きったねぇ男の覚悟
サバイバルナイフを構えた天邪鬼と、半壊したトラックのハンドルを握る大野が相対する。
トラックのヘッドライトと、メチャクチャな方向を指し示すカーナビの光が、それぞれ両者の姿を露わにする。
そうして浮かび上がった大野の顔を見て、天邪鬼は少なからず仰天した。
…
ひどい顔だ。恐らく。
サイドミラーはもう砕け散っているが、もしそうでなければ、私の本当にひどい顔が映っていただろう。
額から血がだらだらと出ている。
致命傷ではないだろう。頭には血管が集中しているから、出血量が多くなるだけだ。
吐き気もない。
パーフェクトだ。ゲームコンティニュー。
天邪鬼と名乗った美少年が、腰を落としてナイフを構えている。
白い髪に白い肌、青い瞳に白装束。
一目で白をイメージさせるその美貌に、幼少からそこまで容姿が優れている訳でもなかった大野は、思うところがないでもなかった。
言葉を交わす時間はない。
ただ、互いの視線と視線を重ね、殺意の名刺交換をする。
その名刺交換が、大野には何故か、たまらなく楽しく感じられた。
自分の国に、命に、かつてないほど詰みに近い王手がかかっている。
大野はその極限の状況下で、ヘッタクソな、悪い大人の笑みを浮かべて、前を見据えていた。
何故だろうか、すごく楽しい。
…
大野真という人間と顔を合わせるのは、これが初めてである。
一応、テレビやら新聞である程度の人物像は掴んだつもりだった。
大野は基本的に、感情を表に出さない。
国会でも、会見でも、時折腰を曲げ、五十を過ぎて寂しくなった頭皮をカメラに向けたりするだけで、徹底的に自我を排除している。
恐らくは誰かの傀儡。
良くても運があっただけの一般人。
世の中の大多数が、大野をそう評するだろう。
僕は逆の結論に至った。
大野 真は、傑物だ。
そして、その牙をひたすらに隠している。
その牙を何に使うのか?何かに備えているのか?
そこまでは、その時の僕には考えが至らなかったが。
いずれにせよ、彼は自分の才を隠し、その才を確かな目的で包み隠している。
並々ならない才能という器用さと、大衆に属する他の人間と同じ生き方は決してできない不器用さを併せ持ったギフテッド。
それが、僕がテレビを介して大野 真という男に抱いた印象だ。
だからこそ、こうして対面して、初めて生の大野を見て、僕は少なからず度肝を抜かれた。
勿論、彼の部下が二人もいるのに彼自身の姿が見えないということは、どこかで何かを仕掛けてくるだろうと確信していた。
だが、これはあまりにも酷いだろう。
大野はその寂しい頭皮からだらだらと血を流し、僕を見つめながら、不敵とも投げやりとも取れない凶悪な笑みを浮かべていた。
買い被っていた?
自分のイメージと目の前の男の姿が合致しない。
これではまるで、考えなしのバトルジャンキーではないか。
…
白峰は焦っていた。
大野がサムズアップしながらトラックの運転席に消えていったのを確認して、トラックがまだ動くこと、頃合いを見計らって発車することを推測して、思いつく中で一番成功率が高そうな選択肢を選び続けた。
この一分足らずで、サーカス団のびっくり人間が目ん玉ひん剥いて卒倒するような綱渡りを続けている感覚がある。
その綱渡りが、終わってしまったような錯覚。
自分たちと違って、知能だけが抜きん出ている大野は、何一つと言っていいほど武力を持たない。
拳銃も、魔術も、陰陽術も。
ただ一つ、彼の運動能力に頼りきりの合気道だけが、唯一の大野の護身手段であった。
但し、それは今の状況において、何ら効力を発揮しないことは明らかだ。
トラックが完全に動かなくなったら、どうやってこの場所から離脱する?
僕の隠し芸が、一体どれだけ天邪鬼に通用する?
白峰の思考は既に、大野が死んだ後を想定していた。
そして、トラックが急加速した。
…
僥倖だった。
一つ目は、この少年に私の場所がバレていなかったこと。
二つ目は、トラックがまだ辛うじて動く状態だったこと。
三つ目は、さらにこのトラックの自爆モードが動く状態だったこと。
四つ目は、それらを確認する時間を白峰が稼いだこと。
五つ目は、鷹宮が自分の役割を理解し、役者として目立たないように動き続けたこと。
六つ目は、少年が私の意地の悪い思い付き意地の悪い思いつきに気付かなかったこと。
全て、勝算はあったが確証はなかった。
ギャンブルで大勝ちした時、人は脳みそをこんな風に灼かれるのだろうか。
「クヒ、クヒヒヒ、クヒ」
私の部下の笑い方も、汚い方であると認知しているが、今の私の声は、その十倍は酷いものだった。
だが、これでいい。
酒よりもタチの悪い、酔いが大野に回っていく。蝕んでいく。
やっと思い出した。私はもともと、こういう人間だ。
日本のことなど、正直どうでもいい。日本の文明と文化は守るべきだが、それだけだ。
思考のない白痴、汚い本性を隠そうともしない衆愚。
私は私で、かなり国民に失望しているのだなと、ぼんやりと思う。
だから私は、大野 真は、自らの行動原理の一番に日本を持ってこない。
安泰を求めても、闘争を求めても、しっくり来なかった。
どっちつかず、というのも柄ではない。
色々考えた結果、私が至ったのは殆ど思考放棄とも呼べる代物であった。
自分で自分の生き方を定義するなら、その詳細を定義してしまうほどつまらないものはない。
欲望のままに。
それが、大野が前期総理大臣を斃す過程で、自身を定義したものである。
笑おう。策などいくらでもあるかのように。
狂ったように、笑おう。初めから全て想定済みだったかのように。
笑おう。トリックスター気取りで。ありもしない格の違いを見せつけるように。
そして大野は、きったねぇ狂気の笑みを浮かべて、ナイフを構える天邪鬼を轢き殺さんと、トラックを急加速させた。
…
ブレーキ、急カーブ、車外への脱出。
いくつか考えていたうち、また一番意味のわからない選択肢を選ばれてしまった。
戦い、特に殺し合いにおいて流れというのは最も意識しなければならないものの一つである。
相手の攻撃するターンに無理に反撃に転じようものなら、その隙をつかれて殺し合いそのものが終わりかねない。
長野県を滅ぼし、祟り現象をけしかけ、大野の首を落とそうとしている。
どう考えても、流れはこちらにあった。少なくとも数分前までは。
だが、こちらが迫ったとてつもなく狭い選択肢の、その穴を縫われているような不快な感覚。例えるなら、電気を消した途端耳の横で羽音を立て始める小蝿に感じるもの。
それが、僕の精神を蝕んでいく。
皮肉なことだ。
天邪鬼という僕の存在は、人間が『負の感情』として自覚している感情を感じ取り、微弱ながらそれを操るという、詐欺師が目の玉を十回転はさせるであろう能力をもとに形成されている。
その僕が、自らの『負の感情』に心を乱されている。
落ち着け。
このまま正面衝突したとしても、大野 真も無事では済まない。何なら、僕へのダメージより彼へのダメージの方が大きいだろう。
結果だけ見れば、僕を跳ねたら彼にとってマイナスになるはずだ。
今僕が判断しなければならないのは、この突っ込んでくるトラックを避けるかどうか。
僕の身体能力があれば、避けることなど屁でもない。
だが、果たしてそれが最善手なのだろうか?
一秒の半分もかけずに僕が出した結論は、ステイ。
そのまま轢かせてやる。
大野が笑っている。
ボロボロの軽トラの運転席で。
ならば、僕も笑ってやる。
ニイ、と口角を釣り上げる。
うん、彼ほどじゃあないけど割と悪人面で笑えたんじゃなかろうか。
満足だ。
さあ、どうするんだい?大野君。
選択肢を迫るのはあくまでこちらだ。
そこは譲れない。譲ったら、負ける。死ぬ。
ああ、トラックがどんどん近付いてくる。
視界いっぱいに、ヘッドライトの白い光が照りつける。
走馬灯を見る時の人間は、こんな感じなのか。
なんだか気の抜けた感想しか浮かばないというか、現実味が湧かない。
そんなことを考えていると、ふと、大野の顔がまた闇に浮かび上がる。
嗤っていた。
先程の笑顔とは比べ物にならないほど、汚い笑顔が僕に向けられる。
背筋が凍る、という言葉の意味を、生まれて初めて理解した。
そう思えるほどの、壮絶な奸笑が僕に襲いかかってくる。
……人生で一番ビビったかもしれない。
買い被っていたどころじゃない。見くびり過ぎていた。
薄々嫌な予感はしていたが、やっぱり狂人の相手なんてするもんじゃない。
あーあ、狂人の真似をして大路を走ったところで、本物の狂人に出くわしたら詰みなんだよなぁ。
正面から頭のおかしい人間と殴り合おうとしたのが間違いだったかな。
やめときゃよかった。
そして僕は、目の前で急カーブした軽トラにぶち当たり、吹っ飛ばされた。
唯一のまとも枠が




