一月後
ーーテオドライト王国の城内、謁見の間は厳かな空気に包まれていた。
玉座から立ち上がり一段高い場所に立つのは国王イグニウス。その手にはベルベット生地の箱が握られており、美しい装飾の勲章が横たえられていた。
国王は一月前までの傀儡状態であった様子とは異なり、しっかりとした足取りでそこへ立ち朗々と声を発する。
「イシルビュート・ヴァンドゥーラ。そなたの此度の働きを評し、ここに爵位を授ける。……ここへ」
「はっ」
イシルビュートは立ち上がるとイグニウスの前まで歩み寄る。出で立ちはいつもの軽装とは異なり、重厚な濃紺のローブを羽織っていた。手に持っているのはイシルビュートの愛杖となった栄光奈落だ。
イグニウスはそのローブに精緻な細工が施されたメダルを留める。小声でポツリとイシルビュートにだけ聞こえる声で呟いた。
「世話になったな。誠に感謝している」
イシルビュートはその礼にわずかに頭を下げて応えた。
イグニウスは両手を大きく広げ、ひときわ響く声で告げる。
「イシルビュート・ヴァンドゥーラ男爵の誕生だ!」
広間が拍手に包まれ、イシルビュートは一礼をして下がった。
豪奢なローブを身にまとい、今しがた賜ったばかりの勲章が胸にひらめいている。拍手を送る人々の中には、見慣れたクレアがアンヌとして立っていて惜しみない拍手を送ってくれていた。
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「よぉ、ドットーレ」
「あぁ、終わったのか」
王宮での叙勲式を終えてイシルビュートは空を飛んで隣にそびえ立つ魔術機関まで行き、最上階の窓から部屋へと侵入する。内側からかかっている鍵はイシルビュートが魔術でこじ開けた。そんな様子を見咎めるわけでもなく、部屋の現在の持ち主であるドットーレはごく自然に迎え入れた。
イシルビュートは部屋の絨毯の上に降りると、無駄に豪華なソファへとどかっと腰を下ろし、きっちり留めていたローブの胸元を緩めた。
天井に顔を向けて息をつくと、その意匠の素晴らしい天井とそこからぶら下がった照明型の魔石に目が止まる。
「どうだった?」
「肩が凝る」
その率直すぎる感想にドットーレは苦笑を漏らす。手にしていた書類をデスクにまとめると、そこから頬杖をついてイシルビュートに話しかける。
「いいじゃねえか、今日からお前はヴァンドゥーラ男爵だ」
「一代限りのな」
イシルビュートに与えられたのは優れた功績を残した人物に国が爵位を与える、いわゆる一代貴族である。
「一代限りだってなんだって爵位は爵位だ。正真正銘の貴族だよ」
そう、平民の成り上がり魔術師イシル・ヴァンは第二王女を拾って育て、第一王女の汚名を注ぐ手助けをし、国王にかけられていた精神操作を解除する手立てを講じた。彼は救国の英雄となり、イシルビュート・ヴァンドゥーラ男爵となった。
ドットーレは頬杖をつきながらニヤニヤした視線を送り、満足そうに頷く。
「俺の右腕になるんだから男爵位くらいは持っててもらわねえとなあ。な、ヴァンドゥーラ副官?」
「やかましいわ、オズボーン総督」
あの処刑台での衝撃的な出来事から一月。
国の上層部は揺れ動き、様々なことが刷新されている。
腐敗しきっていたテオドライト魔術機関の上層部はそのメンツを一新し、今ではドットーレが国内の魔術師の頂点である総督の位に就いている。
ドットーレは総督にのみ許される濃い赤紫色のローブを身につけ、うず高く積まれた書類の山の間から顔を覗かせていた。
五人の副官の一人にイシルビュートが据えられ、その他のメンバーについても革新派の面々が揃えられている。今の今まで不当に虐げられていた者、反戦争派であるが故に投獄されていた者達だ。
政治の部分でも官僚の顔ぶれが徐々に変わってきており、近々国は大きく変わるだろう。
ロレンヌとの永久平和条約締結も、すぐに迫っている。
この変わりゆく国の中枢に身を置くことになるイシルビュートは叙爵の話に一も二もなく飛びついた。
先の追放で思い知ったのだ。上に行けばいくほどに爵位や階級がモノを言うこの世界で、平民である自分がいくら叫んでも人の心に響かない時がある。
使えるものはなんでも使わなくては。時に気に入らない場所に身を置くことがあったとしても、それで一つでも変えられることがあるのならイシルビュートは厭いはしない。
ーーそれで、一人でも多く、自分と同じ思いをする子供が減るのなら。
「そういえばクレアちゃ……アンヌ王女様とは会ったのか?」
「いいや、あの処刑台の時から一度もまともに話してない」
何せ恐ろしくバタバタしている。死んだと思われていた第二王女が生きていたとあっては一大事件だ。彼女はレイアとともに王宮の奥深くにかくまわれており、全く会って話すどころではなかった。
まあでも、とイシルビュートは考える。クレアの性格からして、そんなにずっと大人しくしていられるはずもない。何せひとところにじっとしているのを嫌う性格だ。
だから今日あたり、自分に会いに来るだろうと予想していた。
「なあドットーレ、クレアが来たら伝えておいてくれないか」
「いい加減アンヌ王女とお呼びしろ」
「俺にとってあいつは弟子のクレアだ」
ドットーレはこの言葉に非常に不愉快そうに眉をしかめた。
「普段から癖つけておかないと、肝心な時に呼び間違えるぞ」
「だからだよ。普段から癖つけておかないと、肝心な時に呼び間違える」
イシルビュートはそっくりそのまま同じセリフをドットーレに返した。しばしにらみ合う両者。先に折れたのはドットーレの方だった。
「お前はなぁ。頑固だよなぁ。まあそこがお前のいいところなんだけどよ。で、何を伝えるって?」
「ああ、俺は…………にいるって」
「そんなことならお安い御用だ」
「さて、じゃ、俺は行く」
ソファから立ち上がったイシルビュートは右手に栄光奈落をつかみ直す。それをみたドットーレは見送ろうとしていたイシルビュートを引き止めた。
「おい、待て。その杖は封印するか破壊した方がいいんじゃないか? 物騒すぎる」
するとイシルビュートは虚をつかれたような顔をした後、首を横に振った。
「この杖は俺の贖罪だ」
「?」
ドットーレは意味がわからないという顔をしているが、わかってもらえなくても構わない。
この杖をイシルビュートが引き抜いたことで、まぎれもなく師匠であるビュートが命を落とした。そのことをあのオジキは恨んじゃいないだろうけど、それでもイシルビュートは杖を持ち続けようと思う。
名前と杖と。その二つで生涯、偉大でおちゃらけた師匠を忘れないために。
「また後でな」
短く言葉を告げたイシルビュートは転移魔術を発動し、ドットーレのいる総督執務室を後にした。




