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飛べない魔女の方程式  作者: Ant.
第三章
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八 再現試験

 水曜日と木曜日も、制御官との訓練は続いた。

 歌唱。呼吸。拍。

 身体の動きを揃える訓練だ。

 制御官の声と音響に従い、定められた拍を身体へ落とし込む。

 音階がずれる。足がもつれる。

 何度も崩れる。


 それでも、完全には崩れなくなっていた。


 制御官は必要に応じて単一基準を提示し、わたしの応答が乱れるたびに状態を確認した。位相調整を実施するときには、そう告げられた。


 以前より、崩れたあとに立て直せるようになっている。

 けれど、それが自分の拍を見つけたことになるのかは、まだ分からない。


◇


 そして、金曜日が来た。

 帝国標準時間、午後四時三十分。

 第三屋内演習場の白さは、夕方になっても変わらない。

 わたしは箒を抱えて、その中央に立っていた。


 帝国標準振動との同期は、まだ安定していない。

 けれど、制御官の単一基準下では、浮上を成立させられる。


 それが今日、別の方でも再現できるかどうかを確かめる。


 制御官の隣に、もう一人男の人がいた。

 以前、同期圧が下げられて、わたしの源泉が乱れた日にお会いした方だ。

 髪や目が明るい色をしている。柔らかな笑みがよく似合うお顔だちだ。年齢は制御官より少し下に見えた。

 その方が、わたしへ一歩進み出た。

「こんにちは。こうしてお話しするのは初めてですね」

 声も明るい。柔らかくて、けれど輪郭がはっきりしている。

「ユーリ・アルテミエヴィチ・ヴァイマンと申します。帝国魔導軍、標準制御総監部付、特命学院駐在副制御官。階級は少尉です」

 ゆっくりと微笑む。

「本日の再現試験を担当します。どうぞよろしく」

 わたしは一瞬だけ息を止めた。

 

 ヴァイマン。


 ――聞いたことのある姓だ。どこでだっただろう。

 思い出そうとして、わたしはやめた。今は少尉の言葉に集中しないといけない。

 わたしは背筋を伸ばして頭を下げた。

「よろしくお願いいたします。マシュです」

 少尉が穏やかに頷く。

「では、少しだけ前提を共有しておきましょう」

 声の調子が変わる。けれどこちらを威圧しないよう、気を遣っているのが分かる。

「貴女は現行標準では処理しきれない反応を示しています。そこまでは、もう理解しているはずです」

 わたしは小さく頷いた。

 少尉が端末を操作する。

 琥珀色の補助線が空中に現れ、幾つもの曲線を描いた。線は中心の一点へ向かって収束していく。けれど、完全には重ならない。

「標準は完成形ではありません。多くの個体が、最も低い損耗で安定して魔導を行使できるよう定められた、ひとつの収束点です」

 少尉の指先が動く。

 中心の一点がわずかに移動し、それに応じて補助線の形が変わった。

「だから、収束点は更新されうる。標準が評価できる応答の範囲も、拡げられる」

 ――その言葉を聞いた瞬間、わたしの頭に一本の論文が浮かび上がった。

 思い出してしまったら、もう堰き止められない。

「……あの、少尉」

「はい?」

「収束点そのものを更新することと、評価できる応答の範囲を拡げることは、別の操作ではないでしょうか?」

 少尉の指先が止まった。

「……と、言いますと?」

「収束点を移動させれば、そこに近づく個体の損耗が変わります。けれど、収束点を固定したまま、そこへ至る過程を評価するのであれば、判定の方法を見直す必要があります」

 琥珀色の補助線を見つめる。

「ヴァイマン博士の論文でも、その二つは区別されていたと思うのですが……」

 少尉が瞬きをした。

「……祖父の論文を?」

 すとんと心の中に意味が落ちた。ヴァイマン――少尉のお祖父様だった。

「はい。学院の図書館で拝読しました」

 少尉の目が、ゆっくりと丸くなる。

「……お祖父様……のご研究は、標準を不変のものとして扱わないところが、とても興味深くて……」

 そこまで言って、はっとした。

 試験の直前だった。

「申し訳ございません。お話の途中で」

 慌てて頭を下げる。恥ずかしい。博士のときに、思いっきり喋りすぎたのを反省していたはずなのに……ちっとも変わっていない。

 少尉がわたしを見ている。先ほどまでとは、少し違う目だった。

「……いえ」

 やがて少尉は微笑んだ。

「正しい指摘です。説明を簡略化しすぎましたね」

 琥珀色の補助線が、中心の一点と、その周囲の幅に分かれる。

「収束点の更新と、収束過程の評価は別です。どちらも現行標準を見直す方法ですが、安全性への影響は同じではありません」

 少尉はもう一度、わたしを見た。

「貴女は、祖父の論文をきちんと読んでいらっしゃるんですね」

 その声には、ほんの少しだけ楽しそうな響きがあった。わたしは余計に縮こまる。

「……では、少し踏み込んだお話をしましょう」

 少尉は端末に浮かぶ収束点を見つめた。

「貴女の源泉は危険です。少なくとも現行規格では、そう評価される」

 少尉がわたしを見る。その瞳には琥珀色の光が映っていた。

「ですが、危険であることと、無価値であることは同義ではありません。現行標準に収まりきらないからこそ、理論的には重要なんです」

 わたしの胸のすぐ下に、小さな熱が生まれた気がした。

「貴女の反応は、標準を拡張するための資源になりうる」

 資源――その言葉に、少し身体が跳ねた。

 少尉の表情が変わる。

「……言葉が適切ではありませんでしたね」

 一度、琥珀色の補助線に目を向ける。

「本官が伝えたかったのは、規格に適合しないことと、貴女が切り捨てられるべき存在であることは、別だということです」

 わたしの心に、柔らかな波紋が広がった。

 こちらを見てくる少尉の目は、穏やかだ。

 けれど、その言葉を信じてよいのかは――まだ分からない。

「さて」

 少尉が端末の表示を切り替える。

「本日の目的は、貴女の源泉の価値を判定することではありません。制御官を変更した場合に、飛行が成立するかを確認することです」

 それまでの柔らかな声音が、少しだけ引き締まった。

 制御官が端末を操作する。

 わたしの前に、先日の浮上記録が表示された。

 高度二十センチ。保持五秒。

 銀色と赤銅色の波形が、互いに異なる形を保ちながら重なっている。

「このとき、大尉は単一基準を提示し、必要に応じて貴女の応答位相を調整しています」

「はい」

 しっかりと返事をする。一言も聞き漏らしてはならない。

「本官も同じ手順に従います。ただし、提示する主周波数は本官自身のものです。完全に同じ条件にはできません」

 白い壁と床の曖昧な境界線に、言葉が淡々と積み上げられていく。

「その違いが、飛行の成立にどう影響するのかを観測します」

 わたしは頷いた。

 意味は分かる。

 単一基準の提示。応答位相の調整。浮上への移行。

 それぞれの操作についても、この数日間で説明を受けていた。

「今日の試験は、貴女の能力を判定するためのものではありません」

 少尉が続ける。

「うまくいかなくても、それは直ちに貴女の失敗を意味しない。もちろん、本官の失敗とも限りません」

 そこで、少しだけ微笑んだ。

「条件が違うなら、違うという記録が必要なんです」

 その言葉に、肩の力がわずかに抜けた。

 この人は、正確に確かめようとしている。


 制御官と同じだ。


「……分かりました」

 自分の声は、入室したときより強張っていなかった。少尉がよかったというように微笑んだ。

「では、始めましょう」

 少尉が制御卓へ向かう。

 動きに無駄がない。

 制御官ほど切り詰められてはいないが、操作のたびに場が理知的に整うのが分かる。

 制御官は後方の観測位置へ移動した。腕装着型端末を確認し、待機状態へ切り替える。

 安全監視と緊急停止機構は維持される。

 けれど、制御官からの基準提示と位相調整は行われない。

 試験条件は、事前に説明されたとおりだった。

「外部基準を切断します」

 少尉の声が落ちる。

 壁の向こうから届いていた帝国標準振動が、少しだけ遠くなる。

 白い床に、琥珀色の演算円が現れた。

 緩やかな曲線を描きながら、一定の間隔で広がっていく。

「本官の主周波数を単一基準として提示します」

 琥珀色の波が、わたしの周囲へ満ちた。

 穏やかな波だった。

 角が取れていて、勾配も滑らかだ。帝国標準振動に近いけれど、ほんの少しだけ遊びがある。


 少尉らしい周波数だと思った。


「まず、呼吸から確認しましょう」

「はい」

「四拍で吸ってください」

 息を吸う。

 一、二、三、四。

「保持」

 胸郭が止まる。

「吐いてください」

 ゆっくりと息を吐く。

 できる――呼吸は整っている。


 少尉はわたしの反応を確かめながら、次の拍を提示した。


 銀色とは違う間隔だ。

 けれど、決して不規則ではない。


 わたしは自分の呼吸を、その間隔に沿わせていく。


「源泉を起動してください」

「はい」

 胸の奥で熱が生まれた。

 赤銅色の波形が現れ、琥珀色の補助線へ向かって緩やかに広がっていく。

 少尉は待っている。

 わたしの呼吸が終わるまで、次の指示を出さない。

 自分の内側にある熱を、箒へ流す。

 柄が温かくなった。

「起動、確認しました。出力は維持してください」

 端末から短い確認音が響いた。

 源泉圧は上がっている。

 けれど、急性逸脱の警告はない。

 少尉がわずかに指を動かす。

 琥珀色の補助線が、赤銅色の波に寄り添った。

「浮上移行に入ります。高度二十センチ。横移動なし。保持五秒」

「はい」

 わたしは箒にまたがり、柄を握り直した。

 両足を床につけたまま、姿勢を整える。

 ゆっくりと重心を移した。

 足裏が、ほんの少し軽くなった。


 ――できる。


 そう思った。

 箒は応答している。魔力も流れている。姿勢も崩れていない。


 ――次の瞬間、足元の感覚が曖昧になった。

 上へ上がるのか。それとも下へ下がるのか。

 どちらへ重さを預ければよいのか、分からない。

「あ……」

 胸の奥で、何かが細く軋んだ。

 足場を崩されたような感覚が押し寄せてくる。内臓が遅れて波打つ。

 少尉の声が届く。

「そのまま。急がなくて構いません」

 わたしは頷いた。

 急いでいない。

 焦ってもいないはずだった。

 けれど箒の先端が小さく浮き、また沈む。

 わたしは箒を握る手に力をこめる。

 少尉の指示は正しい。

 琥珀色の波も乱れていない。


 それでも、次の一拍へ進めない。


 胸の奥に熱が溜まる。

 出口がないわけではない。

 けれど、どこへ流せばよいのか分からない。


「浮上移行、一時停止します」

 少尉の判断は速かった。

 琥珀色の補助線が緩やかに後退する。

「一度、出力を下げましょう」

 わたしは息を吐く。同時にどっと背中に汗が噴き出した。

 箒の動きが緩やかになる。

 足裏に、硬い感触が返ってきた。

「マシュさん」

 少尉の声が遠かった。

「身体に異常はありませんか」

「……ありません」

 なんとか声を絞り出す。

「源泉の熱は」

「少し……高いです。でも、苦しくはありません」

 正直に申告する。苦しくはない。けれど――


 心の中に確かに抜け落ちたものがある。


「分かりました」

 少尉は端末を確認する。

 眉間に皺はない。

 何かを考えているようだったけれど、その表情は落ち着いていた。

「呼吸、起動、出力維持は成立しています。浮上移行の途中で、保持状態に入れませんでした」

 少尉は記録を保存した。

「次は、応答位相への微調整を加えます。変化があれば、すぐに教えてください」

「はい」

 少尉はわたしの目を見た。

「無理に合わせようとする必要はありません。ご自身の応答を確認してください」

 その言葉に、胸が小さく動いた。

 ――応答しろ。

 火曜日の制御官の声を思い出す。

 わたしは箒を見つめた。

 今度こそ――柄に向かって小さく呟く。


 今度こそ、自分が何をしているのか確かめよう。


 琥珀色の演算円が、再び淡く輝く。

 少尉は、わたしの波形が現れるのを待っていた。

 赤銅色の熱が、ゆっくりと持ち上がる。

「位相調整を開始します」

 琥珀色の補助線が、わずかに位置を変えた。

 強く引かれる感覚はない。


 ただ、身体の内側にあった小さな引っ掛かりが、一つ消えた。


 わたしは息を吸う。

 今度は、足裏が軽くなるまでの感覚が分かった。

 整えてくれている――はっきりと理解する。

 箒がわずかに浮く。

 

 けれど、そこまでだった。


「え……」

 浮かぶことはできる。

 重さが床から離れようとしているのも分かる。


 なのに、その状態をどこに置けばよいのか分からない。


 少尉は急かさない。待ってくださっている。


 それでも、わたしの中で何かがずれていく。


 ひとつの拍を終えるたび、次の拍を探さなければならない。

 ――違う。

 何が違うのかは分からない。

 少尉の操作は正しい。調整によって、確かに呼吸は楽になった。


 それなのに、次の一拍へ進めない。


 赤銅色の波形が膨らんだ。

 胸の奥で熱が広がり、行き場を失ったまま押し寄せてくる。

「マシュさん。出力を下げてください」

 少尉の声が届く。

「はい」

 返事はできた。

 けれど、どこへ戻せばよいのかが、分からない。

 出力を下げようとすると、呼吸が詰まる。

 呼吸を整えようとすると、源泉が熱を持つ。

 どちらかを正そうとすれば、もう一方が遠くなる。

 足裏が床を探した。

 そこにある。ちゃんとある。

 なのに、立っている感覚だけが薄くなっていく。

「……分からないんです」

 声が震えた。

 わたしを見ていた少尉の目が、一瞬で端末へ向く。

「浮上移行、中止。出力保持は不要です」

 判断は速かった。

 琥珀色の補助線が後退し、わたしの周囲に薄く広がる。浮上を助けるためではない。急激な出力変動を防ぐための、安全域だった。

 けれど、胸の奥の熱は行き場を見つけられない。

 髪が逆立つ。耳の奥から炎が燃えるような音が響いてくる。

 箒を握りしめた手から、赤銅色の光が溢れた。


 引きずられている――


 何にかは分からない。自分の源泉なのか。

 それとも、どこにも戻れないところに――


 分からない。


「――ああ」

 光と音の渦の先から、軽やかな声が聞こえた。

「これは、僕では駄目ですね」

 あっさりとした言葉だった。

 迷いはない。

 評価でもない。

 ただ――条件を切り分けただけの声。

 顔をあげれば微笑む少尉と目が合った。

 その瞳に困惑はなかった。

 むしろ、何かを確かめた人のような顔だった。

「大尉。お願いいたします」

 少尉は迷わず後方へ視線を向けた。

 制御官が一歩前に出る。


 光が揺れる。

 だが制御官の硬質な輪郭は、何一つ乱れない。鮮やかな光すら、無慈悲に吸い込んでいく。

 ――空間の質が変わった。制御官が何かを操作したわけではない。

 演算円の構造も、少尉の単一基準も、そのままだ。

 それでも、白い演習場が静かに定義し直される。


 足音はない。

 ただ、そこに来るべきものが来た、という感覚だけが生まれる。


 赤銅色の波が、わずかに揺れた。逃げ場を探していたはずの振動が、一瞬だけ、方向を失う。


 身体が止まる。

 止められたのではない。

 動く意味が、わたしの中で一瞬だけ消える。


 座標が固定できた。


 琥珀色の演算円はそのまま維持されている。

 少尉の基準は切られていない。


 銀色の補助線も、どこにもない。


 それなのに――ふと、あの間隔を思い出す。


 制御官が息を吸う前の、わずかな空白。

 命令が落ちる直前の静けさ。


 銀色の波が刻んでいた、あの拍だ。

 今は見えない。

 誰も示していない。

 けれど、身体が覚えている。

 一拍。

 赤銅色の尖りが、わずかに遅れる。

 二拍。

 逃げようとしていた振動が、戻り場所を見つける。

 三拍。

 熱が、中心へ落ちていく。

 まだ完全ではない。

 琥珀色の残響が、遠くで引っかかっている。

 けれど崩れは止まる。

 静まる、とは違う。


 ただ――ばらけなくなる。


 わたしは、息を吸う。

 誰の指示でもない。

 けれど、吸うタイミングが分かる。

 四拍。

 肺が満ちる。

 保持。

 過剰な力はかからない。

 放出。

 熱が、ゆっくりと抜けていく。

 赤銅色の波形が、ようやく自分の輪郭を取り戻し始める。

 崩れが止まる。

 そのとき初めて、制御官の声が落ちてきた。

「そのまま維持しろ」

 短い。

 それだけだった。

 新しい説明はない。

 方法も示されない。

 ただ、今の状態を崩すなと言う。

 わたしは頷かなかった。

 そのまま呼吸を続ける。

 整えようとしない。

 合わせようとしない。


 ただ、応答する。


 胸の奥で、さっきまで暴れていた何かが、ようやく沈んでいく。


 静かだ。


 完全ではない。


 けれど――さっきまでの不確かな基準点ではない。


 ここは、分かる場所だ。

 わたしの中にある場所。


 その外側で、琥珀色の演算円がわずかに収束する。

 少尉の操作だろう。

 わたしの応答に干渉しない位置へと、丁寧に下げている。

 制御官は少尉の操作に目を向けない。

 ただ、わたしから視線を外さない。

 評価はない。

 肯定もない。


 それで十分だった。


 しばらくして、少尉の指先がわずかに動いた。

 琥珀色の補助線が、一本ずつ閉じていく。

 最後の光が消え、外部基準が戻る。

 白い演習場が、元の均質な静寂に戻った。

 わたしの足裏が床に沈む。

 遅れて、心拍が自分のものに戻ってくる。

 まだ少し早い。

 けれど、乱れてはいない。

「――終了だ」

 制御官の声が落ちる。

 それで終わりだった。


「……興味深いですね」

 少尉が軽く息を吐いた。

「手順上の異常は確認されませんでした。ですが、今回の条件では、僕の基準による飛行保持は成立しませんでした」

 少尉の視線が、空間に残る波形を追っている。

「一方、大尉が観測位置を離れた直後、対象の源泉は収束へ転じています」

 少しだけ、口角が上がった。

「大尉からの新たな基準提示も、位相調整もありません」

 制御官は答えない。

「……これは、切り分ける必要がありますね」

 沈黙が落ちる。

 けれど、拒絶ではない。

 少尉はそれ以上踏み込まなかった。

「記録は十分です」

 端末を閉じる音がする。

「本件の再現性については、報告書で整理しましょう」

 そこで一度、こちらを見る。

 柔らかな視線だ。

 けれど最初とは違う。


 測る目ではない。

 何かを見つけた人の目だった。


「マシュさん」

 名前を呼ばれる。

 さっきとは違う響きだった。

「よく耐えました」

 その言葉はあまりに優しくて――

「ありがとうございます」

 自然に言葉が出た。

 さっきよりも、ずっと楽に。

 少尉は小さく頷く。

 それから制御官へ視線を戻した。

「大尉」

 力の抜けた目尻は、まだ何かを考えているようだった。

「今の反応は、単なる基準変更では――」

「報告書で扱え」

 制御官が短く遮った。

 少尉は一度瞬き、それから小さく笑った。

「……承知しました」

 軽く肩をすくめる。

 白い演習場が沈黙する。

 わたしは箒を抱えたまま、ゆっくりと息を吐いた。

 胸の奥に残っている熱は、もう暴れていない。

 少尉の基準では浮上を維持できなかった。

 それは確かだった。

 けれど、何も得られなかったわけではない。

 さっきまで分からなかった場所を、今は知っている気がする。

 それが何なのか、まだ言葉にはできなかった。

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