五 未確定の少女
帝国標準時間、午前九時十二分。
ラリオーノフは学院軍区画にある補助制御室で、二つの投影面を展開していた。
一つは通常公務用。もう一つは、今朝の再評価試験の解析用だ。
補助制御室は標準同期室に隣接して作られた小区画で、マジックミラー越しに同期室を監視できる。
昨日のラリオーノフとマシュの会話も、ここから軍と、学院の関係者に監視されていた。マシュが帝国理念を逆手にとってきたことも、それに反応してしまった自分の様子も、全て記録に残っている。会話は要約され、すでに共有された。だから軍は早急に居住区の移行を決定したのだ。
妥当な措置だとラリオーノフは思う。
一度は結界が同定を失った源泉だ。しかも本人の知性が高く、権威にも怯まない。
危険性が未確定である以上、軍の管理施設へ移送するのが、最も合理的だ。
移送は帝国標準時間午後五時に予定されている。それまでに処理しなければならない案件がある。
ラリオーノフは先に通常公務を片づけた。どれも目新しさはない。処理すれば即座に消える。定型文を送信し、公務用の投影面を閉じた。
残ったのは、マシュの記録だけだった。
ラリオーノフは椅子に深く腰を下ろし、指先で記録を操作する。映像、数値、源泉波形、情動波形。すべてが時間軸に沿って整然と並んでいる。
再生開始。
――マシュが演習場に入室してくる。すでに数値は跳ねている。
情動波形の立ち上がりは早かった。期待が大きいのだろう。決して安定しているとは言いがたい。だが所詮は十代前半の少女だ。同世代の個体群の平均値と比べれば、危険値とはいえない。己を律しているほうと言えよう。
だが――ラリオーノフは画面を睨みつける。
制御コード静穏化処置の直後、源泉波形が鋭く跳ね上がった。
数値が悲鳴を上げるより早く、曲線が崩れる。振幅は瞬間的に倍近くまで膨張し、細かな高周波成分が表層を乱す。
過渡応答――予測通りだ。
問題は、この先だ。
一秒。
二秒。
荒れていた波形が形を変え始める。高周波成分が減り、不規則だった周波数が揃っていく。
やがて一本の主周波数が立つ。
細く、鋭く、異様なほど澄んだ柱だ。
自己同期か。
源泉圧は高いままだった。
減衰させたのではない。補正も行われていない。
それでも、源泉は静かになった。
ラリオーノフは無意識に指を頬にやる。訓練記録でも、事故報告書でも、見たことのない速度だ。
だが、何を基準に揃ったのかまでは特定できていない。
『お、お、お~?』
隣の映像では、詰まりが解けたのを感じたマシュが飛び跳ねている。呑気なものだ。自分の内側で何が起きているのか、全く理解していないらしい。
ラリオーノフは点火と送風の記録を重ねた。
魔導行使に伴う源泉圧の上昇は小さく、出力調整も精密だ。脳波と情動波形にも、集中を妨げるほどの乱れは見られない。
静穏化処置下でも、彼女は自分の源泉を扱えている。
入学選抜試験の記録も呼び出した。
別の暫定識別子による結界の捕捉と同期は成立している。応答速度、出力精度、再現性。いずれも高水準だ。
だが、飛行訓練では墜落した。
ラリオーノフは椅子の背に身体を預けた。
点火や送風は、低出力かつ局所的な操作だ。一方、帝国標準の飛行術では、より大きな出力を維持し、箒と身体、重心と源泉を一つの系として制御しなければならない。
その違いが、破綻を生んだのか。
――仮説としては成立する。
しかしまだ胸の底には納得のいかない黒いものが残っている。
それでは昨日の標準同期室で起きた現象を説明できないからだ。
NO LOCK。――赤文字が消えない。
マシュは、ただ入室しただけだった。
箒にも跨っていない。魔導も行使していない。
それでも結界は、彼女を個体として同定できなかった。
飛行負荷だけが原因なら、あの空白は生じない。
ラリオーノフは目の前の画面を見つめる。
何が違う。
個体か。結界か。
それとも――両者のあいだにある何かか。
青白く光る波形と数値は理想的な挙動を示していた。
それはあまりに静かで、まるで何かを隠すかのように整っていた。




