本と目覚めと黒い男?
科学とは偉大です。
蒸気から始まり、数百年の間に次々と手に入れた物により、人はきっと忘れてしまったのでしょう。
夜の暗さと星の輝かしきを。
“って何を考えてるんですかね私は…まあ街灯が突然消えたのは驚きましたが。”
元は謎動力で照らしていた街灯さん達はどうやら深夜は消えるようです。
“省エネなんでしょうかね…何をエネルギーにしているかは分かりませんが。”
それにしても、こうしてだらだらとベンチに座り時間を無為に潰すのは些か無聊です。
“何かやる事…そういえばありますね。”
夜明けまですることもないですし、未だにどう使うのかが謎なステータスの所持品とやらを研究して見ますか。
“って言ってもステータスの開き方からして雑ですし案外念じるだけでいけるんじゃ…”
どうせそんな事だろうと思います。
“そうですね…ステータスもあんな感じだったですし…インベントリオープン!とか?”
するとあら不思議…ではなく予想は付いてましたけど、ステータスと同じような半透明ウィンドウが浮遊しています。
所持物
『ネクロノミコン』:異界のおぞましき知識と外法が記された書物。
『黄衣の王』(閲覧不可)
黄金の蜂蜜酒(使用不可)
アルハザードのランプ(使用不可)
輝くトラペゾヘドロン(使用不可)
魔の石笛:※※※※の眷属を呼び寄せる笛。
“使える物は二つ…ていうか何を基準にしてるんでしょうか、ステータス足りないと使わせないとか?”
恐らくそうなのでしょう、ステータスの上げ方なんぞ全く分からないですが。
“さてそれからどうすれば…おう?触れられる?”
試しにウィンドウに触れて見たら指が触れたところが光り、私の指は抵抗力に阻まれました。まるで前世のタブレットです。
“それじゃあ…”
試しに一番上のネクロノミコンの欄を触れて見ます。
すると所持物からそれは消え、私の目の前に石笛が消えた時のような藍光が現れます。
三秒ほどで藍光は消え、その中からは黒い表紙の本が現れました。
“いや…まあ確かにアイテムの出し入れぐらいあまり難しいわけ無いとは分かってましたが…”
こうも簡単に出せてしまうとそれはそれでどうかと思うのですよ。
“それにしても、これがネクロノミコン…”
外見は正直普通の本と変わりはないです、強いて言うなら少々大きいぐらいでしょうか。革の留め具で巻かれたそれからは、今まで見てきた神話造物のようなおぞましい気配はしません。強いて言うなら精々少々の胸騒ぎがする程度です。
留め具を外し見るも、別に何かがあるわけでではなく、ただ真っ黒の表紙の隅に、翻訳さんが無かったら見逃していた小さい字で“アル アジフ”と書かれているだけです。
“…これは、開けてもいいのでしょうか?”
今までのような明確な嫌な予感はしませんが、どうせこれも見たら不味いもの筆頭に入る一つ、正しい処置は永遠にインベントリに押し込んでおくという事が火を見るよりも明らかです。
“……ちょっとだけなら、いいですよね?”
好奇心には抗えません、例えそれが猫を殺すとしても。
黒々とした、何処か金属の光沢を彷彿とさせる表紙を開き、その禁断の書を覗き込みます。
“…あれ?字が無い…”
やや黄ばんだ、紙ではない何かの材質のページはしかし何も書かれてはいませんでした。
“どう言うことで…!?”
そして更に捲ろうとした瞬間、“それ”は来ました。
或いは、元からあったのでしょうか。
奔流、黒く濁った奔流は空から流れ街を、木々を、人を、天と地と私を、洗い流していきます。
それは斯様に無意味でした、何も生まれず何も還りません。
しかしまた確かな作為があり、空の穴から滴るその先には無数の、無数の瞳が開いています。
その濁流に晒された者は、きっと真実を知るのでしょう、無為な荒廃と共に。
そして足音が、杖をつく音が近づいてくる。
夏の後には冬来たり、冬過ぎれば夏来るのが道理なり。
「嗚呼…」
今は夏なのでしょうか。
「ならば…」
そうなれば、きっと、彼は冬なのだろう。
一層と近く、近く来る、開かれる無数の瞳、彼方のユゴスは今や揺らめいている。
我々は如何に、如何に白痴であったか、無明とは人指す言葉に他ならない。
原液は今や濁り泡立っている。冬はすぐだ、すぐなのだ。
今や満天は全て無貌に閉ざされる。
彼らは如何に、如何に白痴であったか。
見下ろす先には、ただ、広がるだけであった。
「そうであろう?求める者よ。」
そう、唯々広がるだけであった。
“……………”
目を開ける、閉じてなどいないのに。
風を感じる、元より吹いていたのに。
息を吹き返す、死んでなどいないのに。
だからこそ、存在を感じる。
“………”
そして、私は帰還しました。
「今のは…誰?」
手元には今だに開かれた本。
パタン…
己が反応するより早く、何かがそれを閉じさってしまいました。
「…あれ?顕現なんてしてないのに…」
視線の先には黒々とした触手が腕から生えていました。
念じると共に結合を解き消えるそれは、何か不吉な前触れのようでした。
「……酷い目にあったものです。」
脳裏に未だ焼き付いている荒涼の絶望、まさか一眼見ただけでこれとは。
「そういえば、文字がありましたね…」
先ほど一瞬チラッと見えた、白紙と思えたページにはびっしりと文字が書き連ねられていました。
恐らく開けた後の“あれ”が、何かのトリガーだったのでしょう。禁書と言われる道理です。
「私も狂気耐性が無かったら廃人になってたのですかね…」
元は何か有用な物でも無いのかと思ったものですが、やはりやめておくに越したことはないです。
「あれに頼ったらもう本末転倒な気もします…そういえばステータスはどうなったんでしょうか…」
さっきのあれが何かに反映されているのでしょうか。
「やっぱり…」
INT 32910293049/1032
理性喪失EX
神話理解B
「INTが増えて、狂気耐性が完全に理性喪失になってる…」
己では感じ得ない所で狂っているのだろうか、それとも他の意味なのでしょうか。
そして新たに追加された神話理解とやらは、あまりよく分かりせん。
「後は…スキルですか…」
元は効果の不明な制裁とかいうスキルだけでしたが、もう二つ追加されています。
スキル
制裁-魔力吸収率低下S+
解読 C
ネクロノミコン F(EX) 2%
「…つまりさっきのはネクロノミコンを解読したという事なのでしょうか。」
それにより解読スキルが付いたのでしょう。ネクロノミコンは恐らく解読途中をパーセントで表しているんだと思います。
「結局実質的な収穫はこの解読スキルだけですか…」
まあ新しいスキルが貰えただけで上々なのですよ、そう自身を説得します。
“それにしても…”
どうもネクロノミコンを開いた時から意識を取り戻すまでかなり時間が過ぎたようです、空は分かりにくいですが既にうっすらと明るさが見えます。恐らくもうすぐ夜も明けるでしょう。
“後ちょっとしたら人でもくるんじゃ…お?”
言ってる側から反応が出ました。
“此処より100mくらい…結構近いです。”
まあ前の教訓もありますし、まずはどんな人か見ておきましょう。
“流石にそう何回もあんなのに会うわけないですよね…”
一抹の不安は拭えませんが取り敢えず目的地まで行ってみます。
「このスキル直線距離しかわからないから地味に面倒です…」
道なりを進んでいくが所々の分かれ道、行き止まりなどで逆に目的地から離れることもしばしば。
それに目標対象も動いているので余計に分かりにくいです。
そして何度目かの曲がり角を曲がり、東の空が白けた所でようやく辿り着きました。
朝霧に紛れてよくは見えませんが、見た目はどうやら普通の人です。
“まともな人みたいですね…”
それに此処まで来ると、向こうにはこの人以外にも多くの人の反応があります、どうやら此方は住民区に近かったのでしょう。
近づくにつれはっきりしていく輪郭、灰色の衣服を着込んだ彼は既にはっきりと見えます。
“…黒人?珍しい…のかな?”
少なくともこれまで見てきた人は大体が前世でいう所の白人系が多かったです。
わざと足音を消さずに歩んでいきます。
そして此方に気づきたように振り返る彼。歳は三十いくつかに見えます。
「おや、こんな時間に子供とは珍しい…僕に何か用でも?それとも迷子かい?」
優しげな微笑を湛えそのまま核心を突いてくれるボブさん。いやまあボブではないですけど。
「えっと、実は…」
一瞬の逡巡、真実を話すかそれともそれっぽいのを捏造するか。
“あの謎転移、空間だけ移動したとは限らないですし…”
もしもこれが過去や他の世界に飛ばされたとかでしたらギルド自体が無い可能性もあります。
“だけどこっちの世界だったら、急にどこかにワープさせられたってのも信じて貰えると思いますし。”
前世ではなくスキルやらなんやらがあるのです、例え彼が知らなくても知っている人を知っているのはあり得る事です。
“まあただの空間移動だったら幸いですので、事情を話してから聞いておきましょう。”
「実は…」
そして今までの経緯を少々端折って説明します。
「ふむ…つまり一瞬のうちに元の居場所から離れたと…」
顎をさすりながら神妙に呟く男。
「はい。それで、冒険者ギルドって所知ってますか?」
一縷の望みを託し訪ねて見ます。
「…残念だけど、僕には見当もつかないよ。冒険者というのは知っているけど此処では見たこと無いからね。」
その言葉に思わず溜息をつきそうになります。
“結局自分でなんとかするしか無いのですかね…”
「…あっ!そういえばそういうのに詳しい人なら一人知っているよ。彼ならきっと力になれるはずだ。」
となにかを思いついたように声を上げる男。
「本当ですか?」
もしそうなら有り難いです。
「うん、此処から先の十字路を右に曲がって左の道に沿って歩いていけば見えるはずだよ。カナス診療所って言う所。」
そして彼は逆向きの方向を指差します。
「元々は聖堂だったんだけど神父さんが治癒魔法の使い手で、人も良いから昔っからよくみんなの傷を治してくれたりしてたんだ、段々噂を聞いた人も来るようになったから聖堂の一部を診療所にしたんだよ。」
「それじゃあその神父さんが?」
話を聞く限りはそうですけど。
「うん、彼は魔法全般に詳しいからね。人も良いしきっと力になってくれるよ。」
なるほど、これは有力情報です。
「でも僕もちょっと用事があるから送ってはいけないんだ…ごめんね。」
「ああ、それは大丈夫です。道を教えてくれただけでも感謝してます。」
たしかにこんな早朝から出掛けるのはそれなりの用があるのでしょう、これ以上時間を取るのも申し訳ないです。
「うん、それじゃあさようなら。幸運を祈って。」
そして手を振ったあと慌ただしく早足で去って行く男。
「あ、名前…」
聞き忘れてました、まあもう会うこともないでしょうけれど。
“カナス診療所…ですか。”
今の所手がかりはそれだけです、言うなれば一縷の蜘蛛の糸。行くしかないでしょう。
“十字路を右…”
そして私は朝霧に包まれた街道を歩んでいきます。




