十二年前の答え合わせをしよう①
表門広場での騒ぎが収束したのは日も暮れてからだった。まだ城の中ではバタバタとせわしなく人が行き交っており、特にイグニウスは執務室にこもりきりである。そこにはイシルビュートとドットーレもおり、国の懐深くまで入り込んでいる開戦派を洗い出すのに忙しそうであった。開戦派はイグニウスを精神操作することで宮中の権力を掌握しており、つまるところは重罪人だ。
つい先ほどまではレイアとクレアもその場所に居合わせていたのだが、沼地中の瘴気を払うという大役を果たした二人は下がって休むように言われた。
レイアは自室の尖塔ではなく王族の居住区域へと移動させられている。警備の面でもその方が都合が良いためだろう。
今まで使っていた部屋とは異なる豪奢な設えの家具とベッドは逆にレイアを落ち着かない気持ちにさせ、体は疲れていたがなんとなく眠りにつけないでいた。
窓から見える夜空には星々がきらめいており、都は静かな眠りについている。
死んだと思っていた皆が生きていて、死ぬと思っていた自分も助かった……しかも、聖女であると都中の人々に証明することさえ、できた。
にわかには信じられない現実に、実は夢でも見ているんじゃないかとレイアは思う。
けれど。
完治した右の手のひらを持ち上げ、握ったり開いたりしてみる。
夢ではないのだ。つい数時間前の出来事は全て実際に起こった出来事で、『無能な王女』と呼ばれ続けたレイアは本物の聖女であることを知らしめた。
と、物思いに耽るレイアの耳に扉をノックする音が聞こえる。立ち上がり、扉をそっと開けてみるとそこにはクレアの姿が。
「クレア……いや、アンヌか」
寝間着姿のクレアは控えめな笑顔を浮かべている。
「どっちでも、好きな方の呼び方で呼んでください。ちょっと眠れなくて……入っても良いですか?」
「ああ、勿論」
言って扉を開くと「お邪魔しまーす」と言って中へと入る。ふわりとなびいた金の髪と淡黄色の瞳がレイアを不思議な気持ちにさせた。ソファへ腰掛けるよう勧めると大人しくそれに従い、そしてレイアの右手をじっと見つめる。
「違和感ないですか?」
「もうなんとも。癒しの魔術というのは改めてすごいと感じたよ」
「よかった」
言ってソファの上で膝を抱え、その上に顎を乗せる。
「お姉様、なんか不思議な感じなんです。昔を思い出したのと、色々ありすぎたのとで……自分の立場が急に変わっちゃって。おまけに呼ばれ慣れていた『クレア』じゃなくて、『アンヌ王女様』って皆が呼ぶから余計に」
戸惑っている様子のクレアに無理もないだろう、とレイアは思った。彼女はずっと記憶を失っており、イシルビュートの元でクレア・ヴァンドゥーラとして十二年間を生きてきた。それが急にテオドライト王国の第二王女アンヌ・トレビュース・テオドライトとして生きることになれば、混乱もするだろう。
レイアはそっと隣に腰を下ろすと、言う。
「元々はここで育ったんだ、そのうち慣れる。私も、イシルビュート殿も、オズボーン侯爵も側にいるから困ったことがあったら言えば良い」
クレアは膝の上に乗せた頭をちょっと動かすとレイアと視線を合わせる。それから頷いた。
「眠れないなら、昔話でもどうだろう」
「昔話?」
「ああ」
レイアが頷く。
「ずっと気になっていたことだ。……十二年前、どうやってあの状態からアンヌが生き延びられたのか」
そしてレイアは想いを馳せる。十二年前、妹が死んだと思ったあの戦場での出来事に。
++++
レイア・トレビュース・テオドライトは生まれながらに不遇の王女だった。
彼女はこの魔術大国の王女としてふさわしい素質を持っていない。王家伝来の癒しの力の源、聖力がゼロだったのだ。
故に彼女は幼い頃からこう呼ばれているーー「無能な王女」と。
反対にレイアの十歳下の妹アンヌは豊富な魔力と聖力を持って生まれ、それはもう大切に育てられた。術式への天賦の才を見せ、四歳にして大人顔負けの術式の使い手となったアンヌは将来有望な存在だった。
きっと彼女ならば歴史に名を残す聖力の使い手、『聖女』になるだろう。
アンヌにとって自分にないものを持っている妹の存在を疎ましく思ったことはない。
術式の使えないレイアの城での扱いは低く、政治にも口を出せない状況であった。
「ならば私は剣を取ろう。魔術で民を守れないのであれば、剣で皆を守れる存在になろう」
そう決意したレイアは剣を取り日々研鑽に励む。
幸いにして剣術の腕は良かったレイアは、マントに防御結界の術式を施し、剣には攻撃の術式を刻み、自身の魔力量ギリギリの術式を駆使して戦う技を磨いていった。
そうして日々が過ぎていったある日、テオドライトとの開戦の噂が城内を駆け巡る。
一人の天才魔術師が国を去ったのをきっかけに、次々に戦争反対派が国を追いやられていきいつの間にか王城内は開戦派が幅を効かせるようになっていた。
日に日に緊張感が高まる城内で父である国王イグニウスに呼び出されたレイアは、そこで驚愕の命令を下された。
「レイア、ロレンヌとの戦争でお前には前線で兵を指揮してもらいたい」
何を言われているのか理解できなかった。
この時のレイアはわずか十五歳の少女で、魔物の討伐ならば何度か赴いたことがあるが人間同士の殺し合いなど行ったことはないのだ。
それを、ロレンヌとの戦争での前線指揮?
思わず父親の顔を見つめると、玉座に座ったイグニウスは至極当然といった風に語りかけてくる。
「知っての通り我が国は魔術師に重きを置いている。だがな、前線で戦う雑兵の踏ん張り次第で扱える魔術の規模が変わってくるのだ。兵の足止め時間が長くなればなるほど、より強力な魔術を後方から展開することができる。
王族たるそなたが前で戦い皆を鼓舞すれば、兵のやる気も自然と上がるというものだろう」
この国において前線で戦う兵士というのは農民や犯罪人などの寄せ集めだ。
ろくに剣も握ったことのない人々を数だけ集めて肉の壁とし、時間稼ぎの盾として扱っている。
まともに戦えるのは王族や貴族を護衛している一部の騎士だけで、そういった人物は後方に控える魔術師の護衛に回るために前には出てこない。
イグニウスは、そうした人間たちの指揮をとれとレイアに言っているのだ。
ーー使い捨てにする気だ、と直感した。
聖力を持たない自分は国の荷物にしかならない。
妹のアンヌが生まれたことによって、自分の存在は完全に必要のないものになったのだ。
そのことに気がついてしまったレイアは、しかし王族としてのせめてもの矜持を胸に怒りを鎮めて拳を握る。
そうして震える声で、言った。
「……その命、しかと拝借いたしました……」
玉座からレイアを見下ろしながら満足そうに頷いた父親の顔を、忘れることなどできそうになかった。
「お姉様、戦争に行くと聞きました」
ぴょこりと顔を出したアンヌが心配そうな顔をしてこちらを見ている。
母譲りの可愛らしい顔をして、魔力も聖力もずば抜けているアンヌ。そしてその才能ゆえにがんじがらめの生活を送っている。少数の人間にしか接触を許されず、一日の大半を魔術の勉強で費やしている。幼子らしい遊びもしたことがなく友人もいない、それが当たり前だと思っている、レイアと同じかそれ以上に自由のない王女。
「ああ」
「危ない場所だと聞きました。私、お守りを作ったんです。ネックレスなんですけど、魔石がはまっていてちゃんと役にも立つんですよっ。ぜひ持って行ってほしくて」
ほら、とアンヌの小さな手のひらがネックレスの魔石を示す。
「この魔石には、転移の魔術陣が刻まれているんですよ」
アンヌは自分の胸元から同じネックレスを引っ張り出す。
「私のと対になっていて、どこにいても魔力を流せば一瞬で会いに行けるんです!」
だから、とアンヌは言った。
「お姉様、もしピンチになったら……これを使って、逃げて来てくださいね?」
レイアはアンヌの可愛らしいお願いに苦笑を返した。
「ありがとう、アンヌ。お守り、大切にするよ」
使うことはないだろう。きっと今度の戦争で自分は死ぬ。でも小さな妹の精一杯のプレゼントが嬉しかった。これを持って戦地に行こう。死を恐れず……少しでも国がよくなることを願って。
開戦はあっという間だった。
暗い気持ちを抱えたままに戦地へと赴いたレイアを待っていたのは文字通りの地獄だった。
最低限の術式を施し、剣技も心得ているレイアとは違い前線に滞在している兵たちはほぼほぼ剣も握ったことのない農民や奴隷などの寄せ集めだ。
対して相手のロレンヌ側は熟達した騎士揃いでとてもではないが敵わない。
ボロ雑巾のように切り裂かれて行く兵たちを尻目に、それでもレイアは奮闘する。
遥か後方から味方の魔術が宙を飛んできて敵の騎士に直撃する。
ちぎれる手足や飛んでいる血飛沫が敵味方誰のものなのかーーレイアには判別できなかった。
ただこの死と隣り合わせの場所で、自分の命を守るのに必死だった。
陣頭指揮が聞いてあきれる。
ただただがむしゃらに剣を振り、恐怖に逃げ惑う味方を薄っぺらい言葉で鼓舞するだけだ。敵の騎士の振り上げた剣に持っていた剣がはじかれる。
もう……ここまでか。
後方から光が降り注ぎ、空中には魔術師が発動した巨大で精緻な術式が浮かび上がった。
戦場いっぱいに広がるその神々しくも恐ろしい光景にレイアは瞬間心を奪われた。
これは、広範囲殲滅魔術式。
この場にいる全てを敵味方もろとも無に帰そうという算段か。
そうか、だからテオドライトは騎士の成育に力を入れないのかと納得して自嘲の笑みを浮かべた。全てを破壊するならば、前線には使い捨ての駒だけを並べておく方が都合がいい。
膝から崩折れ、空中の術式を、そして自身の首を屠らんと剣を振りかぶる敵を眺めたその時、信じ難いことが起こった。
レイアと敵の間に術式が展開する。
金色に輝くその術式から出てきたのは、妹のアンヌだった。
「お姉様は私が守る!!」
信じ難いことにアンヌは眼前の剣を受け止め、さらには空を覆い尽くす術式をも防ぐ結界を張った。
視界に光が降り注ぐ。
全てを壊す破壊の光が空から大地に突き刺さり、音が爆発した。
大地はけぶり、先ほどの比ではない血飛沫が巻き上がり、何も見えなくなる。
それでもレイアはアンヌの張った結界のおかげで助かることができた。
「アンヌ、お前どうして……!」
小さな体で驚異的な術式を発動したアンヌだったが、全てを防ぎ切れたわけではない。
純白のドレスは返り血に染まり、美しく整えられている金の髪も絹のような肌も汚れきっている。それでもアンヌは、いつもと変わらないあどけない笑顔を浮かべ言った。
「だって、お姉様は、世界で一人だけの私のお姉様だから……」
頬に流れた一筋の涙を、レイアは見逃さなかった。
ぐらりとアンヌの体が崩折れ、地面に打ち付けられる寸前にレイアが抱きとめる。
「しっかりしろアンヌ、帰ったら手当てをするから!」
レイアの叫びにしかしアンヌは首を横に振った。涙を流しながらえへへと気の抜けるような笑みを浮かべる。
「お姉様、生きてください。私はもう助かりそうにもないけれど……生きて、国を平和に導いて……」
魔力が枯渇しかけている。負っている傷も、致命傷に見えた。
やがて目を瞑ったアンヌはレイアの腕の中で動かなくなった。
「アンヌ……アンヌ!!」
様々な感情が去来する。
どうしてここにきたのか。どうして……自分を助けてくれたのか。
今となっては答えの出ないその問いにレイアはやるせなくなる。
しかしここは戦場で、いつまでも感傷に浸っている暇など与えてもらえなかった。
一瞬止んだ攻撃の手はすぐさま再開する。ロレンヌの騎士はまだ全滅しておらず、テオドライト側も次なる手を打とうとしているに違いない。
レイアはアンヌの遺体を抱え、せめてあとで弔えるよう戦場の端へと移動させる。額にキスを一つ落とすと、その手に握られているレイアと対となるネックレスはもう原型をとどめていない。
レイアは胸にかけているネックレスを握りしめた。
これは生涯、持っていよう。アンヌの……形見として。
そうしてレイアは戦地へと再び駆け出した。
全てが終わり、戻ってきた時には確かに横たえたはずのアンヌの遺体はどこにもなかった。




