この世界で生きるということは 4
マヤの凛とした声が辺り一帯に響いた。そうして一瞬にしてその場が静まり返る。
マヤは大きく手を広げて少年と男との間に割って入り、そして店主の前に立ち塞がる。
少年を殴ろうとしていた店主の拳は、その立ち入ったマヤの顔直前で停止していた。唖然とした店主を強い瞳で睨み付けながら、マヤはもう一度彼へと言う。
「やめなさい。こんな子供に、暴力をふるうなんて……」
マヤはまるで、我が子を守ろうとする母親のように、俯いた顔を少しだけ上げる少年を庇う。相変わらず少年の表情は、前髪に隠れて見えなかった。
突然現れて自分の邪魔をするマヤの姿に、店主は拳を戻しながら苦々しい顔をする。
「何だよお前……横からいきなりよぉ。このガキはうちの林檎を、盗んだんだぜ?」
「わかってるわ。けど、だからといってこんな大勢の前で彼をさらし者にしながら暴力をふるう貴方もどうかと思うの」
男の苛立った声にも怯まずに、マヤは両手を広げたまま言葉を返す。男は心から不愉快そうに、今度はマヤを睨み付けた。
「は……あんた見たところ旅人みてぇだけどな、知らねぇなら教えてやるよ」
男は唇を吊り上げて、皮肉げに歪んだ笑みを浮かべる。
そうして、まるで吐き捨てるように言った。
「そのガキは"ゲシュ"なんだよ。あんたはそんなのを庇うのか?」
「……だから、何?」
男の言葉に、マヤは顔色一つ変えずにそう言った。その時初めて少年は顔を上げて、その緑色の瞳でじっとマヤを見つめた。生気の無い表情だが、マヤの後ろ姿を見上げる目だけは、意思が僅かに垣間見えた。
マヤの言葉に反応したのは少年だけではない。少年たちを取り巻いて見ていた人々も、店主の男も驚いたように皆固まる。
やがてハッとしたように、店主の男は声を荒げて言った。
「お前、"ゲシュ"を知ってんのか!? "ゲシュ"っていやあ…」
「知ってるわ」
「あ? だったら……」
「人と魔族の混血児……それだけで人々に"禁忌"と名付けられた者。……それが、ゲシュでしょう?」
男の言葉に割り込んで、マヤが抑揚の無い声で続けた。澄んだ海色の彼女の瞳が、底冷えするような凍てついたものとなる。いつの間にか放たれていた少女からの恐ろしい程の威圧感を感じて、店主の男は思わず怯んで数歩後ずさった。けれども男は、無意識に冷や汗をかきながらも何とか口を開こうとする。引き攣った笑みを浮かべながら、男は言葉を返した。
「わかってんじゃねえかよ。いいか、"ゲシュ"ってのはその名のとおり禁忌なんだよ。人と魔族の血が混じってる……異端の化け物なんだよ!」
"異端"――その男の言葉に、マヤの中の何かが切れた。
「愚か者っ!」
「なっ……!?」
頭が真っ白になり、マヤは厳しい口調で思わず叫んでいた。店主の男は固まり、周りの野次馬達も沈黙する。いつもの彼女とはまるで違う様子と気迫に、ローズでさえも驚きの表情を浮かべて止まってしまった。
しかしマヤは止まらない。男に、そして好奇で少年と店主の様子を眺めていた人々に、厳しい叱咤の声をたたき付けていく。
「異端? 魔の血が混じっているというだけで? あなた……いえ、あなたたちは彼を"泥棒"じゃなくて、それ以前に自分達と違う生き物だという認識で嫌悪しているんでしょう。違う?」
男や、取り巻いて見ている人々に向けられる、核心をついた言葉の刃。マヤは強い口調のまま、容赦なく彼らにその刃を突き付けていった。
男はマヤの言葉に何も言い返せずに、ただ忌ま忌ましそうに睨み付けるしか出来ない。
周りの見物人も皆、ばつが悪そうな顔で黙りこくったまま彼女を見つめていた。
ローズは一人、いつもよりも感情的に怒りをあらわにするマヤを見守る。
何故あんなにも彼女が少年を庇うのか、何となく理解していながらも彼は、何処か不思議も感じていた。しかしマヤは普段から想像出来ないような口調で、あんなにも感情的になっているのだ。彼はそんなマヤの気持ちを尊重して、自身の心中の僅かな疑問を気にしつつ、しかしとりあえずは彼女の様子を最後まで見ることにした。
勿論、マヤや少年に何か危ない事が起きそうならば、直ぐに止めに入るつもりで。
「ゲシュだから、異種族の血が流れているからというくだらない理由であなたたちは、この子をまず偏見の目で見る。そうして揚げ句、こんな幼い子に手をあげて、大勢の人の前で晒し者にする……本当に愚かね」
「何だと!? テメェ……人が黙って聞いてりゃいい気になって……!」
冷徹なマヤの声音と言葉に、ずっと彼女の気迫に押され気味だった男が、徐々に怒りを思い出したようで声を荒げた。
だがそれでもマヤは引かずに、寧ろ更に強く男を睨み付けて彼に最大限の嫌悪を吐き捨てた。
「確かに泥棒はよくないことよ。でも彼はそうせざるを得ない事情があったんじゃないの? そしてその事情は、あなたたちのようなゲシュを偏見の目で見る大人が原因ではなくて?」
「んだぁ!? このアマ……ッ!」
マヤの核心を突いた言葉に逆上した男は、今度は自身の拳を彼女に向けて振り上げた。
真っ赤な顔で男は怒鳴り、そして握り締めた拳を振り下ろそうとして……
「な……」
「止めろ」
男は自分の腕が、何者かによって掴まれている事に気がついた。
横を見るとそこには、髪も瞳も漆黒色の若い男が、厳しい顔付きで店主の腕を、片手一つで掴み押さえていた。軽く腕を持たれているような感じなのに、しかし男の腕力は凄まじいもので、店主の男は思わず痛みに顔をしかめる。
「ローズ……」
店主を押さえている彼の名を、マヤは驚きながら呼ぶ。そして彼女はここで初めて、少年を庇うように広げていた両手を下へと下ろした。
少年はやはり生気の無い表情で、ただじっとマヤを見上げている。彼は今だ、何故彼女は自分を庇うのか、それがわかっていないような表情だった。
マヤは男に殴られる事も覚悟していたが、それでもやはり、殴られるなんてことは出来れば彼女だってされたくない。ローズが男を止めてくれた事に、彼女は小さく安堵の息をついた。
「何だお前は!?」
少年、その次はマヤ、そして次にローズに向かって店主の男は怒鳴り散らす。
店主は興奮で高揚した顔色で腕を掴むローズを睨み付け、今度は彼に殴りかからん勢いで文句を並び立てた。彼にしてみれば、突然現れたマヤやローズの邪魔に、好い加減我慢の限界なのだろう。
「いい加減にしろ、なんなんだてめぇらは! くそ、てめぇも邪魔すんなら……」
「二百五十ジュレでいいか?」
「あぁっ?!」
ローズにつかみ掛かる勢いだった男は、予想外のローズの言葉に一瞬にして間の抜けた顔となる。ローズはいつもより少し真面目な顔で、再び男に問い掛けた。
「だから、その林檎代だ。……二百五十ジュレで足りるか?」
「……林檎?」
ローズは店主の男にそう言いながら、少年の足元に落ちている林檎を指差した。
店主の男自身すでに林檎の事など忘れていたので、林檎に視線を向けつつもまだ彼は呆けた顔をしている。彼らのやり取りを眺めていたマヤも、あの少年でさえ不思議そうな顔で林檎とローズを交互に見遣っていた。
何となく状況を把握出来てない人々を余所に、一人ローズは店主の腕を放して上着のポケットから資金袋を取り出す。そして彼はその袋から、数枚の硬貨を出してそれを店主の男に手渡した。
「ん……?」
男は訳がわからず、しかし思わずローズから渡された硬貨を受け取る。手渡された硬貨は、ボーダ大陸共通硬貨の二百五十ジュレ。呆けた顔の店主に、ローズは愛想のよい笑顔を浮かべた。
「これで林檎は買えるだろうか?」
そこでやっと男とマヤは、ローズが少年の盗んだ林檎代を支払った事に気付いた。
「あ……あぁ。まぁ、足りるが……」
「そうか。じゃあ問題は解決だな」
「え……お、おい……」
頷く店主の男にローズはやはり笑みを向けると、微妙に納得のいっていない店主からさっさと離れた。そして彼はマヤの後ろにいた少年へと近づいていく。
「ローズ……」
こちらも少し困惑しているマヤの傍を通り過ぎて、ローズはぼんやりとした目でこちらを見つめる少年を見遣る。
「……」
ローズと少年の瞳が交錯した。少年の瞳の中には、普通のヒューマンとは決定的に違うものが見える。
それは、不自然に細い瞳孔。
先日自身らが出会った魔族の男もそうだったと、ローズはクロウディアの事を思い出す。
魔族は人間と全く区別がつかない外見の者もいれば、多少の違いを持つ者も勿論いる。寧ろ種族が違うのだし当たり前の事だが、ヒューマンに全くそっくりな魔族のほうが珍しい。




