↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
飛べない魔女の方程式  作者: Ant.
第二章
PR
15/37

六 人民は等しく帝国の資源

 帝国標準時間、十七時。

 窓の向こうには、灰色に濁った空が広がっている。

 まだ日は高い。厚い雲の向こうに、夕刻の光が残っていた。

 執務机には学院全域の結界同期記録が展開されている。

「――以上です」

 ヴァイマンが中等部二年の同期結界展開演習の報告を終えた。

「続いて、中等部一年の飛行訓練ですが」

 一瞬だけ、こちらに視線が向けられる。

「通常課程の百十九名、全員安定飛行。逸脱なし。姿勢保持五分もクリアしました。次回から水平移動五十メートルに移行します」

 ヴァイマンが展開させた飛行記録に乱れはない。標準に沿った規定通りの飛行だ。

「見事に教科書通りですね」

 ヴァイマンが口角を上げる。そのまま流れるような手つきで記録を消した。

 マリーニン大佐が小さく頷いた。

「ラリオーノフ大尉」

「はっ」

 ラリオーノフは直立したまま、返事をする。マリーニンの硬質な声が続く。

「朝の管理個体の発作については報告を受けている。貴様が集団同期を緩めたことが引き金になったと」

「その可能性が高いと考えています」

 濁った雲の隙間には、まだ光が残っている。ラリオーノフはマシュの記録を展開させた。

「集団同期圧の低下に伴い、源泉が基準点の再探索を開始。急激な応答変化が、当該個体の身体に負荷をかけたものと推測されます。因果関係は現在も検証中です」

 ヴァイマンが身を乗り出した。先刻までの事務的な表情とは違う。その目は、マシュの赤銅色の波形に釘づけになっていた。

「暴走の危険性は」

「現時点で、不可逆な暴走の兆候は確認されていません」

 即答する。

「源泉の応答は不安定ですが、減衰は成立しています。筆記・応答試験でも高い成績を収め、局所魔導の精度は極めて高い。ただし、飛行のように身体と箒、源泉を一つの系として制御する技術は未熟です」

 午後の演習記録を開く。

「本日の再試行では、失効を確認しました」

 マリーニンの顎がわずかに上がった。

「演算円への帝国標準の同期基準入力を切断し、本官の主周波数へ切り替えました。観測機構と個別補正、緊急停止機構は維持しています」

 銀色の波に、赤銅色が重なる。

「当該個体は一時的に五センチまで浮上しました。しかし箒への入力が安定せず、飛行状態に移行する前に出力が途絶しました」

 沈黙が落ちる。初回飛行訓練のときとは異なる結果に、マリーニンが考え込むように顎を撫でる。

「……学習したということか」

「初回訓練とは異なる反応です」

 ラリオーノフは失効時の記録を拡大する。

 鋭く立ち上がった赤銅色の波が、急激に崩れ落ちていた。

「なるほど」

 ヴァイマンが嬉しそうに目を細めた。

「大尉の主周波数に応答したのは、ここですね」

 指がマシュの波形をなぞる。

 そこには確かに、二つの波が穏やかに寄り添った瞬間があった。その一瞬だけ、マシュの波形も帝国標準と見まごうほど落ち着いている。

「適応が速い。外部基準への応答速度が通常個体とは明らかに違います。それなのに、保持できない」

 軽やかな声だが冷静な分析だ。ラリオーノフの肋骨の内側に鈍痛が走ったが、やり過ごす。

「それで飛べない?」

 マリーニンの問いは確認だ。

「応答が速すぎるのです」

 ラリオーノフは、マシュが箒に魔力を注ぎ込んだ瞬間の波形を光らせ、数値を表示する。

 急上昇した源泉圧は上限を振り切る勢いだ。

「源泉が基準に応じても、身体と箒の追従が間に合わない。共振を維持する前に、次の変動を拾ってしまう」

「過剰応答か」

「はい」

 赤銅色の波形が、再び急峻な山を描いた。

 マリーニンの鉛玉のような瞳に無数の数式が映る。

「貴様の主周波数を与えたことで、何が変わった」

「参照する基準を一つに限定しました」

 泥のような雲の奥に、薄日が差す。

「帝国標準への強制同期は行っていません。本官の主周波数を単一基準とし、当該個体の応答条件を調整しました」

 ヴァイマンの眉が上がる。

「……なるほど。帝国標準への強制同期を避けた。それが、破綻に至る前の失効を可能にしたと」

「断定はできません。ですが、その可能性はあります」

 マリーニンの顔に赤銅色の波形が影を落とす。

「つまり、単独運用の見通しはまだ立たない」

 喉の奥に苦みを感じた。

「……今はまだ」

「扱いづらいな」

 マリーニンは、波形を一瞥した。

「訓練中です」

 反射的に言葉が出た。発言したあとに、肺が縮んだように息が浅くなった。

 鉛色の目がこちらを向いた。

「資源価値は?」

 空気の密度が変わった。

 言葉が形を探す。

 時間にすれば一拍にも満たない沈黙――だが背信と受け取られるには十分な一瞬。


「この応答勾配は、研究価値があります」


 ヴァイマンの声が割り込んできた。一瞬、ラリオーノフの胸が開く。

「軍事転用も十分に可能でしょう。制御コードと外部同期装置を組み合わせ、強制減衰によって安定化させれば、広域魔力衝撃への応用が考えられます」

 軽快な操作音が響き、マシュの波形に数値が付与されていく。

 ラリオーノフは動かなかった。

 ヴァイマンの声だけが、正確に耳へ届く。

「高応答性を利用した感知、迎撃システムへの転化もいいでしょう。あるいは大容量の源泉を生かし、前線への魔力供給拠点として運用する方法もあります」

 それが、さっきまで箒にしがみついて泣いていた少女への評価だった。

 出力を取り出し、減衰させ、再び取り出す。

 そこに人格はない。

 あの小さな身体が、いくつもの装置に接続されていく光景が浮かんだ。


 拳を握りしめそうになる。

 寸前で指を開き、熱を帯びかけた源泉を鎮めた。


「軍研究部が欲しがるな」

 マリーニンは笑わなかった。

「はい」

 ヴァイマンが端末を閉じる。その微笑みは、最初から少しも崩れない。

 ラリオーノフの胸の内側がせり上がる。

「……まだ学生です」

 言葉の意味を理解するより早く、後悔が押し寄せてきた。

 呼吸を整えようとしたが、吸気がいつもの深さまで届かない。

 自分は、何を言っている。

 

 軍事利用に年齢は関係ない。


 それがこの帝国の現実だ。

 分かっている。


 分かっているはずだ――


 マリーニンの鉛の目がこちらを見ている。


「資源だ」


 マリーニンの声は低かった。


 断罪ではない。叱責ですらない。


 人民は等しく、帝国の資源。

 

 ただ制度上の事実が告げられた。


「観察継続」


 教育でも訓練でもない。

 ラリオーノフの心臓に突きつけられたのは、銃口以上の重みだった。

 

「制御官はお前のままだ」

 マリーニンがマシュの波形を消す。

 ラリオーノフはヴァイマンと並び敬礼した。

 窓の向こうには、まだ明るい空があった。


 命令は明確だった。

 だが、どれだけの猶予が与えられたのかは分からなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。