賢なる愚物
「べんばび!ぼべぶぼびっぶぼ!べべ!」
「危ないから荷台から顔出すな!二百キロは出てんだぞ!あと風のせいで何言ってるかさっぱりわからん!」
猫を被る、なんて言葉とは無縁だとでも言わんばかりのはしゃぎっぷりを見せる白峰。
上司の手前騒ぐわけにはいかないが、スピードを出しすぎたあまり、集中力が切れて、作っていた敬語が崩れてきた鷹宮。
白峰の選曲したロックを聞き流しながら、缶コーヒーをずっと無言でちびちび飲んでいる大野。
月夜の下を爆走する軽トラは、そこそこのカオスを運んで長野に向かっていた。
「I beat them all, what a blissful payback!! これこれ!こういうのがいいんスよ!」
……
「それは変だよ、うん。変だ。」
小学三年生程度の背丈の少年が、スマートフォンを右耳に当てながら喋っている。
無邪気な、幼い顔立ちをしたその少年はしかし、人を食い物にして生きるような怪物じみた威圧感があった。
「あんな傑物が迂闊に東京を動くはずないよ。事前にこちらの動きが察知されていたか、先にこっちに気付いて隠れているかのどちらかだ。」
月の光すら差しこまない、スマートフォンだけが冷たく光る中で、少年は喋り続ける。
「どのみち丑三つ時まではまだ時間があるんだ。もうちょっと探してみてよ。それまでに見つからなかったら、もう始めちゃって良いからさ。」
少年は、言いたいことだけ捲し立てて、電話を切ってしまった。
「この服、ポケット無くて不便なんだよね。多少リスクがあっても、あいつらの服剥ぎ取っとくべきだったかな。」
そう言って少年は、着ていた白装束の袖の下にスマートフォンを仕舞う。
「ああは言ったけど、あの猫又が見つけられないなら、こっちに向かってる可能性の方が高いだろうね。」
辺りには月の光も星の輝きも届かず、少年の声以外の音も何も聞こえない。
「日本の要、大野真。何を考えているのかは分からないけど、早々に狩らせてもらうよ。」
そう言って少年は、数時間前に滅んだ場所——長野県だった場所を、またどこかへと向かって歩き始めた。
……
「鷹宮くん、そろそろ軽井沢だ。私の部下たちによると、線路も県境で途切れているらしい。気をつけてくれ。」
「了解です、減速します。」
大野は、硬いね君はと呟いて、ようやく飲み終わった缶コーヒーをドリンクホルダーに差し込んだ。
「ところでだが」
「はい?」
「後ろの彼がだいぶ静かになったようだが、大丈夫なのかい?」
「騒ぎ疲れて寝てるんじゃないですか……」
鷹宮は呆れ顔で、独り言のように答える。
さっきまで、新幹線に勝るとも劣らない速度で駆けていた四輪の鉄の箱は、ゆっくりと減速を始め、やがて満点の星空に背を向け、その車輪の動きを完全に止めた。
ざくり、ざくりと、線路に敷き詰められた茶色い石を踏み締める音が、男二人分、辺りに響く。
長野へと続く最後のトンネルに到着して五分後。
大野と鷹宮、身長のせいかどうにもデコボコな二人に見える男達が、《長野県》と群馬県の県境に降り立った。
「むぅぅ…あれ?もう着いたんすか?」
それと、寝ぼけて何も知らない男も、トンネル内に止まっているトラックの荷台に、いるにはいた。
……
「この辺かな。うーん、僕もこっちにいるべきだったかな。時々気分に任せて動いちゃうのは僕の悪い癖だ。また滑瓢にでも相談してみるかな。」
少年はそのころ、目的地に到着しようとしていた。
「やっぱりここは人間がいない方が落ち着く。これが僕だけなのか、他の人間もそうなのかは分からないけど、自然の風景に人間はいない方がいいよね。」
「それがわたしを騙した理由なの?」
何も見えない闇の中、少年に語りかける声があった。
「ええ……ここまでして生きてるの?肉体の方もほとんど無事みたいだし。やっぱおかしいよ君。そもそもここって爆心地のはずなのにさ。」
「答えてよ!」
「ああ、何だっけ?君を騙した理由?うーん、そう言われると思いつかないんだよね。強いて言うなら、僕がそうしたいと思ったから?君たち人間で言うところの、性みたいなものなんじゃないかなあ。そうせずにはいられない、っていうアレ。」
白装束に包まれた少年と、着物に身を包んだ少女。
一方は、どこか無邪気さすら感じられる笑顔で饒舌に語り、他方は地面に寝転びながら、泣きそうな顔で、天を仰ぎ見て声を絞り出す。
「唯一の、話の合う親友だと、思ってたのになあ……」
少女は、泣くまいと必死に声を張り上げていたのか、少年への小さな呟きを皮切りに、とめどなく涙が溢れてくる。
「君がそう願うなら、僕は君の親友であり続けるよ。今までと同じように話もするし、今までと同じように接することもできる。そうだ、謝罪がまだだったね。初めからこうするつもりだったとはいえ、君の家族や友達を皆殺しにする結果になってしまったことに関しては、予想外だったよ。君が生き残るなら一人ぐらい生き残ると思ったんだけどね。とにかく、ごめんよ。」
少年は、少女の横に同じように寝転がって、何も見えない闇夜を見上げて喋り続ける。
少女は、唯一の話し相手の声が聞こえる方から、体ごと顔を背けて、小さく嗚咽を繰り返す。
「ここから星の一つでも見えると良かったんだけどね。生憎、この国には星空はないみたいだ。ああ、そういえばこれも言ってなかったね。着物、似合ってるよ。」
少年は、寝転がったまま少女の方に半身を回転させて、手で少女の涙を拭う。
少女はそれを、イヤイヤ期の子供がそうするように、小さく頭を二、三度揺らしていたが、少年に止める様子がないのを見て取り、それもやめてしまった。
「まだもう少しこうしていようか。僕も君をどうするか決めなくちゃいけないし。あーあ、この世界はなんでこんな気の重くなるような事ばっかりなのかなあ。」
そう言って、少年は少女から離れて、また空を見上げた。
相変わらず、そこには雲も月も星もなかった。




