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追放された付与術士は、拾った奴らを食わせるためだけに無双する ~消えない付与を重ねてたら、誰も越えられない七層も越えていた~  作者: 自ら


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第57話「八層」

照りの強い幹を横目に見ながら、縁から回廊へ一歩を出した。

八層は、吹き抜けの層だった。塔の中が筒のように上へ抜けていて、その内壁に沿って、桟と棚が螺旋を描いて上がっていく。桟は壁から張り出した石の段で、ところどころに古い木の段が混じる。幅は、人が一人ずつ歩けるほどしかない。片側は壁で、もう片側には何もない。灯りを下へ向けても底は見えなかった。

壁の面には、画が走っている。幹から枝が分かれるように太い線から細い線が出て、その細い線がまた分かれて壁いっぱいに広がっている。どの線にも消し跡がない。七層の芯の間で見た字と同じ、生きた画の作りだった。違うのは、七層では壁が字で埋まっていたのに、ここでは線が枝を張っていることだ。字というより、木に近い。

ボルグが黙って先頭に立った。石突きで桟の端を叩き、返りを聞く。詰まった音なら踏む。軽く抜ける音なら跨いで次を叩く。三つ目の木の段で、ボルグは石突きを二度当てて、跨いだ。跨いだあとで覗くと木の段の根が壁から半分外れている。上から見ただけでは、ほかの段と見分けがつかなかった。

ニナは真ん中で帳面に新しい頁を起こしていた。縁を出てから何段目か、どの段が木でどの段をボルグが跨いだか。螺旋の一巡りを一枚の丸に描いて、段の印を丸の上に打っていく。七層では図の尽きた先を図にした手だ。ここでは、最初の一段から図がない。

下から、風が吹き上げてくる。

吹き抜けの底のほうから途切れずに上がってくる風だった。灯りの火が横へ流されて覆いの内側で細くなる。外套の裾が、壁とは反対の側へ引かれる。風そのものは強くない。ただ何もない側へ引く風だというだけで足の置き方が変わる。壁に右の肩を寄せて、外套の裾を帯に挟んだ。

鳴りは、胸に来た。

七層の圧は、全方位から切れ目なく押してくる重さだった。八層の鳴りはそれより軽い。そのかわりに、来る間合いが読めない。三つ続けて来たかと思うとしばらく何も来ない。来ないと思って足を出したところへ、いきなり一つ来る。来るたびに胸の骨が内側から叩かれて、息が半分で止まる。ボルグが二度目の鳴りのあとで足を止め、肩越しに言った。

「ここでは、今、が言えん」

七層の手前で、荒れの谷を「今」の一声で指した男だ。その声を、ここでは出せないという。出せないなら、鳴りが来たら壁に寄る、と決めるしかない。鳴りが来るたびに三人で壁へ肩をつけ、過ぎてから次の段を叩いた。ニナは鳴りが来るたびに帳面の端へ印を一つ打った。印と印の間は一つとして揃わない。揃わない間を数えても、次の鳴りは読めなかった。進みは遅い。遅いが、桟は一つも抜けなかった。

一巡り目の半ばで、壁の画の溝が淡く光っているのに気づいた。

線そのものの照りではなかった。溝の縁に、苔が生えている。指の先ほどの細かな苔で、溝に沿って糸のように並び灯りの外でも淡く光っていた。灯りを背に回して壁を見ると、枝を張った画の形が、苔の光でそのまま浮かぶ。

親指の爪で、溝の縁の苔を少しだけ掻き取った。掌に載せても光は消えない。灯りの覆いの陰へ入れてみても、掌の皺が読めるくらいには明るい。油の灯りより白く、火のように揺れない。

書庫の古い帳面に、八層の行があった。品の名は擦れて読めなかったが値はついていた。八層で拾えて、町で値のつくものなら、これがそうではないか。少なくとも、灯りの油の代わりにはなる。工房と飯場で毎晩燃やしている油が、これで浮く。油の銅貨が浮けば、その分が麦に回る。麦が回れば、椀が満ちる。

背負ってきた空の籠を下ろして、摘み始めた。

摘むのは、溝の縁に生えた分だけにした。溝の底には指を入れない。画は塔の手で入れた線で、俺の線ではない。他人の仕事の溝に、爪を立てる筋はない。縁の苔を親指で寄せて、掌で受けて、籠へ落とす。掻き取ったあとの溝を灯りで検めた。線は一筋も白を出していなかった。苔の下の画は、苔があってもなくても同じ深さで通っている。

ニナが帳面から顔を上げて、籠の中を覗いた。苔が籠の底で、薄く光をためている。

「照り苔、と書いておきます」とニナが言った。「名前がないと、図に書けないので」

照り苔、と俺も口の中で繰り返した。呼び名が一つ、帳面に増えた。

ボルグは石突きを壁に立てかけて籠を見下ろした。苔の光が下から顎を照らしている。

「八層の物を町へ持って下りた者は、俺の知るかぎりおらん。上がった者がおらんかったからな」

それだけ言ってボルグは石突きを取り直し、次の段を叩いた。返りは詰まっていた。

螺旋の途中に、桟より幅の広い棚が張り出している所があった。三人が並んで腰を下ろせる広さで、壁に背を預ければ風もいくらか弱い。そこで麦の板を一枚ずつ齧った。ニナは齧りながら丸の図に段の印を打ち足し、ボルグは左の脛を指の腹で撫でて足場の線を確かめていた。俺も脛の線を灯りで見た。照りは落ちていなかった。板の残りを数えると十四枚になった。

摘みながら、壁の画を見ていた。

太い線から細い線へ、細い線からさらに細い線へ、分かれ方に迷いがない。分かれるところで線が一度だけ深くなり、そこから二本に割れていく。節を足すのでも、始まりを腹に沈めるのでもない。崩しの三手のどれとも違う入り方で、それでいて、どの線も読まれずに残っている。

右手の指が、動いた。

鏨を探して腰の袋の口へ行きかけている。七層の芯の間で、覚える気もないまま手が覚えた入り方がある。三つの手のどれでもない、四つ目の手だ。その手が、壁の画の分かれ目を見ているうちに、勝手に形を取り始めていた。指の腹が、分かれ目の深さを空でなぞる。

袋の口から、指を引いた。

入れる理由がない。この壁は塔のもので、どこも傷んでいない。白も出ていない。直すところのない線に、手を入れる筋はない。四つ目の手は、まだ一度も自分の仕事で使ったことがない。使う日が来るとしても、それは入れる理由が先にある日だ。指を一本ずつ握り込んで、苔を摘む手に戻した。

生き物の跡は、一つもなかった。六層までの層には必ず糞や骨や爪の跡があった。この回廊には、それがない。桟の上の埃にも、俺たちの足跡しか残らない。ここで動いているのは、壁の画と、苔と、下からの風だけだ。

籠が半分ほど埋まったところで螺旋の一巡り目が終わった。出たのは、縁のちょうど真上の一巡りぶん高い所だ。吹き抜けを挟んだ向こうに、幹が正面に来る。縁から見上げていたときより、幹の上のほうが近い。

灯りの覆いを閉じた。ボルグとニナも自分の灯りを閉じて、三人で目が慣れるのを待った。

幹は、太い一本のまま、下から上へ通っている。前に縁から見たとき、消し跡がないことだけは確かめた線だ。灯りを消すと、幹の照りがいっそう強く見える。

その脇に、細い線が一本、走っていた。

幹に沿うように、指一本ぶんほど離れたところを、幹よりずっと細い線が上へ延びている。前に縁から見上げたとき、幹の脇にこの線は見えなかった。


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