「それを言うなら、僕の方こそ情けない。国では僕は、役に立たないと言われているんだ……実際自分でもそう思っている。剣を持っては騎士に負け、政治能力では兄上にまるで敵わない」

 

 言っていて自分で自分が嫌になった。全くどうして自分には何の才能もないのだろう、と天を恨みたい気持ちでいっぱいだ。


「その点、貴女はすごい。勇敢で、一人怪物に立ち向かう。出来ることを精一杯やろうとしている。……僕には到底真似できない」


「ヘンリー殿にはヘンリー殿の出来ることがきっとある」


 それは、兄ユリウスにも魔術師イシルビュートにも何回も言われた言葉。しかし同じような境遇のレイアが言うその力強い言葉に、初めて卑屈にならずにハッとした。


「僕に出来ることが……」


「そう。どうやらお互い、似た者同士みたいだな」


「そう、みたいだね」


 王子と王女。互いに爪弾き者。確かに似ている部分は多そうだ。


「国に帰ったら、瘴気をどうにかする手立てがないか僕も調べて見るよ」


「ああ、私も聖女の魔術書を見つけ、使えるように努力する」


 顔を見合わせて頷く。

 ヘンリーに出来ることなど何もないかもしれない。それでも。

 何も出来ない、役に立たないと卑屈になっていた気持ちが少しだけ上向いた気がした。

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