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追放された付与術士は、拾った奴らを食わせるためだけに無双する ~消えない付与を重ねてたら、誰も越えられない七層も越えていた~  作者: 自ら


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第54話「鍋」

炭小屋の板壁を、拳で二つ叩いてみた。

仲買が今朝そうしていったと、キトが言っていた。乾いた音が返ってくる。板は芯まで乾いていて、腐れの鈍い響きが、どこにも混じらない。十年放っておかれた割に、壁はまだ生きている。叩いて分かるのはそこまでだ。仲買が何を聞いていったのかは分からない。分からないことを壁の前で考えていても、夕餉の麦は煮えない。

拳を下ろしたところで、通りの角からベルタが来るのが見えた。後ろに女を一人連れている。背は低く、肩が四角い。年はベルタより、いくらか下に見える。前掛けを外さずに歩いてきたらしく、裾に古い油の染みが輪になって残っていた。

「この人、オルガ。宿の賄いをやってた人さ」ベルタは女の背を軽く押した。「代替わりで、厨房ごと若いのに入れ替えられてね。口を探してるっていうから、連れてきたよ」

オルガは俺の顔を見て、それから、手を見た。目が爪の間で止まる。

「追い出された晩、あんたは油の匂いの中で銅貨を数えてたね」

あの宿の一階のことだと、少し遅れて分かった。揚げ油の匂いのこもる卓に、ゲイルが取り分を滑らせてよこした晩だ。

「数えた覚えはない。数えるほどの枚数がなかった」

「数えてたよ。一枚ずつ指で押さえて、押さえるたびに止まってた」オルガは顔つきを変えない。「厨房から見てると分かる。ああいう止まり方をするのは、飯の数に直してる客だけだ」

言われてみれば、そうだったのかもしれない。銅貨の数ではなく、粥の椀の数を数えていた。宿代に足りるかではなく、何杯食えるかを。あの晩、厨房の奥から見ていた者がいたことは知らなかった。

「払いの話を先にしたい」と俺は言った。「出せるのは麦と寝床と、月にいくらかの銅貨だ。銅貨のほうは、刻みの客の入り次第になる」

「それでいい。寝床は竈の近く。賄いの女の寝床は、昔からそう決まってる」

小屋に竈はない。炉は工房にしかない。そう言うと、オルガは小屋の奥の壁を一度だけ見て、なら、いつか据えればいい、と言った。それきり竈の話はしない。寝床は小屋の奥の壁際と決まり、麻袋ならうちにまだあるよ、とベルタが言った。

「鍋を見せて」

工房の炉にかけた鍋の前で、オルガは蓋を取って中を覗き、すぐに蓋を戻した。それから棚の椀を数えた。指では差さず、目だけで、端から端まで一度なぞる。

「五つ」

そこへ、ニナが市場から戻ってきた。抱えてきた布包みを作業台に下ろすと、新しい椀が五つ転がり出る。オルガは一つずつ手に取って底を叩き、縁を指でなぞった。ひびの入ったものは、一つもない。

「十。鍋は一つで、炉はこっち。食うのは隣」オルガは小屋のほうへ顎を向けた。「運ぶ手が要る。鍋はあたしが運ぶ。椀は子らに持たせる」

それから麦の袋の口を開け、掬いを差し込んで、一度だけ掻き回した。

俺は袋の膨らみを見ながら、頭の中で割っていた。椀十杯の粥を朝と晩に炊けば、この量で四日になる。五日目の朝のぶんは足りない。

「これで四日」オルガが言った。「五日目の朝はない。粥は薄めない。薄めるくらいなら、四日目の晩までに麦を足す」

同じ数だった。数え方まで同じだということは、ここまで言い切られて、初めて分かる。ニナが帳面から顔を上げて、オルガと俺を見比べた。ベルタは戸口で腕を組み、何も言わずに笑っていた。

鍋の番が決まると、ほかのことも順に決まっていった。オルガは小屋の中を一巡りしてから戸口に立ち、飯場の者を一人ずつ呼んだ。

「大きいのは担ぎ。塔の口の荷場で日銭を取ってきて。水と薪は子らで回す。朝は水が先」

スヴェンは頷いて、昼前には荷場へ下りていった。日暮れに戻ったときには、麦の袋を一つ肩に載せていた。荷の日銭で買ってきたらしい。キトの組は桶と斧を分け合い、いちばん年下の娘が、水汲みの欄に自分の名を書けとニナの袖を引いた。

トビは小屋の屋根で、昨日の続きの、継ぎ目を数えている。レイフは工房の卓の端で札を綴じ、日付の順に並べ直していた。ボルグは裏の縁台に腰を下ろし、左の脛を両手で包むように撫でている。足場の線を指の腹で一本ずつ確かめているらしい。俺も夕方に一度、膝の外の支点を見た。照りは落ちていなかった。

日が傾くころ、キトの組が荷場から戻ってきた。塔の口で、荷を下ろしに来た隊から聞いたのだという。

「一層で、鳴ったって。昼過ぎに、いっぺんだけ」キトは自分の言葉につっかえて言い直した。「一層で、です。荷運びの人たち、そんなの聞いたことないって」

二層で初めて鳴ったのが三日前で、三層の水はまだ引いていない。上から降りてくる鳴りが、一層まで届いたということになる。見に行くなら、鳴りがもう一度出てからだ。昼過ぎに一度きりの鳴りは、今から上がっても残っていないだろう。今夜は鍋のほうが先になる。

夕餉は小屋の板の間で食った。オルガは工房の炉から鍋を下ろし、布を二重に巻いた取っ手を握って、一人で隣まで運んだ。歩いても、鍋の中身が揺れない。板の間の真ん中に鍋が据わると、子らが椀を十、その周りに並べた。

オルガは注ぐ前に、もう一度椀を数えた。数えてから、注ぎ始める。一杯目はスヴェンに、二杯目はキトの組の年下の娘に。働いた順でも年の順でもなく、腹の減っている順なのだと、三杯目で分かった。俺が胸の内で並べていたのと同じ並びだ。俺の椀は、最後から二番目に回ってきた。

レイフの椀は、卓の端の、札の束の脇に置かれた。レイフは工房から綴じかけの札を持ってきていて、灯りの近くで束の角を揃えている。あとで食う、と言って顔を上げない。札が溜まっているのは、俺が頼みすぎたせいだろう。明日は札の数を減らして、下書きのほうを頼むことにした。

麦の粥に干し魚をほぐした、いつもの味だった。ただ、オルガの炊いた粥は俺のものより塩が一つまみ少なくて、そのぶん魚の味が立っている。スヴェンが二杯目の椀を差し出すと、オルガは黙って半分だけ注いだ。残りの半分は、鍋の底で明日の朝のぶんになる。スヴェンは何も言わずに受けた。キトの組の娘たちは、新しい椀の縁を指で撫でてから口をつけた。ボルグは椀を左手で持ち、右手で脛を軽く叩いている。トビは屋根から下りたばかりで、膝に木屑をつけたまま二杯目を待っていた。ニナは帳面を膝から下ろして、今夜は一度も開かなかった。

オルガは鍋の脇に立ったまま、掬いで一口だけ粥をすすった。座らないし、椀も、取らない。

「座らないのか」

「鍋番は、鍋が空くまで座らない」

それで話は終わった。

板の間では、キトの組が一層の鳴りの話を小声で続けている。荷場の誰それが壁に耳をつけたら唸っていた、と一人が言う。別の誰それは自分の靴の照りを見て、まだ落ちていないと胸を叩いたらしい。スヴェンは黙って聞きながら、空の椀を膝に置いている。オルガはその椀に目をやり、鍋の底を掬って、さっきの半分よりさらに少なく注ぎ足す。スヴェンの肩が一度だけ下がる。礼のつもりなのだろう。

椀が一巡し、二巡目のぶんが鍋の底へ寄せられていく。板の間の真ん中から、湯気が少しずつ薄くなった。札の束の脇に、一つだけ湯気の立たなくなった椀がある。粥の表に薄い膜が張り、干し魚の身が、沈んだまま動かない。

レイフの椀だった。


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